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三婆ガラスで連れ立って─北浜東1丁目 看板の読めないBAR「ばばばかり」バージョン

遊びは続くよどこまでも

ナレーターの下間都代子さんの朗読新年会にリクエストされ、書き下ろした掌編「北浜東一丁目 看板の読めないBAR」。

朗読する人、二次創作をする人が現れ、clubhouseで遊んでもらっている。

このnoteを書いている2023年4月28日の前日には、下間さんが講師を勤めるビー・グラッドの研修生たちによる朗読発表会が行われ、clubhouseで中継された。

12人が12通りの「看板の読めないBAR」を朗読。看板の消えた文字に何を思い浮かべ、どんなストーリーを繰り広げるのか、そこに、その人らしさが表れる。実話である場合も、そうでない場合も。「空白は想像を膨らませる余白」だが、余白の埋め方には個性が出るのだ。

それにしても、遊び甲斐のある話を作ったな、わたし。それをよく引き出してくれたな、都代子さん。

都代子さんに感想を聞かれてイサム・ノグチの「遊んだ子どもが磨いて完成するすべり台」の話をしたら、「私、そのすべり台、滑りに行きました」と都代子さん。わたしはコンクール応募時代に新聞で読んだこのエピソードに惚れ込み、創作ラジオドラマ大賞に応募した「制服のシンデレラ」のセリフにも入れたのだが、すべり台に会いに行くことはなかった。

こんなところにも行動力の差が。さすが、テツアツ(鉄は熱いうちに打て)の都代子さん。

都代子さんのブログにも朗読会の様子が。

Twitterでも反響があった。中継ルームのお知らせとともに原稿のnoteを紹介したツイートに、落語好き仲間の坂上薫さんが引用ツイートでnoteの感想を寄越してくれた。

《これを落語にするなら「ばばばかりBAR」?》

坂上さんのこの一文に妄想スイッチを押された。

「ばばばかりBAR」のインパクト。
「客は一人じゃなくていい」という気づき。

「ばばばかり」×グループ客。

三羽ガラスのように喪服を着た老女三人が思い浮かんだ。

三羽ガラスならぬ三婆ガラス。

20年ほど前、「三婆ガラス」というドラマの企画プロットを書いた。未亡人になったおばあちゃんトリオが青春を取り戻すかのように、「これまでやりたかったけれど、家族のことを優先させてできなかったこと」を楽しむ話で、孫に連れられてネイルサロンに行ったり、クレープを食べに行ったりする。

「70歳超えの女優3人が健康なまま撮影を終えられるかどうか、リスクが高すぎる」とプロデューサーに渋られ、成立はしなかった。その後、出演者がほぼ70歳超え、しかも半年がかりという「やすらぎの郷」が放送された。あのとき成立しなかったのは、わたしの力不足だったのだ。

今あらためて「三婆ガラス」の企画を立てるなら、とことんゆるくする癒し系か、とことん尖らせて問題提起社会派か、どちらかに振ると思う。

少し前、80代後半の女性とお話ししたときに、「気持ちは若いときのままなんだけど、体だけが思うように動かないの」と言われた。高校時代の同級生と30年あまり経って集まっても「髪の量も体型も変わったけど、それ以外は変わってへんなあ」と話したりする。

数十年、もしかしたら半世紀の時が流れても、人間の中身は、見た目ほどは変わらないのかもしれない。

などと考え、三婆ガラスが10代の頃からすでに「ばばばかり」だったとしたら……と想像。「ばば」は関西弁でハズレの意味もあり、三婆を関西人の設定に。clubhouseでしゃべりながら書く部屋を30分ほど開いた。

わたしは普段からセリフを口にしながら書いているが、関西弁のセリフはとくにしゃべりながら書くのが向いている。

パソコンのすぐ横にスマホを置いていたので、replayを聴くと、わたしの声よりもパソコンを打つ音が目立つ。臨場感も度がすぎるとお腹いっぱいになってしまう。

ルームを終えてから、テツアツ精神で書き上げた。

読んでくださる方、すべり台を滑るように、遊んで磨いてやってください。

※オリジナル原稿からのアレンジ部分を太字にしています。

今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」ばばばかりバージョン

名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこに人の姿はなかった。

「今、呼んだ?」

三人同時にそう言って、顔を見合わせ、首を振る。

三人とも黒の上下に身を包み、出涸らしの緑茶のような色の紙袋を提げている。葬式の帰りである。半年前、最後に三人が顔を合わせたときも、同じいでたちだった。この歳になると、葬式が同窓会代わりだ。

