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突然ですが、ジョンジー敦子を知っていますか?

知っているという人がいたら、他の誰かと勘違いしている可能性が高い。名前がクレジットされたのは、これまでに一度だけ。12月5日からネットで連載が始まる小説の挿し絵が本格的なデビューになる。

わたしが書いているその小説とともにイラストレーター「ジョンジー敦子」は産声を上げた。

成り上がり主婦noteで火がついた

はじまりは、8月の終わりに書いたnote。時給1000円から年収1000万円を目指し、「『マツコの知らない世界』に出る!」と言い続けて叶えてしまったハーブ料理コンシェルジュでママ友の小早川愛さんの快進撃を綴った。

ハーブ顔負けの繁殖力で営業に励む愛さんの熱に煽られて1万字を超えたnoteに、これまた熱い感想をくれたのが、のちにジョンジー敦子となる敦子さんだった。

敦子さんは愛さんとは別つながりのママ友だが、愛さんが映画配給会社のGAGAにいたのと同じ時期に別な映画配給会社にいた。「愛さんはわたしを知らなかったと思いますが、わたしは知ってました」と聞いていたので、愛さんのことnoteに書きましたとお知らせした。

かつては愛さんと同じ業界でバリバリ働いていた敦子さん。noteを読んで「いろいろ思い出したり、小早川さんのすごい行動に、読んでる私までなんか脇の下がもずもずしちゃいました」という。

日経ウーマンのくだりでハッとしました。私も大昔、転職運のいい女的な特集で掲載されたことがあるんですが、掲載誌が長らく実家の電話台の下の本棚に入っていたのを親が見つけて送ってくれて、懐かしく見ていました。その時に、親に「これ見せてまた就活したら?」みたいな事を言われて、10年以上何もやらないでいたこんなおばさんにできることはパートだけだし、こんな昔のを見せても笑われるだけだからしないから!と答えた覚えがあります。

日経ウーマンって、そんなにホイホイ載れるものなんだろか。わたしのまわりにも実は載ったことある人がいるのかもしれないが、わたしが「日経ウーマンに載った友人」として認識したのは愛さんが1人目で、2人目が敦子さんだった。どちらも子どもが縁で別々に知り合ったお母さん。たまたま同じ時期に同じ業界にいて、日経ウーマンに載った年も同じという偶然。

「その記事読みたい!」と敦子さんにリクエストすると、画像を送ってくれた。LINEの画面を指でつまんで拡大し、記事を読むと、知らなかった敦子さんのことがたくさん書いてあった。一番驚いたのが、 

「美大出身だったの⁉︎」

だった。映画配給会社に転職する前はデザイン会社にいたという。日頃からササッと描く絵のクオリティがやたら高いなと思っていたのだが、道理でデッサンが的確だったわけだ。

主婦という埋蔵資源

敦子さんから感想LINEをもらった数日前、2月からアムステルダムで働き始めた女友達と電話していた。

「日本の職場の男性率が異常って気づいた。こっちは博物館でもテレビ局でも担当者女ばかりだから出会いがないんです!」

明るく嘆く電話の声を聞きながら、女性の責任者が珍しくない国で生き生きと仕事している彼女の姿を思い浮かべていた。

かたや日本では、日経ウーマンで華々しく紹介されたキャリアでも、再出発はパートから。一旦下りたレールに戻るには、高い壁と深い溝を越えて行かなくてはならない。

美大を出ていても、子どもの幼稚園のバザーのチラシに絵を描くぐらい。もちろんギャラは出ない。そんなもんだと敦子さんは思っていたけど、noteを読んで「脇の下がもずもず」した。自分も何かできるかも、やってみたいという気持ちに駆られた。

敦子さんや、かつての愛さんのように、結婚、出産で家庭に入り、チカラを持て余している人はたくさんいる。アイデアや技術やコミュニケーションスキルや気力や情熱が活かされず、埋もれてしまっている。

そのことを自覚してあがいている人。

あがいてあきらめた人。

まだ自覚していない人。

自覚したばかりの敦子さん。

「埋蔵資源がもったいない!」とわたし。

「そうですよね。お母さん経験済みになってからのほうが、いろいろ端折れたり我慢できたり、だいぶうまく働けるようになってる気がする」と敦子さん。

そんなやりとりからしばらくして、愛さんから「noteを読んで、雅子さんに小説を書いて欲しいって人がいるんだけど、つないでいい?」と連絡があった。

うまく行く予感しかない編集者さん

紹介されたのは、愛さんがハーブ記事を連載しているサイトの編集者、田中真穂さん。元々絵本ナビにいた方だという。「雅子さん絵本好きだし、きっと真穂さんと気が合うと思う!」と愛さんに太鼓判を押された。

