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結婚して、おくさまの苗字に変えて、幸せです。

こんにちは、Masakiです。
このnoteは、ぼくと、妻(以下、おくさまと表記)が、2020年2月2日に婚姻届を出して入籍した際に、戸籍上でおくさまの苗字を選択した、という経緯と内心をまとめたものです。
「なんで普通に夫側の苗字にしないの?」「婿養子なの?」といった質問をいただくので、そのアンサーとして書いてみます。
書いてみたら、なぜか9,600字もありました(笑)。なので、目次を見て、気になるところだけ読んでもらえたら幸いです。
ちなみに、「価格500円」となっているのは、完全にスルーして大丈夫です!読み終わったあとに、もしも「面白いなー」と思っていただけたなら。noteの購入機能を使って、ご祝儀的に500円送っていただけたら、これからの励みになります、という遊び&実験です。普通に全文無料で読めます&全然買っていただく必要はないのでご安心ください(笑)。

1. 氏・姓・苗字と家制度の歴史をざっと見てみると

そもそも「氏」「姓」「苗字」って何が違うの?
「選択的夫婦別姓の導入」に概ね賛成していたものの、そもそも根本的なところを、知りませんでした。ということで、本を借りてきて最低限の勉強をしました。

本書は日本の苗字と名前というものの経緯を学術的に丁寧に、かつ一般読者でもわかりやすく書いています。
要するに、歴史を遡れば「氏、姓、苗字」それぞれ意味と役割の違いがあったけれど近代、現代になるにつれてどんどん境目がなくなったということです。

これと並行して、家制度についても、明治期以降この150年程度で大きく変容していることは、多くの人が認識していると思います。
ぼくなりにまとめると
【江戸時代】男女どっちでも良いけど家(財としての農地)を継ぐことが最重要。血縁じゃなくても養子をとる
【明治時代】男系が家を継ぐことが絶対。なお養子文化は薄まり始める
【戦後】憲法・法律上は男女同権が明示されるも、慣習的には男系で家を継ぐ文化はほとんど変化なし。養子をとるケースはさらに減る
【21世紀】結婚しなくて良いという風潮も強まる。地域共同体の衰退と共に、イエ文化も弱体化。養子文化は衰退

この家制度の慣習を反映してか、明治時代の旧民法では1898年(明治31年)に「夫婦同氏」にすることが定められています。

夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
(出典 http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html )

ここでのポイントは、「夫側の姓に合わせよ」という法令ではなくて、「家の氏に揃えよという法令=実質的に夫の姓にすることになっていた」という構造があった、ということでしょう。
しかし、戦後の1947年(昭和22年)、改正民法が成立して、夫婦同氏の原則は不変であるものの、男女平等も盛り込まれたために、夫、妻いずれの姓でもOKと変わりました。

夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。
(出典 同上)

夫婦同氏の原則を変えずに、男女平等を入れたものの、家制度はそれなりに残り続けたため、実態としては名ばかりの「夫または妻の氏」になった(=ほとんど夫の氏を選び続けた)と、まとめられるでしょうか。

2. 現代でもなお、ほとんどみんな夫の姓を選んでる

さて、時代は下って、現代、21世紀になりまして。もはや結婚こそが唯一正しいという価値観は、たしかにそれを強く持つ人は一定割合いるものの、そうでない価値観の多様性を訴える人が増えました。私自身も、後者の側です。
とはいえ、結婚自体が善だ悪だということはないと思っています。あくまで幸福のための手段と制度として、使いたい人たちは使えばよい

ただし、結婚という制度は構わないけれど、夫婦同姓の強制は、不便である、アイデンティティ喪失につながる、キャリア上の損失になる、などの理由から、「選択的夫婦別姓」を認めるべきだという議論が起きています。

↑こちらの記事に事例が詳しいです。

↑内閣府の統計では選択的夫婦別姓に賛成は42%とあります。

しかし、国民の広い合意があるという状態にはまだ遠く、法律を変えて、選択的夫婦別姓が認められる日は、相当に先だろうと感じます。おそらくはあと数十年は、少なくとも。

では現状で、結婚している人たちは実際にどちらの姓を選んでいるのか?気になるところです。

こちらの人口動態調査にあるように、96%の夫婦が夫の姓になっています。たった4%が妻の姓です。

ここがぼくには引っかかりました。
結婚に際して、妻の姓を選ぶか夫の姓を選ぶかについて充分な話し合いは持たれているのか? それを支援する社会・文化は存在しているのか?
この点に、問題の根源があるように思えたからです。