「今、呼ばれた気がしたんやけど」そう言ったのは、トコ。
「もしかして、連れて来てしもた?」そう言ったのは、私。
「連れて来たて、何?」そう言ったのは、リーダーだ。
高校時代のあだ名で今も呼び合っている。

リーダーは「何?」と聞きつつ、「まさか」の顔をしている。
「もう、高田ぁ。怖いこと言うん、やめて」
「ごめん。言うてみただけ」

霊感なんてものはないと思っているが、一人で先に逝く淋しさはわかる。私だったら、道連れが欲しい。

もう一度、恐る恐る振り返ると、道端に置かれた小さな看板が目に留まった。

「あれ? なんか看板あるけど。BARて書いてる」
と私が言うと、トコとリーダーが看板を覗き込む。
「やってるん?」
「看板出してる、いうことは、やってるんちゃう?」

日はまだ高いが、お酒を飲みたい気分だ。

チョークで手書きされた頭の文字のいくつかが消えている。残されているのは、ひらがなの「か」と「り」とアルファベットのB-A-R。

「看板の文字消えてるけど、何BARなんやろ?」

顔にハテナを浮かべ、消えた文字を想像してみる。

ばばばかりBAR?」

声が重なり、笑い声が路地に弾けた。三羽ガラスのような黒ずくめの三人。その目尻にカラスの足跡のような笑いジワが刻まれる。三羽ガラスならぬ、三婆(ばば)ガラスだ。

「まさかなぁ」

そんなBARがあったら、どんなお酒を飲ませるのだろう。誘われるように地下へ続く階段を降りて行く。三人とも転ばないようにと幅広の歩きやすい靴を履いている。ヒールのついた靴なんか履いて、うっかり転んで骨でも折ったら大変だ。オシャレよりも安全第一なお年頃である。

重みのあるドアを開けると、カウンターの向こうにバーテンダーの顔が見えた。オールバックに髪を撫でつけた男性を勝手に想像していたが、若い女性だった。30そこそこ、といったところか。娘より若い。だが、よそよそしさはない。どこかで会ったことのあるような顔立ちに柔らかな表情を浮かべている。

「お待ちしていました」

鎧を脱がせる声だ。

他に客はいない。

「ここに置かせてもろてええ?」

返事を待たずに三婆ガラス紙袋カウンターの隅に置き、革張りのスツールに腰を下ろす。カウンターに手をつき、「よっこらしょ」と唱和して、肉の薄くなったお尻を持ち上げる。

「ようこそ。ばばばかりBARへ」

おしぼりを出しながら、バーテンダーがそう言った。

「ばばばかりBAR!?」

三婆ガラスの声が勢いよく合わさった。

「ここって、ばばばかりBARな⁉︎」

真ん中に陣取ったリーダーが左右に目をやり、横並びの顔を見合わせる。

ついさっき看板の消えた文字を補って、三人が思いついた名前。それがこの店の名前だった。そんな偶然があるのだろうか。

「ご注文ありがとうございます。はじめてよろしいでしょうか」

三婆ガラスの動揺をよそに、バーテンダーが告げた。

「どうなってるん?」とトコが囁く。
「誰か他の客と勘違いしてるんとちゃう?」とリーダー。

人違いですよと正そうとして、思いとどまった。その三人組は、ある程度、私たちと属性が共通しているのではないだろうか。年齢、性別、醸し出す雰囲気……。だとしたら、注文の好みも似通っているかもしれない。

「このまま泳がせてみよか?」

リーダーがそう言い、三婆ガラスはうなずき合う。

「はじめてください」
「かしこまりました」

バーテンダーがシェイカーを振る音を確かに聞いた。だが、カウンターに出されたグラスはどれも空っぽだった。

「これ?」とトコが顔をしかめ、バーテンダーを見る。
「ご注文の『ばばばかり』です」とバーテンダーは真顔で告げる。
手違いがあるとは微塵も疑っていない口ぶりだ。

ばばあばっかりでバカにしてる、いうわけ?」
リーダーが喧嘩腰になるが、バーテンダーは動じない。
「どうぞ。味わってみてください」
自信作ですという表情を浮かべている

