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聖地巡礼【深川江戸資料館2】

長屋には表長屋と裏長屋があります。

表長屋は表店(おもてだな)とも呼ばれ、表通りに面して建てられた長屋で、比較的裕福だったり、店を持てる商売人などが住んでいました。

一方、庶民の多くは表通りから入った路地の裏長屋に暮らしていました。

この裏長屋には戸別の水道や便所はなく、町内に井戸と共同便所がありました。
江戸の町は水道が発達しており、神田上水や玉川上水からの水を高低差を利用して井戸に流していました。
大変な技術だと思います。
このような井戸を上水井戸といい、人々はここから水を汲んで桶や瓶(かめ)に溜めていました。
町内の住人が集まり、水を汲みながらおしゃべりをすることから「井戸端会議」という言葉が生まれたのでしょうね。

しかし、深川などのように水道が大川(おおかわ:隅田川)を越えられなかったり、井戸を掘っても水質が悪かった地域があります。
そのような地域の井戸水は洗濯や掃除などにしか使えず、飲料用の水は「水屋」と呼ばれる商人が天秤棒で水を担いで売りに来ていました。
重い荷を担ぎ、生活必需品なので休むこともできない。
水屋はずいぶん大変な商売でした。

奥が便所で、手前はごみ集積所。

開けっぱなしで用を足したり、立ち小便をする人がいたのでしょう。
いつの時代も道徳観念のない人がいるんですね。
また、同時に、そういうことに対して「それは良くない」とする考えがあるもの同じですね。

江戸時代には化学材料はありませんので、食べ物はもちろん、食器などもすべて「再生可能」「廃棄可能」なものでした。
長屋には共同のゴミ集積所があり、使わなくなった食器などはそこに捨てられ、処理業者に売られていました。

ゴミが売れるため、ゴミを拾いに入ってくる不審者もいたようです。

長屋から表通りに通じる出入口には木戸が設けられており、日の出(明け六つ)に開けられ、日没(暮れ六つ)に閉められていました。
六つは今でいうと6時。
明け六つが午前6時、暮れ六つは午後6時です。

この木戸の上にはその長屋に住んでいる人のことや井戸があることが表示されていました。

このような風景を思い描きながら噺を聴くと楽しみ、可笑しみがより一層増します。