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【ぼくが生まれてごめんなさい】

約40年前に出版された「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」(向野幾世著)の一説。
この本の主人公で脳性麻痺の山田康文くんが作った詩です。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい 
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも 
「かたわの子だね」とふりかえる 
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

この詩は、著者の向野先生の言葉に対し、自分が表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶってイエスのサイン、違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で書きすすめられたそうです。

そして、この少年は15年という短い生涯を終えました。

涙が止まりません。この文章を書きながらも涙が出てしまいます。
幼い少年がこのようなことを考えなくてはならない社会。

今はどうでしょう。
障がい者雇用が制度化され、街のあちこちにユニバーサルデザインの設備ができ、40年前に比べれば、格段に障がい者に対する配慮がなされているように見えます。

しかし、人びとの心はどうでしょう。
人びとの障がい者に対する感情はどうでしょう。

今、私がいる職場には私を含めて4人の障がい者がいますが、私たちに対する目は厳しいものがあります。
奇異な目で見られたり、仕事が遅かったり、ミスが多いことに呆れられたり。
私のように急に休んでしまうこともあります。
これでは迷惑がられても仕方がありません。

でも、開き直る訳ではありませんが、それが私たちなのです。
もちろん、私たち自身も努力をしなくてはなりません。
しかし、どうしたらこういう私たちが社会の中で活躍できるかを私たちと一緒に社会にも考えていただきたいのです。

どうか働く機会を与えてください。