「どうぞ、いうたかて、空っぽやん」とリーダーが噛みつく。
「うちら葬式の帰りで、おいしいお酒飲みたい気分やねん」と私も負けじと加勢する。
「葬式帰りの生き残り
 ばばばっかりの三人組
 三婆ガラスに空のグラス
 何のつもりなん?ボッタクリやん!」
昔から言葉遊びが得意だったトコが、即興で韻を踏み、節回しをつけて歌う。
「Googleにレビュー書いたる! 星ひとつや」とリーダーが吠える。
「こう見えたかて、うちらスマホ使えるんやから!」と私も吠える。

三人がかりで思いつく限りの悪態をついたが、バーテンダーは落ち着き払っている。

「ご感想は、お味を見ていただいてから、うかがいます」

なんと憎たらしい。

「若いからいうて年寄りバカにしたら、いつか仕返しされるであんた」
リーダーがカウンターをドンと叩く。
「うちらの半分も行ってへんのとちゃう? 30かそこら?」
トコに聞かれて、バーテンダーは「25です」と答えた。
「25!?」
三婆ガラスの声が重なる。
「昭和ですよ」とバーテンダーが言う。
「はあっ?」
「昭和25年生まれです。私」
「はあっ?」とまたしても三婆ガラスがのけぞる。
「昭和25年て!? うちらと変わらんやん」とリーダー。
「さすがにそれはないわ」
三婆ガラスが縦皺の刻まれた首を揃って振る。

いくら若造りをしているとはいえ、せいぜい誤魔化せて10歳20歳だ。30そこそこに見えて実は70代というのは、バケモノだ。

「女優ライト、焚いてますから」
涼しい顔をしてバーテンダーが言う。
「え? これ女優ライト?」とトコ。
「確かにこのライトは不自然やわ。バーテンダー照らすん、おかしいやろ」
リーダーがうなずき、続ける。
「ライトのチカラやとしたら、あんた、ほんまに昭和25年生まれ?」
「化粧品、何使てます?」とトコも身を乗り出す。

「ちょー待って」と私が口を挟む。まだお酒が入っていない頭は冷静だ。

「嘘に決まってるやん。空のグラスすすめて味わってみてください、言うような人やで」

途端にリーダーとトコは、せやな、となる。

「バーテンダーもパチモンいうこと?」とトコ。
「食わせもんや。出よ出よ。グラス、口つけてへんからタダでええわな?」とリーダー。

スツールを降りようとするが、若い頃のようにサッと降りられない。怒りに任せようにも時間がかかる。

「せっかくよじ登ったんやし。もうちょっと座ってよか」と座り直す。

ぼったくりだかなんだか知らないが、このまま一人暮らしの部屋に帰るのは淋しい。わびしい。空っぽのグラスを傾けながら思い出話をするのも悪くないではないか。そう思うと、空のグラスでも酔える気がしてきた。

「空白は想像を膨らませる余白」

ぽつりと呟くと、「それ、なんやっけ?」とリーダーとトコが聞いた。

「マウマウが言うてたやん」
「出た、マウマウ?」とリーダー。
「英語の山内?」とトコ。
「山内やなくて山口な。マウンテンマウス略してマウマウ。山内だとマウンテンインサイドになってまうやん」とリーダーがツッコミを入れる。

大学出たてだった英語教師マウマウ。当時は随分年上だと思ったが、60年近く経った今思えば、7、8歳の違いは誤差だ。

「空白は想像を膨らませる余白である」

それがマウマウの口癖だった。英語の長文の行間を味わい、読み物として楽しもうとマウマウは呼びかけていたが、高校生たちにはピンと来なかった。知りたいのは大学合格への近道で、回り道をして景色を眺める余裕がなかったのだ。

「どうせヒマやし、遊びにつき合うとしよか」とトコが言う。
「芝居の心得なら、ある」
「リーダー、言い切ったなあ」と私。
「あるやん、うちら三人とも」
「まぁ、舞台度胸やったら」とトコが言い、うなずき合う。

