「割に合わない」の内訳
110本の下書きから掘り出した1本
noteの下書きに眠っている原稿を順に出していこうとして、数を見たら110本も眠っていた。埋蔵原稿の地層が厚い。掘り出すのもひと苦労だ。(下書きを上書き保存したら一番上に移動する機能が欲しいですnoteさん)
ずらずらと並ぶタイトルを見て、スクロールする手が止まったのが、
「割に合わない」の内訳
というタイトル。開いてみると、2007年6月25日の日記のコピーが入っていた。2005年の6月に広告代理店を辞めてコピーライターと脚本家の二足の草鞋の片方を脱いだので、フリーランスになって2周年の頃だ。
「はっきり言って、割に合わないんですよね」
「お金的には最初から割に合ってないんですが」
なかなか強気な、今より勝ち気な、16年前のわたし。ケンカ売ってんのか。今だったら、もっと言葉を選んで、オブラートに包んで伝える。
ちょうど今朝、朝食を作りながら目を通した少し前の新聞が吉野弘の「祝婚歌」を引いていた。
《正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手をきずつけやすいものだと 気づいているほうがいい》
その通り、と16年前のわたしをいさめたい。
「割に合わない」発言の電話を切った当時のわたしは、そのことについて思いを巡らせ、
《「わたしがやらなくてもいい仕事」にかける時間と労力があったら、「わたしがやるべき仕事」に注ぎたい。それが「割に合わない」の内訳だった》
と思い至る。そして、
《電話の相手に投げつけた「割に合わない」は結局、自分を奮い立たせる言葉だったのかもしれない》
と日記を締めくくっている。
キーボードをすり減らして
日記を読み返すと、自分に向ける言葉もなかなかエッジが立っている。
《会社でわたしが重宝されたのは、いいコピーを書くからではなく、得意先が欲しがるコピーを書けるからだった。自分の考えた言い回しと宣伝担当者が発明した言い回しのパッチワークをこなれたコピーに仕立て直す、そんなことばかりうまくなっていた》
《早くて便利なコピーライター。コンビニと同じでお客さんはひっきりなしに来るけれど、大切なものを頼むときはわたしに頼まず、よそへ行ってしまうだろう》
都合のいい書き手になるのではなく、自分の名前で勝負しようと思い立ち、退路を断ってフリーになった。
《「割に合う仕事にするかどうかは自分次第なんじゃないの」ともう一人の自分が囁く。たとえ仕入れにコストをかけすぎて原価割れしても、コンビニではなく専門店の仕事をするのだ。名前を出すからには、ギャラではなくプライドに見合った仕事をするのだ。フリーランスの意地だ》
自分の言葉に16年後のわたしが奮い立たされた。背中を、いや、ケツを叩かれた。
タイトル画像に選んだのは、ひとつ前のパソコンのキーボード。【A】【S】【H】【K】【M】【N】【スペース】。出番の多いキーの塗料が摩擦ではげている。
何万字書こうと、お買い上げにならなければ、キーボードも自分もすり減るばかりだが、打った文字数の分だけ思い入れがこもる。今使っているパソコンも日々こすられ、削られ、一緒に戦っている。
自分の仕事に値段をつけるのは今も難しいが、「ギャラではなくプライドに見合った仕事をする」は指針になる。ローギャラやノーギャラで舞い込んだ仕事を「ギャラに見合った安い仕上がり」ではなく「プライドに見合ったプライスレス」にできるかどうかは、わたし次第だ。
自分への励ましと戒めを込めて、16年前の日記をnoteに公開する。キーボードはすり減っても、書き手がすり減ることのないように。
2007年6月25日(月)の日記 「割に合わない仕事」
「はっきり言って、割に合わないんですよね」
何度目かの直しを依頼する電話をかけてきた相手にそう告げた瞬間、自分の言葉に驚いた。今井雅子、ついにそういうことを言うようになったか。
電話の相手も面食らった様子で、
「ギャラがご不満でしたら、上に相談してみまして……」
「いえ、お金的には最初から割に合ってないんですが」
ますますわたしはすごいことを言う。だったら何が気に入らないのか、うまく説明できない。
電話を切ってから、「そうか。自分の期待に釣り合っていないんだ」と気づいた。
先週引き受けたその仕事は、まだわたしがあまり実績のないジャンルのもので、ギャラよりも作品を形にできることに惹かれて受けた。けれど、蓋を開けてみると、わたしに求められているのは、クライアントの要求を器用にまとめて形にする作業だった。読みが甘かったのだ。
もやもや感のくすぶりに既視感を覚えて、思い出した。広告会社でコピーライターをしながら脚本を書いていた頃、早く家に帰って脚本を書きたいのに、理不尽な直しが後から後から入ってきて、「こんなことやってる場合じゃない!」と苛立った、あのもどかしさに似ている。
コピーライターの名は広告にクレジットされないけれど、世に出すからには、わたしが書きましたと誇れるものにしたかった。書きたいものと求められているものの折り合いを必死で探っていた。
会社でわたしが重宝されたのは、いいコピーを書くからではなく、得意先が欲しがるコピーを書けるからだった。自分の考えた言い回しと宣伝担当者が発明した言い回しのパッチワークをこなれたコピーに仕立て直す、そんなことばかりうまくなっていた。
早くて便利なコピーライター。コンビニと同じでお客さんはひっきりなしに来るけれど、大切なものを頼むときはわたしに頼まず、よそへ行ってしまうだろう。都合のいい書き手になるのではなく、自分の名前で勝負しようと思い立ったのが、大好きな会社を飛び出してフリーランスの脚本家に転じた動機だった。
好き勝手に書かせてほしいのではない。直すのが嫌なのではない。誰がやっても同じ仕事をしたくない、それだけだ。「わたしがやらなくてもいい仕事」にかける時間と労力があったら、「わたしがやるべき仕事」に注ぎたい。それが「割に合わない」の内訳だった。
恋愛と同じで、違和感をはっきりと自覚しながらつきあいを続けるのは、しんどい。けれど、引き受けた仕事を投げ出すことは許されない。
「割に合う仕事にするかどうかは自分次第なんじゃないの」ともう一人の自分が囁く。たとえ仕入れにコストをかけすぎて原価割れしても、コンビニではなく専門店の仕事をするのだ。名前を出すからには、ギャラではなくプライドに見合った仕事をするのだ。フリーランスの意地だ。
気を取り直してパソコンに向かい、ファイルを開き、もうひと粘りすることにした。電話の相手に投げつけた「割に合わない」は結局、自分を奮い立たせる言葉だったのかもしれない。
clubhouse朗読をreplayで
2023.2.12 宮村麻未さん
2024.2.9 川端健一さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。