見出し画像

落とし噺の話【創作/新作落語のこと】

私が落語を聴き始めたきっかけが高校の国語の先生の言葉だったということを先週書きました。

「落語はいいぞ。それも古典じゃなきゃダメだ。『おーい、田中く〜ん』なんてやってるのは落語じゃない。」

そんなこともあり、私は何十年も古典落語しか聴きませんでした。
しかし、何がきっかけだったかは覚えていませんが、社会人になって何年かしてから創作/新作落語の面白さを知ったのでした。
落語に興味を持ってから30年ほど経っていました。

「創作落語」、「新作落語」、どう呼ぶのが良いのか、分かりませんので、この後は両者をまとめて「新作落語」と書くことにします。

新作落語とは何かというと、古典じゃない落語。
って、これじゃなんだか分かりませんね。
最近作られた落語?
じゃ、「最近」っていつか、ということになりますね。
う〜ん、この定義づけは難しいぞ。
そもそもどんな古典でも作られたときには「新作」だったわけだし。

先日、お亡くなりになった小三治さんがこんなことをおっしゃっていました。
「新作落語がいつから古典落語になるか。それは、最初に演ったのとは別の人がその噺を演ったとき、だと思うんです。」と。
このときの演目は「かんしゃく」でした。
この噺は明治末に作られたそうで、主人が車で帰ってくるところなど、いかにも「新作」という感じがします。
しかし、先代文楽や先代金馬も演っていましたし、「古典」と呼んで良いのでしょう。
同様に「代書屋」や「ぜんざい公社」なども新作落語的ですが、「古典」と言えるのかな。

また、同じく上方の噺ですが「地獄八景亡者戯」などは、古典なのでしょうが随所に今しか通じない描写が盛り込まれたり、演者それぞれの創作による部分が多かったりで、新作の要素がふんだんに盛り込まれていますね。

新作落語の面白さはその噺家さんの個性と密接に結びついている部分が大きいと思います。
その人が演るから面白い、という。
だから、小三治さんの言葉にしたがえば、新作が「古典」の仲間入りをするのはなかなか難しそうです。

そして、とかく軽視されがちな漫談的な「落語」も好きです。
「漫談的な落語」と言えば、先代林家三平。
子どものころから大好きでした。
今、動画を見ても大いに笑えるし、毒がなく、大人も子供も笑える素晴らしい芸人さんだと思います。

と、まあ、別に「これは古典」「これは新作」なんて分ける必要もないと思うし、どちらも面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。
だから、高校の先生と違って、私はどちらも好きです。