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蜘蛛の糸が降りてきたと思ったら、お釈迦様が地獄まで来てくれた6月3日

1年の中で思い出深い日を挙げるなら。
6月3日は、人生のベスト3に入ります。

2019年6月3日のぼくのGoogleカレンダーを見ると
「19:00 婚活パーティ@新宿」
と書いてあります。

そもそもぼくがそれに参加の申し込みをしたのは、当日の18時くらいでした。
夕方に品川で友人に会う用事があり、そこまで自転車で行ってました。
で、帰り道に代々木公園の園内で自転車を置いて「暑いな〜」と思いながら、休憩しておりました。
その婚活パーティを主催していたサービスのウェブサイトをスマホで開いて、
「お、今日これから開催されるこの婚活パーティは新宿だし、残席男性1になっているし、
 直前だからかなんか安くなってるし(2,500円くらいだった記憶)、行ってみるか」
と恐ろしく適当に意思決定をして、新宿に向かいました。
もちろん、自転車で。
服は…何を着ていたのかな、Tシャツの上に半袖シャツを羽織ってくるくらいのめちゃくちゃ適当な服だったんじゃないでしょうか。

ウェブサイト上では、参加人数はぼくが申し込んだことによって、
「男性6、女性6で満席です!」となっていたはずが。
実際に行ってみると、なぜかぼくを含めて男性4、女性3しかいないのです。

ていうか、ぼくは遅刻したんで、行ってみたら男性3人、女性3人がすでにペアになって座ってたので、遅れて着いたぼくはやることがなかったんですけど…。

その婚活パーティはいわゆるローテーション方式(?)というか、ペアで10分くらい話し終わったら、男性が席を立って隣に1つテーブルを動くことで、ペアを変えてまた10分話す。そんな方式でした。

なので、参加者の数が非常に重要なわけですが、まさかの定員の半分しかいないという。
どう考えても、確率上、まともな出会いが得られることは期待できません。

そして1ローテが終わり、ぼくにもようやく会話の時間が与えられたのですが、1人目に話した女性は絶望的に会話が盛り上がりませんでした。
ほかの婚活パーティも行ったことはあるので、初対面の女性と婚活パーティで話したことは何回かあったし、最低限社交辞令的な会話は成立するだろうとは思っていたのですが、このときは本当に沈黙がつづき、滑稽さも漂ってきました。
ぼくは本当に会話が下手なのです。異性との会話はもう、特に絶望するほどに。

そんな中、次のローテ。
2人目に話した女性は、ところがどっこい、とてもいい人でした。
一生懸命会話を盛り上げてくれて、1人目でもはや疲れていた僕のよくわからない会話に耳を傾けてくれました。
なんて素晴らしい人なんだと思いました。

そして、最後のローテ。そうです、女性は3人しかいないので、これが最後のペアです。
なんというか…1人目の方よりは会話はできたんですけど、まあやっぱり会話はまったく盛り上がりませんでした。
もう、何を話したらいいのか全くわからず。

ということで会話が終わり、たしか2ラウンド目もあったような気がします。
予定人数よりだいぶ参加者が少ないので時間余ってますから。
しかし2ラウンド話しての感想は1回目の感覚が強化されただけでした。1人目の方と3人目の方とは、ほぼ会話になっていなかったと思います。

そして疲れのたまる会はようやく終わりの時間が来ました。
最後に、連絡先交換用のペーパーを、自分が連絡先を渡したいと思える相手(の参加者番号)を書いて、運営スタッフに渡す、というイベントがあります。
つまり、相手に直接渡すのではなく、運営が仲介して渡すわけですね。

このときのパーティでは、その紙は何枚書いても(=何人に渡しても)OKでした。パーティによっては、1枚だけしか書けない(あるいはアプリを使い、1人だけに「気に入りました」を送信する、みたいなケースもある)とかもありますけど。
ぼくは、もちろん2人目の人に向けて、連絡先を書いた紙をスタッフの人に渡しました。
人数上限がなかったから、1人目と3人目の方に渡してもいいんですけども。いやさすがにそれは難しい…と思いました。

