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志ん生を観た人
私は実物の志ん生を観たことはありません。
数少ない映像を見たことがあるだけです。
それでも数々の音源をいく度となく聴き、また、本などでいろいろな逸話を読み、まるで観たことがあるような気がしています。
貧乏でも酒をやめず、借金取りから逃れるために10数回改名したという話。
酒が飲めるから、と満州へ行ったという話。
高座で居眠りをしてしまった話。
等など、等など。
志ん生が亡くなったのは私が17歳のとき。
ちょうど、私が落語に興味を持った時期です。
あと少し早く落語に目覚めていれば、と悔やまれるところですが、最後の高座は昭和43年といいますから、私は12歳。
まだ落語に興味を持つには早すぎる年齢かな。
生の志ん生を観たかった。
叶わぬ願望です。
しかし、そんな私にとって、とても嬉しかったことがあります。
あるとき、その頃お付き合いをしていた落語好きの年配の方に何気なく「志ん生を観たことがありますか?」と尋ねると「うん、何度も観たよ。鈴本でね。面白かったよ~」と。
それだけで、嬉しくなってしまいました。
志ん生を観たことがある人に出会っただけで嬉しくてたまらない。
私にとって、志ん生とはそんな噺家です。