落とし噺の話【五代目 柳家小さん】
これまで気まぐれに、ごくたま~に落語や寄席について思うことを書いてきました。
そんな中、書くかどうかずっと迷っていたことがあります。
「お笑い」なのにとても寂しく、悲しいことだからです。
2000年に海外赴任から帰国し、寄席通いを再開しました。
毎週のようにあちこち出かけましたが、欠かさず行っていたのが月に1度新宿の紀伊國屋ホールで開かれている「紀伊國屋寄席」でした。
いつのころからか、五代目柳家小さんが毎回トリを務めるようになりました。
すでに晩年に入っていた小さん。
抑揚はありませんが、淀むことなく、流れるように口をついて言葉が出てきます。
それを退屈と感じるか、話芸の極地と見るか、人それぞれでしょう。
2002年、確か4月の会だったと思います。
いつもの通り、最後に高座に上がった小さん。
演目は「笠碁」。
仲直りした二人が碁を打ち始め…
そして、サゲ。
しかし、その後も碁を打ち続ける小さん。
客席の半分、いや、三分のニくらいが落語通の常連で占められているこの寄席。
この噺に続きがないことは誰もが分かっています。
凍りついたように静まり返った場内。
私も息を殺し、体を硬くして、見守りました。
小さんは碁の次の手を考えている。
と、ドロドロドロドロと太鼓が鳴り、幕が降り始めました。
そこで打ち切ろうと関係者が気を利かせたのでしょう。
しかし、小さん。
厳しい表情でソデに向かって、
「何やってんだよぉ!」
幕が降りるのを止めました。
「さん喬いるか?」
既に出番を終えて私服に着替えた弟子のさん喬が高座に。
丁寧に膝を折り、手をついて師匠の前に座ったさん喬。
大看板であるさん喬の緊張してかしこまった姿に改めて小さんの威厳を感じました。
小さん「ちょっと分かんなくなっちゃったんだけどよぉ」
さん喬「あの…サゲをおっしゃってしまった…ような…」
二人のやりとりがマイクを通して聞こえてきます。
小さん「え?そんなこたぁねえだろぉ」
辛そうなさん喬「いえ…やはり…おっしゃったようです…」
小さん「そっか。じゃ、なんか聞きたいことないか、皆さんに聞いてくれ」
辛さを押し殺し、明るく振る舞いながら、さん喬。
「では、ここから質問コーナーに移らせていただきます。師匠に何かお聞きになりたいことがあれば、どうぞ」
静まり返った客席。
どのくらいの時間が経ったでしょう。
わずか30秒程度だと思いますが、「早くなんとかして!」と祈るような思いでした。
一人の男性が客席から、
「さ、拍手で小さん師匠をお送りしましょう!」
その一言で緊張が解け、拍手に送られ、さん喬に付き添われて高座を降りた小さん。
その訃報を聞いたのはそれから数週間後のことでした。