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噺を撮る【居残り佐平次 / 品川宿】

一人1円出し合って遊びに行こうと佐平次に誘われた四人。
なか(吉原)は飽きたので品川へ。
どんちゃん騒ぎの後、佐平次に呼ばれた四人。
とても一人1円で済むわけはないが、約束どおり1円ずつ出して、明日の朝は早くに帰って欲しいと言われる。
しかも佐平次の分、1円を加えた5円を自分の母親に届けてくれと言う。
自分はここに居残って上手い魚を食べながら養生するからと。
四人が帰った後、飲み食いを続ける佐平次。
再三、勘定の催促に来る若い衆を煙にまきながら居続け、その上、若い衆が忙しくて手が回らず、放ったらかしにされている客の相手を始める。
刺身を頼んだものの、醤油がついておらす不平を言っている客のところに刺身醤油を持って現れ、客をおだてて、幇間(ほうかん)顔負けの気配りと話術で機嫌をとる。
そのうちに客に気に入られ、「居残りを呼べ」と声がかかって、ご祝儀までもらうようになる。
おかげで店は大繁盛。
遊女たちからも重宝がられ「いのど~ん」と何かと用を頼まれる。
面白くないのは若い衆たち。
居残られた上にご祝儀まで持って行かれてはたまらない。
店の主人が佐平次を呼び、日ごろの礼を言い、勘定はいいから出て行って欲しいと告げる。
そこで佐平次が打ち明けたことを聞いて主人は驚き…
おっと、好きな噺なので調子に乗って書きすぎました。

/ 品川は千住、板橋、新宿とともに江戸四宿と呼ばれました。
また、幕府公認の遊郭は江戸では吉原だけでしたが、宿場など人が集まる場所には遊郭があったといいます。
今の品川にはその面影を残すものはありませんが、「土蔵相模」は高級妓楼「相模屋」だそうです。
その土蔵相模の座敷からは品川浦、そしてその向こうには房総半島が望めたといいます。