今日の日本で結婚をする人(初婚)の5割が選択的夫婦別姓制度に賛成、と仮定します。現実には、結婚により戸籍上は同姓にしなくてはいけないため、やむを得ずに夫または妻の姓を選ぶことになります。
であればそこに、充分な話し合いがあるなら、確率分布上、選ばれる姓は夫側、妻側ともに1:1になるはずです。
つまり計算すると、結婚により新戸籍で妻側の姓が選ばれる割合は、50%(夫婦別姓支持カップルの推定割合)*50%(妻側の姓が選ばれる確率) = 25%程度はあっても良いはずなのです。つまり、4組に1組は妻側の姓になってよいはず。しかし現実には4%、25組に1組に留まっています。

ということは。
(選択的)夫婦別姓を支持するカップルたちの中だけで考えたときでも、結局法の下にどちらかの姓を選ぶとなったら、「慣習的に夫の姓を選んでいる」夫婦たちが(25-4)/25 ≒ 84%くらいいるのでは? と推定できます。
 
ここを踏み込んで推測すると、言葉を選ばずに書くなら、
「選択的夫婦別姓制度の成立を個人としては支持・期待するが、現実に結婚するならやっぱりオレの姓にしてほしい」と思う夫と、それを「そういうものだから仕方ない」で是認する妻、という構造が多数派なのでは?
あるいは、夫側の実家のプレッシャーが強力で、そこで抵抗する余地もない、というケースも相当割合ありそうですが。あるいは、そこでの実家とのバトルを引き起こしたくないから、妻に犠牲になってもらう、というケースもあるかもしれません。

3. ぼくとおくさまが選んだ道

ぼくは、ここまでつらつらと現状批判を書いておいて恐縮ですが、じつは現状に対して、さしたる怒りも悲しみもありません。慣習に生きる人たち(特に両親世代の親族たち)の前提や観念を変えるというのは、とてつもなく難しいからです。そこに怒りや悲しみを感じてもしょうがないなーと。
 
しかしながら、実際に結婚する夫婦の中には「妻が望んでいないこと(新姓への変更)を慣習・通例・あるいはイエが望むから、というよくわからない理由で、対話の機会も作らずに押し通している夫が多いのだろう」と想像したわけです。

それを踏まえて、自分たち夫婦が結婚するにあたり、じっくりと考えてみました。

「因習的に夫側の姓に変更することを、パートナーに当たり前のように要求する自分」
この姿を想像すると、絶対に、イヤでした。いやいや、それダサすぎるだろと。

ということで長くなりましたが、結婚を決めた時に、その日のうちに、ぼくはおくさまに「自分のほうが苗字を変えるよ」と提案しました。

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(↑タリーズで話しました・笑)

なぜ、ぼくが姓を変えることにしたか?
対話抜きで夫側の姓になることを押し付ける構造がキライという理由はたしかに大きかったかもしれません。しかし最大にして、いちばん合理的な理由は、「現実的にぼくが姓を変えるほうが、夫婦の中での負担総量が減る」ということが確実だと予測したからです。

かんたんにぼくら夫婦の職業と時間的余裕、スキルセットを整理すると。

【ぼく】
仕事: フリーランスのコミュニティ・マーケター。
勤務日: 平日(月〜金)のうち週3程度。勤務シフトも融通が効く。
スキル: ググって、事務処理全般を効率的にやるのが得意。

【おくさま】
仕事: 企業勤務の正社員。
勤務日: 平日(月〜金)に、9時〜18時。勤務時間のシフト変更不可能。
スキル: あまりPC処理や、役所の手続きは得意でなく、負担を感じる。

そして一番大きな構造問題は、うちのおくさまに、今年度の有給休暇が残っていないことです。実は数ヶ月前に体調を崩して、会社を何日も休んでしまい、有給を使い切ってしまいました。

さて、この状況で結婚して、苗字を変える役所や銀行の手続き(平日でないと受け付けてくれないもの多数)が発生することになりますが。
仮に、おくさまに姓を変えてもらうと何が起こるか。まず平日が勤務日なので、休みを取らなくてはいけませんが、すでに有給を使い果たしているために欠勤日数が発生して金銭的に損をしますし、職場での評価も低下する可能性があります。さらに、PC操作や事務処理がそこまで得意でないので精神的にも時間的に負担が増えてしまいます。
一方で、ぼくがおくさまの姓に変えるとどうなるか。別に平日も常に週2日くらい空いてますから、そこで作業できます。しかも、ググるとか効率的な事務処理とかが得意。全然苦になりません。
もちろん事務手続きにコストはかかりますが、ぼくがやってもおくさまがやっても同じコストは出るのだから、そこは特に理由になりません。
 
