子の気持ち、母の気持ち。
ひきこもり。
今の娘の状況は、そうなんだと思う。
「ひきこもり」という言葉を、あまり使いたくない。
娘の状況を受け入れられないというわけではなくて、薄暗い雰囲気の言葉だから。
ひきこもりと言うと、自分の部屋に閉じこもって家族とも顔を合わせないイメージだけど、娘の場合はちょっと違う。
私が離婚して実家に間借りしている関係で、私と同じ部屋にいる。
娘が使える部屋もあるのだけれど、築60年くらいの古い家が娘にとっては怖いらしく、不穏な空気にならない限りは同じ部屋で過ごしている。
HSCの娘は、自覚のないまま無理をして学生生活を送ってきた反動でこうなっているから、エネルギーが満ち足りるのをひたすら待つしかない。
これに関して私ができることは、親であってもきっとそれほどなくて。
できることと言えば、とにかくネガティブな娘に、そんなに悩まなくてもなんとかなると私自身の生き方を見せるくらい。
そんな生活の中で、最近すごく思うことがある。
ネガティブの力は、ポジティブの力よりも強い・・・⁉
私はそう簡単にへこたれない前向きさがあると自分で思っているし、斎藤一人さんをはじめ大きなパワーを持っている方の言葉に毎日触れて、今よりもっとプラスの方向へ行こうとしているのだけれど。
娘が毎日「つらい」「しんどい」という言葉を際限なく口にしているのを聞いていると、こちらまで鬱々としてきてしまう。
「つらい」「しんどい」なんて言うから、どんどんつらいことやしんどいことが舞い込んでくるんじゃないのかな。
逆に「幸せ」「楽しい」と毎日ずっと言っていれば、そこに近づいていくと思うんだけど。
何度もそういう言葉が口から出そうになるけれど、今の娘に言うのは酷だと思ってなんとか飲み込んでいる。
もし言ったとしても、娘からは反感しか返ってこないだろうし、「私のつらさなんてママにはわからないんだ」と孤独感が増してしまうだけだと思う。
母親なら、そういう気持ちにもとことん寄り添ってあげた方がいい。
それはわかっている。
わかっているのだけれど、毎日毎日朝から晩まで「つらい」「しんどい」と言われると、聞いている方もしんどくなってきてしまう。
私の忍耐力が足りないのかもしれないけれど。
娘のつらさは、見ていて嫌というほどわかるのだけれど。
せめて、離れる時間が欲しいと思ってしまう。
物理的に距離を置くため、適当に理由をつけて外出するようにしているけれど、そこでも「行かないで」と引き止められ、いい加減にしてくれ~と思ってしまう。
キャパの小さい母親でごめんと心の中で謝りながら、それでも私自身が自分を保つためには必要な時間。
ひとりで過ごすほんの少しのこの時間だけは、余計なことは考えずに目の前の楽しいことに没頭する。
同じような、もしかしたらもっと大変な状況のお母さんは、きっとたくさんいると思う。
みんな、すごいな。頑張ってるな。
私も頑張らないと。
何年後かにこのnoteを見返して、「こんなときもあったなぁ」と笑いたいと思いながら書いています。
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