空っぽのグラスに老眼の目を近づけたり遠ざけたりし、そこにある「ばばばかり」を想像する。さもあるがごとく。さもあるがごとく。

グラスを手に取り、口に近づけたそのとき、「あ……」と声が漏れた。三人同時に。

「何、今の?」
「香り、せんかった?」
「香り、いうか、匂い?」

顔を見合わせ、答え合わせをするように、その匂いを告げる。

「たこ焼き」

鼻先を通り抜けたのは、文化祭のたこ焼きの匂いだった。

その匂いに連れられて、遠い日の記憶が蘇った。

ビートルズの来日に湧いた1966年。同じクラスになって意気投合した三人でバンドを組み、文化祭のステージに立った。エレキギターではなくアコースティックギター。三人で弾いて歌った。女子だけのバンドはひと組だけだったが、よりによって、くじ引きでトリを取ることになってしまった。あとの4組は学年の人気者がボーカルを務め、最高潮に盛り上がった形で出番が回ってきた。

「こんにちは! 『ばばばかり』です!」

場内が微妙な空気になった。ここは笑うところなのだろうかと。

なぜこのバンド名にしたのか、激しく後悔した。

リーダーの名字が馬場で、トコの家は床屋、つまりバーバー。そして、私の名字、高田といえば高田馬場。というこじつけで「ばばばかり」と安易につけたバンド名だったが、関西弁でハズレを意味する「ババ」が揃ったという自虐も含んでしまっているではないか。

動揺が演奏に表れた。音がズレ、歌詞が飛び、せっかく温まった会場が冷えていった。ステージに背を向けて出口へ向かう生徒の流れが太くなっていく。いたたまれず、持ち時間の10分を使いきらずに袖にはける三人の背中に、パラパラとまばらな拍手が憐れみのようにかけられた。

体育館を出ると、出待ちがいた。ベニーだ。いつも焼きそばパンを食べている以外は特長のない、同じクラスの男子。紅しょうがからベニーとあだ名がついた。

「むっちゃ良かったで」

目を潤ませたベニーが「これ、今、買うてきた! みんなで食べて!」と差し出したのが、たこ焼きだった。

匂い
と記憶がよぎったのは、流れ星が通り過ぎるような一瞬のことだった。手にしたグラスからはもう、なんの匂いもしなかった。

グラスから顔を上げた三婆ガラスがうなずき合う。同じ景色を見たようだ。

たこ焼きは8個入りだった。「3で割れんやん」とリーダーが不機嫌そうに言った。「4で割れるで」とベニーは言った。たこ焼きには爪楊枝が4本差してあった。ちゃっかり一緒に食べるつもりだったらしい。それだったら、そこは、「みんなで食べて」やなくて、「みんなで食べよ」ではないか。

「4人目のメンバー気取りやったな、ベニー」とリーダー。
「最初で最後のファン、ベニー」と私。
「ベニーて、なんで、うちらのファンになったんやっけ?」とトコが聞く。
「何言うてるん? うちらが焼きそばパンの歌、作ったからやん」とリーダー。
「そうやっけ。どんな歌?」
「焼きそばなんか、パンなんか、どっちかにせい、いう歌」
「なんか、歌った気ぃする」

「うれしかったんかなあ。女子が自分の歌作ってくれた、て」
私はそう言って、ベニーの顔を思い出す。その口のまわりが、紅しょうがの名残で赤くなっている。

「どっかずれとったけどな。『ばばばかり』て、ええ名前や、焼きそばの『ば』が入ってる、いうて」とリーダー。
「焼きそば基準」とトコ。
「それはそれで幸せなんかもなあ」と私。「なんか偲ぶ会みたいになってる」
「偲ぶ会やん」

リーダーにつられて、カウンターの隅に並べた紙袋に目を向ける。カタログギフトになったベニーに、「なあ、あんた、あれからも焼きそばパン食べてたん?」と聞いてみる。

ベニーが亡くなったと知らせてくれたのは、同級生の連絡網だった。「ばばばかり」は文化祭の1度きりで自然消滅し、ベニーとは卒業以来、会っていなかった。

「献杯しよか。4人目のメンバーに」

リーダーの呼びかけでグラスを持ち上げ、紙袋のほうへ向ける。

ベニーの遺影の下でお焼香をしたときには実感が湧かなかったが、ベニーはもういないのだなと空のグラスを見て思う。ベニーがいたのだな、とも思う。私たちの青春に。そして、今でも。