編集者の真穂さんのfacebookを見て、過去の投稿に「お!」となった。『嘘八百』シリーズの武正晴監督(『ホテルローヤル』『アンダードッグ』公開中)の2012年公開作品『EDEN』の舞台挨拶回を観に行かれているではないか。武監督が打ち合わせでよく口にするけれど、わたしはまだ観れていない『EDEN』を公開時につかまえているとは、よっぽどの映画通なのでは!

絵本と映画、すでにパイプは太い。強い。

「早速zoomで打ち合わせをしたいのですが」と真穂さんから連絡をもらい、「できれば、初めてなので、会って打ち合わせしたいのですが」と伝えると、「実はわたしも会って話すほうが好きです」と真穂さん。外出を控えている人も多いので、気を遣ってオンライン打ち合わせを提案してくれたのだとわかった。

初打ち合わせの日、わたしが渋谷で打ち合わせを入れていたので、その前に渋谷で会いましょうとなった。指定されたお店は、次の打ち合わせ場所とは渋谷駅の反対側にあり、移動に15分ほどかかる計算だった。ところが、駅に着く頃に「お店が思ったより遠かったので、こちらに変えました」と連絡が入った。変更したお店は次の打ち合わせ場所から5分の距離で、移動時間が10分浮いた。

真穂さんはわたしの次の打ち合わせ場所を知らなかったから偶然なのだが、こういう小さなことが良いほうに転がるのも、うまく行く予感を膨らませてくれる。逆に、打ち合わせの日時がなかなか決まらなかったり、待ち合わせでなかなか会えなかったりする相手との仕事は立ち行かなくなることが多いが、企画より前に気持ちがしぼんでしまっているのかもしれない。

真穂さんとは前からの知り合いのように打ち解けて話せた。間を取りもってくれた小早川愛さんをとっかかりに、ハーブのこと、絵本のこと、子育てのこと、共通の話題が尽きない。

「『EDEN』観に行かれたんですよね」と聞いてみると、「高校時代の友人にたまたま誘われたんです」とのこと。たまたまでストライクを決めてきた。「奇遇ですね」も、仕事がうまく行くサイン。

スマホに入ってた絵を見て即決

真穂さんは成り上がり主婦noteも読み込んでくれていて、「『日経ウーマンとキャリア時代のプライドをそっと鞄にしまった』と『運命の赤い値引きシール』がとくに好きです! あのまま連載したいと思ったくらいです!」と感想を直接伝えてくれた。

話の流れで、「GAGA時代の愛さんを知っているママ友がいて、主婦は埋蔵資源だって話をしたんです」と敦子さんのことを話した。そのときはnoteの反響の一つとして伝えたのだが、「30代から40代の女性3人の日常を描く」というオーダーを受けた連載小説の内容を具体的に詰めていく中で「埋蔵主婦」というワードが何度かハイライトされたように浮かび上がった。

打ち合わせが半ばを過ぎたとき、「手芸やら絵やらすごい能力を持ったママ、いますよね」という話になり、「こんな絵をササっと描いちゃう人がいて」とスマホに入っていた絵を見せた。

「そう言えば、これ描いたのが、さっき話したGAGA時代の愛さんを知っている人で、埋蔵主婦の話をしてた人です」と思い出して言うと、真穂さんが思いがけないことを言った。

「この人に挿し絵描いてもらうの、どうでしょう」

え、そんな簡単に決めちゃっていいんですかと驚いた。敦子さんの絵が仕事になったらいいなと思ってはいたけれど、そういうつもりで見せたわけではなかった。小説に挿し絵がつくことも、それを描く人を探していることも知らなかった。

ひょいと出したカードを不意につかまれて、驚いたけれど、すべてがつながっているようにも思えた。

埋蔵主婦だった愛さんのnoteを読んで、自分も埋蔵主婦だと気づいた敦子さんが、そのnoteから生まれた埋蔵主婦の物語に絵をつける。

敦子さんが引き受けてくれたら進めましょうとなり、敦子さんにLINEを送った。

「LINEに上げてくれてる線画のタッチがすごく良いと思うんですよ。イメージ挿し絵というより、小説のワンシーンを漫画風に描いたらどうかなとか、吹き出し入れてもいいかもとか、妄想膨らんじゃいました」