ということで、合理的に考えて、ぼくが姓を変えるべきなのです。
 
もちろん、選択的夫婦別姓が認められる日本にすでになっていれば、ぼくもこんな手間をかけないで済むので。できればぼくが結婚する前にそうなっていて欲しかったのですが(笑)。現実、ぼくらは今、結婚したかったんで、これを選びました。
この決定は、特にそのプロセスに、誇りを持っています。おくさまの状況、自分の状況をよく考えて、提案して、話し合って、合意に至ったからです。
 
おくさまの両親には、まず彼女から話してもらい、そのあとでぼくから説明しました。
うちの両親には、ぼくが説明しました。
 
余談ですが、このプロセスは、あくまで「姓を変える説明」であって「姓を変える承諾をもらう」ではありません。結婚そのものも、ですが、もちろん。承諾をもらう必要はありません。
それこそ日本国憲法第24条には、「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する」とあるのですから。結婚にあたり、親の承諾をもらう必要はないです。
 
このように書くと、ぼくやおくさまが、それぞれの両親と仲が悪いように見えるかもしれませんが(笑)別にそんなことはないです。
単にここで「両親の承諾」という発想になってしまうこと自体が、戦前くらいまでの「イエ」因習の残り香ではないかと思っていて。
ここに関して言えば、日本国憲法24条にはとても良いこと(両性の合意のみでの成立と、権利の平等)が書いてあるわけです。

ちなみにこの発想はぼくのオリジナルではなくて、えらいてんちょう氏の本で知った考え方です。書籍へのリンクをつけておきます。

さて参考までに、「妻側の姓に変える決定」に対する、ぼくの両親のリアクションについて、記しておきます。
結婚すること自体は、おくさまと決めた直後に、両親に先に報告していました。そして、おくさまとも後日に会ってもらい食事をしました。
その翌日、実家で、ぼくと父母と3人のときに、「妻側の姓にする」と説明しました。ふたりとも、それはまあ、びっくりしてました。

それはそうです。
「長男」であり「一人っ子」である息子が、なんのためらいもなく、結婚にあたって、妻の姓にするのですから。
しかもうちの父母はともに70代。結婚したのは1980年代とかですし。だいぶ古い時代の影響が残っています。

姓の変更理由に関して、僕の説明はシンプルでした。
「妻に苗字変更させると妻の負担が大きい。ぼくは愛する妻にそんなことで負担はかけたくない。ぼくが変えれば合理的。特にそれ以外にはない。」

父は正直ちょっと、困ったようにも見えました。母は、驚きつつも、すぐにいろいろ理解してくれたようで、笑って応援してくれました。名言とともに。

「苗字が変わったところで、DNAが変わるわけではない。あなたは私の息子だし、ここはいつ帰ってきてもよいあなたの家よ。私達は先に失礼するのだから、やりたいように生きなさい

父も、母がそう話したら「まぁ、仕方ないね」みたいな感じでした。ぼくは、本当に素敵な母に、育ててもらったと心から思い感謝しています。

後日追記: 結婚して苗字を変えるという話をした1ヶ月後、母は肺がんで亡くなりました。その話についてはこちらに書いています。

結婚して半年、母が世を去って6ヶ月
https://note.com/masakit/n/na630b85e3fb6

4. 好きなように生きることを尊重し合う文化、それを支える制度を

長くなってきましたが改めて、思いを整理しておきます。

先に書いておくと、別にぼくは、選択的夫婦別姓の実現のために立ち上がってアクションを起こす予定はありません。

そもそもぼくは、結婚じたいがずっとずっと、イヤだったのです。何がイヤかというと、「早く結婚しないと一人前ではない」という社会の空気が、一番イヤでした。

もっというと、結婚どうこうもあるけれど。制度的な話とは別に、性自認や性的指向の点に関しても、無思考の同調圧力がおかしいと思っていました。「ヘテロセクシュアル(異性愛者)」以外は人にあらず、みたいな空気が、気持ち悪くて仕方なかった。

2年ほど前。知人主催のとある読書イベントに参加して『13歳から知っておきたいLGBT+』という本を読み解いた時に、それまで感じていた違和感が、急激に明確に知識と概念として自分の中で構造化されたのを感じました。

