日本語は悪魔の言葉?
「日本語は悪魔の言葉」と言ったのはフランシスコ・ザビエルといわれています。
主語がなく、省略が多く、敬語という複雑な表現が多い日本語をそう表現したようです。
例えば、日常会話で「私はこれから本を読みます」とは言いませんね。
「これから本、読むよ」ですね。
私たちの日常会話では、日本語を学ぶ外国人がせっかく苦労して覚えた主語や助詞がほとんど使われないのです。
主語がないことで有名な文の一つが、川端康成の「雪国」の冒頭。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
この文の主語は何でしょう。
日本文学者のサイデンステッカーは「The train came out of …」と訳しているそうです。
う〜ん、確かにトンネルを抜けたのは汽車だけど…..
なんか違うような気がしてしまいます。
また「象は鼻が長い」という文章。
この文の主語は何でしょう。
象のような気もするし、鼻のような気もするし…..
「長い」のは「鼻」だから、「鼻」が主語?
だったら「象は」はなに?
日本語独特の特徴を表す表現をもう一つ。
乗り物の中での二人の女性の会話。
「あ、ママ、あそこ空いてるから座んなさいよ」
「いいえ、私はいいから、おばあちゃん座ってくださいよ」
多くの日本人はこの会話を読めばその場面を想像できるでしょうし、また、その場にいても、何の違和感も感じないでしょう。
しかし、日本語に不慣れな外国人にとってはどうでしょう
明らかに年長の女性が年下の女性を「ママ」と呼び、「ママ」と呼ばれた女性は相手を「おばあちゃん」と呼ぶ。
ザビエルならずとも「悪魔の言葉」と呼びたくなる気持ちが解る気がします。
しかし、主語がないからこそ、そこに浮かび上がる情景があります。
また、先ず何について述べるかを言い、次いでその具体的な事柄を述べるという理論的な部分もあります。
そして、その家の最年少者から見た関係で皆が相手を呼ぶという独特の風習。
さらには、相手に対する敬意を表す敬語。
「敬語」と一口に言っても、その中には尊敬語、謙譲語、丁寧語があります。
最近、私が気になっている言葉遣いに「させていただきます」があります。
何でもかんでも、いつでも「させていただきます」と言えば丁寧な言い方だと思っている人が多いように思います。
確かに丁寧な感じはします。
しかし、こんな使い方はどうでしょう?
(選挙で候補者が)「この度、立候補させていただきました○○です」
(電話を取り次いでもらって)「はい、お電話変わらせていただきました」
(手紙を受け取った人が相手に対して)「では、拝見させていただきます」
これらの表現を「おかしい」と思うか「別にいいんじゃない?」と思うかは人それぞれでしょう。
言葉は常に変化を続けているものなので、どれが間違えというつもりはありません。
「させていただく」は相手の許可を得て、何かをするという意味だと私は解釈しています。
しかし、最近は単なる丁寧語に変化しつつあるようです。
たくさんの複雑な要素を含んでいる日本語。
確かに、それを学ぶ人にとっては「悪魔の言葉」に感じるかもしれません。
しかし、その背後にある日本人の気持ちや背景を考えると、そういうものを大切にし、残してゆきたい、と思うのです。