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ガウディと自然

サグラダ・ファミリアは、どれほど比較を
絶したやり方がこれを生み出したかを知らずには理解することが出来ません。

「人がどこまで極端に走れるものか知らねばならない。」カタルニャでは、常に、どこまで
極端に走りうるかを知ることが重要だ。これが
あらゆる生成の過程なのである。植物や生きた器官の全てがこうして形成される。並はずれたヴィジョンと緩慢で困難な建築上のメカニズムから
生まれ出た<サグラダ・ファミリア>は、このようにして造り上げられた。」

次のような大聖堂がひとたび完成された場合、
どのような姿になるものか想像してみてください。その高さ、外観、全体の巨大さ、日夜燃え続ける巨大な篝籠(かがりかご)、いく筋もの流れ、
効果を考えて作られた鐘塔を渡って絶えず吹き抜けてゆく風の音、街路に降り注ぐコーラスと楽の音、ゆったりと空に弧を描く動く天使たち、想像を絶した色彩の混ざり合い。


教会の正面には家禽が配置されており、このことが物議をかもしました。ガウディにとっては、
これは天地創造の詩的創造に合致するものでしたが、多くの人々はこれらの家禽たちを、クリスマスの会食のための家禽だと考えたのでした。

聖なるものと俗なるもの、超写実主義に走った
ガウディはノアの方舟に乗って生き延びた聖なる動物たちを描こうとしたのに、それを見た人々は
今夜のディナーに供されるための家畜だと思ったのだとすれば、それはなんとも残念なことだったでしょう。

ふと思いついたのですが、ガウディがサグラダ・
ファミリアで表現したかった立体的で包括的な
世界観というのは、もしかしたら現代のプロジェクシャン・マッピングのような技術を使えば
再現出来るのではないでしょうか。そういう、
観点からしても、やはりガウディには将来の
アートの世界を見越す先見の明があったと
言えるような気がします。

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