すっかり描いてもらうつもりのわたし。敦子さんからの返事は予想通りYESだった。

「うわー、ご期待に応えられるかわかりませんが、ぜひ、チャレンジさせてもらいたいです」

そして、「小説を誰より早く読めるのが幸せ」と書いてくれた。

早速、挿し絵の敦子さんと編集者の真穂さんとわたしのLINEグループを作った。グループ名は「埋蔵主婦を発掘する!」。

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テーブルでイラスト個展

「埋蔵主婦を発掘する!」会の初顔合わせ。敦子さんは、これまでに描いた絵を持ってきてくれた。

テーブルに広げられた絵を見て、わたしと真穂さんは、わあ、まあ、ひゃあと歓声を上げた。

年賀状だったり、幼稚園のバザーのお知らせだったり、卒園アルバムだったり。ノートの片隅に描いたスケッチだったり。

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敦子さんは文字も味がある。

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カラーも素敵。包装紙になりそう。

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お子さんを描いたものは、とくに温かみがあって好き。

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りんご模様の布団で寝ている赤ちゃん。
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椅子に腰を下ろし、スプーンを手にした女の子。しましまの長袖にオーバーオール。

LINEのやりとりではモノクロの走り描きしか見てなかったので、挿し絵もそのイメージだったけど、色がついたものを見ると、「カラーいいですね!」となった。

「1話につき数カット」「人物の顔は読者が想像できるよう、シルエットや後ろ姿に」と挿し絵の方針を決めた。

さらに、真穂さんから小説の挿し絵とは別に記事に入れるイラストの発注があった。埋蔵主婦だった敦子さんは、プロのイラストレーターとして活動を始めた。

「ジョンジー敦子」爆誕‼︎

11月のある日、敦子さんと共通のママ友2人と4人で集まった席で、「実は一緒に連載小説やることになって」と報告した。

敦子さんが日経ウーマンに載った話をすると、初耳の2人は「見せて見せて」となり、わたしがやったように記事の画像を指でつまんで拡大して、「わかーい」「かわいーい」「すごーい」と感嘆の声を上げた。

「もっとすごい先輩や同僚はいたんだけど、なぜかわたしが載せてもらえて。ジョンジーすごい、やったなって言われてました」

敦子さんが何気なく口にした「ジョンジー」の響きに、わたしを含めたあとの3人が食いついた。

「ジョンジーって何⁉︎」

そう呼ばれてたんですと敦子さん。

「それペンネームにしたら?」
「いいよジョンジー。なんか気になる!」
「一度見たら引っかかるよね!」

数日後、「ジョンジー単体じゃなくて、名字か下の名前つけたほうがおさまりいいかも」と敦子さんとLINEでやりとりして、ひらがなにしたり、⭐︎をつけたり、オンライン姓名判断であれこれ比べた結果、「ジョンジー敦子」が一番良いということになった。空腹時に見るとジャージャー麺と餃子を連想してしまうが、そんな親しみやすさもペンネームには吉だろう。

真穂さんも気に入ってくれ、小説連載開始前に掲載された下腹しぼりダイエット記事2枚目のイラストで「ジョンジー敦子」が初クレジットされた。

そして、12月5日21時、「イラスト:ジョンジー敦子」の連載小説が公開された。タイトルは『漂うわたし』。

元々ラジオドラマのタイトルで考えていたものだが、打ち合わせのときに口にしたら、それだ!となった。結婚、出産、育児、介護。築いてきた足場を離れることを迫られ、元いた場所に戻れない。寄る辺なく漂いながら足がかりを探し、目的地を見つけ、そこへ向かおうとする3人のヒロインを2話ずつ描く。

描き下ろしのカットとともに楽しんで読んでもらえたら、敦子さんも真穂さんもわたしも幸せ。

物語ができるまでについてはまた別noteに。

「埋蔵主婦を発掘する」を発掘する

2023.4.15 note「埋蔵主婦を発掘する」を発掘する

clubhouse朗読をreplayで

2023.7.8 こたろんさん


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。