しかしここで、単純な比較の原理が作用することに気づくわけです。
ぼくは2人目の方をとてもいいと思ったわけですが、ぼくの基準で考えれば、ほかの男性参加者3人も、全く同じことを思うのではないか、と。
見方を変えて、ぼくがその女性の立場になれば、言い方はアレですが、少なくとも4択あるわけです。
だって、多分連絡先の紙をその女性は4枚もらうでしょうしね。
そして、それは「少なくとも」でしかない。その女性はもしかしたら他にもたくさんの婚活パーティや、あるいは合コンなどにも行っている可能性があるでしょうし、あるいはマッチングアプリも使っているかもしれない。
あれだけ出来た人なのだから、多分どこに行ってもモテるに違いない。

そんな前提を考えると。
適当な服を含めて何一つ外見に対する努力の痕跡が見られず、遅刻して自転車でやってきた変な男性と、連絡を取る必要性なんかマジでないわけです。

と、そんなことに気づき、「あー、もう早く帰りたい」と思いつつ、しかしその婚活パーティの運営ルールとして、女性陣が先に帰る仕組みになっていました。
つまりそれは、参加者男性による「その場での声がけ」や「出待ち作戦」の防止ですね。
そのパーティで参加者ができることは、人数分のペアトークと、最後の連絡先を希望する相手に運営経由で渡す。ただそれだけなのです。

女性3人は先に部屋を出され、それから10分ほど経ったでしょうか。男性陣にも、運営から「女性が連絡先を渡したい」意思表示封筒が渡され、部屋を出ることが認められました。
下りのエレベーターのなんともいえない空気を今でも覚えています。

その男性集団は、生態的ニッチを巡って、競争になるかもしれない個体どうしなのかもしれない。
いやでも上述のようもっと広げて捉えれば、今日この日がなんにもならない一日で終わる可能性の高い人達の集まりだ、とも言える。
むなしい…。

ビルを出て、封筒をあけると、2人目の女性からの連絡先が書いた紙が出てきました。
なんと! びっくりです。
これはもしかしたら地獄にたらされた蜘蛛の糸なのかもしれない。しかし、みんながワラワラ登ると、あっという間に切れてしまう糸かもしれない。
とはいってもぼくが取る選択肢は、そこにメールする、しかないんですよね。
が、さすがに疲れた。メールは家に帰ってからにしよう。
そう思って夜の甲州街道を自転車を漕いでいたら、携帯に1通のメールが来ました。
なんとなんと! 2人目の女性からのメールでした。
これは、さっきよりも、もっとびっくりしました。
婚活パーティで、女性からメールが来るなどというのがあるわけがないと思っていたし、事実そんなことはかつて一度もなかったから。

メアドを書いてくれた紙を、ぼくは蜘蛛の糸だと思っていたけれど。
糸を掴んで登らなくても、お釈迦様のほうから糸を伝って地獄まで話に来てくれた。
そんな奇跡でした。

あと何回婚活パーティに行ってもこんな奇跡は起こらなかったと思うし、行けば行くほど何もできない無力感で疲弊して、より地獄は度合いを増していたことでしょう。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」では主人公の犍陀多は糸を登る中で邪心がもたげ、ふたたび地獄に落ちました。
まさか現実には、お釈迦様が来てくれることで地獄を出られる裏技があるとは思いませんでした。

…そして。
そのメールは、ぼくのおくさまからの、初めてのメールでもありました。

2019年6月3日、あの謎の婚活パーティで、ぼくに出会ってくれて、そしてメールを送ってくれて、本当にありがとうございました。

いまぼくが生きている意味を感じることができているこの日常は、まちがいなく、あなたの存在のおかげです。
ありがとうございます。


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