グラスをカウンターに置くと、「いかがでしたか」とバーテンダーが聞いた。
「『ばばばかり』でした。どういう魔法を使ったんですか」
「ここは『ばばばかりBAR』ですから。お客さまが、この店の名前をつけたんですよ」

バーテンダーがにこやかに告げた。私たちの「これまで」も「これから」もお見通しのような目をして。

頭の文字のいくつかが読めない看板を見たとき、思い浮かんだのは「ばばばかり」だった。それしか考えられなかった。文化祭の演奏も、たこ焼きの匂いも、三人のそれぞれの頭の中にはすでにあった。けれど、口に出すことを避けていた。

10分間の持ち時間に耐えられなかった、あの日。3人では割り切れなかった気持ちとたこ焼きを4人で分けた。その味は覚えていないが、久しぶりに思い出した文化祭の後味は、苦味が消えて、随分まろやかになっていた。

あの日の「ばばばかり」があったから、今の私たちがある。そのことを確かめ合うきっかけを心のどこかで求めていたのかもしれない。「ばばばかり」の日の私たちと今の私たちはつながっている。そう思えたら、風船の端っこを持ってもらっているような安心感がある。

階段を昇り、地上に出ると、文字が消えて読めなかった看板は、看板ごと消えていた。

看板があった場所には、小さなお稲荷さんの祠があった。お供え物の油揚げに三婆ガラスの三人の目が止まる。さては狐につままれたかという顔になる。

「やっぱし化けてたんやな、あのバーテンダー」とトコ。
「あれで昭和25年生まれて、ありえへん」とリーダー。
「店ごと化けられるん?」と私。
「そういうことにしとこ」とリーダーが言い、「な?」と祠に声をかけた。

歩き出した足取りが軽くなっている。ぺったんこの靴で、さっきより大股で歩く。鼻の奥に、文化祭のたこ焼きの匂いがかすかに残っている。カタログギフト、何にしよ、と考える。たこ焼き器、あるかな。あったら、それにしよか。一人でたこ焼き、せんやろなぁ。リーダーもトコも私も何も言わず、駅へ向かう。カラスたちが見下ろす電線の下、ぺったんこの靴の音を響かせ合って、ぺったんこになったベニーを連れて。

物語の種たち

三婆(さんばば)と言えば、聞き手を務めた「産婆(さんばば)フジヤン」。日本最高齢の現役助産師だったフジヤンこと坂本フジヱさんが、和歌山の助産師界で「三婆トリオ」と呼ばれていたエピソードが登場。

マウマウと言えば、「看板の読めないBAR」と同じく、下間都代子さんのおねだりから生まれた「たゆたう花」。「バネで弾む春スプリング」とダジャレ好きな英語教師マウマウこと山口先生が登場。

焼きそばパンは、高校時代からの連想。わたしの母校、大阪の三国丘高校の校門前に「三国屋」というほぼ学食のようなお店があり、そこの焼きそばパンが人気だった。紅しょうがの「ベニー」は、アメリカに留学したときに、Benihana という日本料理屋が人気で、「ベニー」とあだ名がついた日本人留学生がいたことを思い出したから。

「失恋めし」第8話にも焼きそばパンが登場。ロケ地のお店は、北千住のパンやさん「ふらんすや」さん。

「失恋めし」原作には高校時代の思い出のたこ焼きが登場。粉もんとソースは青春の味。

2023.5.8  こもにゃんさん

2023.5.8 ひろさん

2023.5.10 鈴木順子さん 会津弁バージョン

2023.7.11 おもにゃん

2023.11.9 こもにゃん

2024.1.11 こもにゃん

支店「四つばばばかりBAR」誕生

2024.2.22の22:00に公開された、こもにゃんのnote。ばばばかりBARに「四つ葉」と「膝枕」が入り、2月24日の膝枕リレー1000日を前祝い。

おそろいのグリーンのベレー帽をかぶった4人を上から見ると四つ葉のクローバー。そのグリーンが色あせ、友情が続いてきた時間を想像させるのがうまい!


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。