80過ぎた者に元気ですかなんて聞いちゃあいけませんよ
1年ぶりの小石川植物園で
昨年の秋、第2回小石川植物祭目当てに小石川植物園を訪ねた。
1年ぶりだった。その前に訪ねたのは第1回小石川植物祭のとき。前年の植物祭よりずいぶんにぎやかになっていて驚いた。植物祭の花見のときよりも人がいる。キッチンカーには長蛇の列がのびている。朝ドラ「らんまん」の後押しもあるのだろうか。サイトも動画もオシャレで、地に足がついた感じがする。
園内の植物をアイドルに見立てた総選挙なんかもやっていて、樹々に名前のタスキをかけて投票を呼びかけていた。
堺かるたの【そ】の札で「ソテツさえ ないてかえろと いう堺」とうたわれているソテツもエントリーしていた。タスキが似合っていた。撮った写真をタイトル画像にした。
園内を歩いていて、ずっと前、春の雨の日に来たときのことを思い出した。当時80代の余語先生と友人の高田さんを案内した。そのとき聞いた話にカルチャーショックに似た驚きを味わった。80代が見ている景色は、わたしが見ている景色とこうも違うのかと。
当時わたしは30代だった。日記を見ると16年前のことだった。
80BOYSの会─2008年5月3日(土)の日記
先日のシナリオ講座創作論講義でいちばんウケたのが、「いろんな年代、職業、性格の友達を持つと書くものが広がる」という一例として紹介した今井雅子ファン最高齢である80歳の現役医師、余語先生の話。
コンクールに寄せられる脚本のお年寄りは、縁側で渋茶をすすっている人が多いけれど、実際の70代80代はかなり元気。
「アテンションプリーズ、観逃しましたので、DVDプリーズ」とお茶目なメールを寄越してくれた余語先生、観逃した理由は当直夜勤だったから。仕事をし、展覧会やら演劇やら同窓会やら俳句の会やらに精力的に出かけ、実にハツラツ。だから、わたしが描く70代80代は、じっとしていない。
余語先生とは放送文化基金関係のパーティで知り合い、その後、先生の幼なじみを何人か紹介された。最初に紹介されたのが高田さんで、余語先生とわたしと高田さんの3人で会うことが多い。
また集まりましょうねと言っているうちに数年経ち、『アテンションプリーズ』オーストラリア・シドニー編放送のお知らせで久しぶりに連絡を取ると、余語先生から「近いうちにお目にかかりたく思います。なにぶん後がないもので、早めに日をお決めくださいませ」と催促があった。
再会が決まり、「80BOYSの会」と余語先生が命名した。
その日、小石川植物園でピクニックを予定していたのだが、前日からの雨が朝になっても降り止まず、最寄り駅で待ち合わせした80BOYSと「どうしましょうねえ」と顔を見合わせた。昼から上がるという予報だし、とりあえず行ってみましょうと向かうと、園内はひっそりしていて、雨に煙る庭を貸し切りにできた。
雨をしのげるベンチで横一列になり、余語先生の奥様が朝からこしらえてくださったおにぎりとおかず、高田さんが持ってきてくださったシェ・ルイのパンと赤ワイン(グラスも持参)をいただいた。
余語先生と高田さんは小学校の同級生で、他の同級生の何人かにも以前お会いしている。
「皆さんお元気ですか」と尋ねたら、
「80過ぎた者に元気ですかなんて聞いちゃあいけませんよ」と高田さんにたしなめられた。
「どこかしらガタが来てますから。生きてるだけで大変なことなんです。故障しているのがわかっている車に走れますかと聞くようなものです」
では、なんと聞けばいいのでしょう?
「調子はいかがですか、と聞かれたら、なんとか生きてますと答えます」
高田さんはそう言って、「でも、そうすると、お元気そうで、なんて言われるんですよねえ」と不服そうに続けた。
「そろそろお迎えが来そうですなんて言うと、いやいやまだまだなんて言われるんですけど、そこで話が終わっちゃうんです」
では、どう反応すればいいのでしょう?
「いつ頃来るんですか、どうやって来るんですかって聞いてもらえたら、話が続くんですけどねえ」
高田さんいわく、「70代と80代では感覚ががらりと変わる」そうで、「80代はあの世とこの世に股をかけている感覚」なのだとか。
傍らで聞いていた余語先生は、「はあ、そうでしょうか」とピンと来ていない様子で、「余語先生みたいな人は例外ですよ」と高田さんに呆れられた。同い年でも80BOYSの感覚には個人差があるようだった。
そういえば、出会って間もない頃、植物園に行った日からさらに8年ほど前のこと。浅草サンバカーニバルで撮った露出度の高いダンサーのスナップ写真を余語先生が高田さんたち同級生に配る場面に遭遇した。先生は「若返りの薬です」とおどけ、シャレをきかせて処方薬を入れる袋に写真を納めていたのだが、同級生の方々は「私にはかえって毒です」と困惑されていた。
植物園の椿を見ながら、「女房がこの花を苦手で、その理由を結婚してからずっと知らなかったんですが、やっと話してくれましてね。戦争で父親が亡くなったとき、暑い季節で、棺に入れる花がなくて、これだけが咲いていたんですって。真っ赤な椿だったそうですよ」と余語先生は語った。戦争がわたしよりずっと近くにあることは、余語先生も高田さんも同じだった。
その後、余語先生と高田さんの間で「見返りを期待するわけではないけれど、自分がやったことに対して、礼を尽くされたい」という話が白熱した。歳を取って枯れて力が抜けるところもあれば、粘り気が増すところもあるのだった。もっぱらわたしは聞き役で、2時間ほどのティータイムとはお開きとなった。
80BOYSから16年
「忙しい今井さんにおつきあいいただきまして、刺激をいただきました」と恐縮されたが、いつもながら、わたしのほうが元気と刺激をいただいた。やっぱり元気ですよ、余語先生も高田さんも。
と日記は締めくくられている。
今気づいたのだが、80はBOに似ている。一昨年の第60回宣伝会議賞で眞木準賞に選ばれた二宮正昭さんのコピー「60がGOに見える」は、特別課題の《60歳がもっとポジティブに思えるアイデア》に応えたものだが、「80YがBOYに見える」と教えてくれた余語先生と高田さんも80歳の見え方を変えてくれた。
80歳(80Y)は少年の心を持っている。80歳にしかわからない世界も持っている。
80BOYSと雨の植物園を歩いた春から16年。わたしは80BOYSに16年分近づいた。
「どこかしらガタが来てますから。生きてるだけで大変なことなんです。故障しているのがわかっている車に走れますかと聞くようなものです」
高田さんに言われた「生きてるだけで大変」の境地が少しずつ理解できるようになっている。同級生に会うと、どこが悪いかの話で盛り上がり、終わらない。
この世とあの世を股にかけていた高田さんがこの世からあの世に軸足を移し、何年かして余語先生も高田さんのところへ行ってしまった。
他の日の日記にもおふたりは登場していて、ユニークな言葉をたくさん置いて行ってくれている。少しずつnoteで紹介できたらと思う。
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。