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大吉原展


上野の東京藝術大学大学美術館で開催されている「大吉原展」を見てきました。

多くの落語の噺の舞台となっている吉原ですから、落語好きとしては是非見なくてはと思い、出かけました。

吉原の様子を描いた浮世絵や絵画、花魁の着物など、資料が数多く展示されており、見応えのある展覧会です。
また、約300頁にわたって展示資料の写真はもちろん、解説が多く記載されている図録を、奮発して購入しました。
3,500円。
吉原を知る貴重な文献だと思います。

ただ、桜が満開の週末だったこともあり、意外に人が多く、ゆっくり見られなかったのが心残りです。
5月までやっているので、休暇をとってもう一度平日に行こうかと思っています。

江戸時代に作られた幕府公認の遊郭、吉原。
「遊女三千人」と言われたほど、男性の相手をする遊女がいたそうです。
その多くは親の借金の身代わりなどで売られてきた女性たち。
そのような女性たちがいる見世(店)が立ち並び、一つの街を形成していたのが吉原です。
この時期には大通りに桜を植えて桜並木を作るなど、まさに別世界だったようです。

現在、「吉原」という地名はありません。
吉原があった一帯は現在の台東区千束(せんぞく)で、数多くのソープランドが立ち並んでいます、あ、じゃなくて、らしいです。
しかし、その地域は今も「吉原」と呼ばれています…らしいです。

さて、この「大吉原展」の開催にあたっては、多くの批判や反対があったそうです。
浮世絵などに描かれる華やかな世界。
最上級の遊女である「花魁(おいらん)」は多くの教養や芸事を身につけ、大名の相手をするほどだったそうです。
その花魁と仮初の夫婦としての一夜を過ごすためには、ただ金を払えば良いというものではなく、まず、花魁に気に入られなくてはなりません。
その上で、芸者、太鼓持ちをあげての宴席を持つなど、吉原の様々なしきたりに従わなくてはならないことが、落語でも描かれています。
そのために一晩で、現在の価格で、数百万円を使わなくてはならなかったようです。

とはいえ、言い方が相応しくないかもしれませんが、所詮は「売春」。
私が落語に興味を持った高校生のころ。
母に「落語を見に行きたい」と言うと、「だめ!落語なんていやらしいことばっかり言ってるんだから」と言われました。
吉原を題材にした郭噺が頭にあったのでしょう。

また、人身売買、人権侵害、女性虐待であることは事実です。
そのようなことを称賛、肯定するような展覧会の開催に否定論が出るのは当然でしょう。

では、何故、吉原がこれほど「美化」されているのでしょう。
何故、数百年にもわたって公然と落語の題材として語られてきているのでしょう。
歌麿、北斎、広重を始めとする絵師の浮世絵や絵画に描かれているから?
しかし、浮世絵は現在でこそ「美術品」ですが、当時はどうだったのでしょう。
写真がない江戸時代には特別なものではなく、今の新聞や雑誌と同じく、一つの情報伝達手段に過ぎなかったわけです。
またすべての「浮世絵」が美人画や風景画だったわけではありません。
最近、静かなブームになりつつある「春画(しゅんが)」と呼ばれる浮世絵があります。
それは目を疑いたくなるような露骨で卑猥な性描写がなされています。
当時、これが公然と売られていたのでしょうか?
おそらく、現在で言えば、歌舞伎町の怪しげな場所で売られている、らしい、アダルトDVDのように陰でこっそり売られていたのではないかと想像します。
ですから、「浮世絵」だからすべてが高尚なものというわけではないと思うのです。
(「性」が高尚ではないと言っているわけではありません)

先ほど、「所詮は売春」と書きましたが、では、現在に置き換えて、一流の写真家がソープ嬢の美しい写真を撮ったら、それが卑猥なものでなかったとしても、市中で売れるでしょうか?
あるいは、ソープ嬢との面白おかしいやり取りや写真で見た高嶺の花のソープ嬢に憧れる純粋な青年を新作落語にしたら、上演できるでしょうか?
できないでしょうし、する人もいないでしょう。

このようなことを考えさせてくれた展覧会でした。

さて、今日は「五人まわし」と「紺屋高尾」あたりにしようかな。

#落語 #大吉原展 #吉原