詳しくは、上にリンクを貼った本(またはLGBT+に関する適切な書籍)を読んでもらいたいのですが。要点を言えば「性的指向は白か黒かではなく、グラデーションの中にある」ということです。
100%男という性自認で、性的指向の向かう先は100%女。日本社会だと、唯一これが「正常な」男性の姿とされ、それ以外は蔑称を投げかけられがちです。
でも、そんな「正常」とは、制度と因習が作り上げてきた共同幻想以外なにものでもない、ということです。
自分の性自認が揺らいでもいいし、性的指向が向く先も、ヘテロでなくてもいいし、バイでもいいし、あるいはアセクシュアル(無性愛)だって構わない。
またあるいは、恋愛感情を抱く相手も1人でなくて複数人同時だってよいわけです(ポリアモリー)。

因習を取り払って、世の中に生きる多様な人の性自認や性指向に関心を寄せることで、初めて自分自身はどういう状態にあるかをフラットに考えられるようになった、と思いました。

そのうえで、たぶんぼくは性自認は男だし、性的指向は女性に向いているだろうなーと認識しました。でも、あまりその欲求が強いほうではないだろうなぁとも思いました。

ぼく自身、ほとんど女性と付き合ったことがないのが、ある意味ではずっと自分の悩みでもありました。どうやって女性と仲良くなっていいのかさっぱり分からなかったので。
しかしそれも、性的指向の欲求パワーが大して強くないと認識すれば、「好みの女の子とつきあうことの実現のためにPDCAサイクルを回す」みたいなモテ男になるための教本(笑)によくある"モテの原理原則"がしっくり来ないのも当たり前だなー、と思えるようになりまして、実に気楽になりました。

と悟った時に、むしろ「無理ない範囲で、誰かを好きになれたらいいなぁ」とは思うようになりました。

結婚については「明らかにこれ制度疲労起こしてるし、むしろこの制約が強いからこそ結婚を選びたくなくて、少子化の一因にもなっているのでは」ということも、LGBT+的視点も含めて、明確に見えるようになってきました。
そうなってくると、むしろそのカルチャーと戦うよりも、「結婚は当然」という空気感自体が、「もはや自分にとってはどうでもいいじゃん」と思えるくらいに、自分のマインドセットが変わってきたことを感じました。
 
面白いもので、「結婚しないと半人前」という空気を必要以上に感じすぎていた頃には、「絶対に結婚なんてしないわ(ていうかできないわ)」と捨て鉢に、反抗的に思っていたのに(笑)。そこから思考が自由になると「場合によっては結婚してもいいなぁ」と思うように、変わりました。

そして、昨年6月に、ほんとうに思いつきで参加した婚活パーティ的なもの(といっても参加者が、男性4人、女性3人しかいなかったので、それパーティって言えるのか?笑)で、たまたま、現在のおくさまと出会いました。

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(↑ちなみに、婚活パーティーでは、こんなプロフィールシートを書くのです…)

会場でほんの10分ほど話し、連絡先だけを交換して、その日は帰り。そこからメールをつないで、デートの日程を決めていきました。1ヶ月ほどの間で、3回ほどのデートをした後、ぼくが交際を申し込んで、それを受け入れてもらって、無事に付き合うことになりました。そして、ちょうど半年がたった今年1月4日、話し合って結婚を決めました。そして、今年2月2日に、婚姻届を出してきました。最初の出会いから、結婚まで、ちょうど8ヶ月でした。

おくさまも、驚くくらいに、ぼくに似ている経験を持っていました。
「結婚しなくてはだめ」「行き遅れるよ」という社会的な空気に苦しめられていました。
おくさまの素敵なところは、友人や同僚など周りの人の結婚は心から祝福していたところです(ぼくは正直100%祝福できていたか分からない)。
しかし、「人の結婚を祝う」ことと、「自分も結婚したい」と感じることはイコールではありません。これもまた、社会の中では、イコールにされがちなところです。「○○も結婚したんだし、そろそろあなたもね」みたいな、心無い言葉が、きっとおくさまを苦しめてきたんだと思います。
ぼく自身も「なんで全然結婚しないの?てかそもそも彼女とかいないよね?どうするの?」と指摘されるのが怖かったのです。

という、結婚を求める社会の空気がイヤだった、僕とおくさま。最初出会ったときは、まったく結婚の話はしませんでした(一応婚活パーティで会ったはずだけど・笑)。
そして、だんだん打ち解けるにつれて、価値観について、深い話もするようになりました。
ぼくらは2人とも、社会からの「なんで結婚しないの?」が辛くて。でもとりあえず何か行動してみるかー、とおもって、あの日思い立って婚活パーティ的なものに参加したことが、後にわかったのです。

半年間、交際を続けて、いろいろな楽しいこともあったし、上述のとおり、おくさまの体調不良の時期もあって、辛いときもありました。でも、話せば話すほど、「この人と想い合って生きてることは、素敵なことだなぁ」と思うようになりました。

「あれほどイヤだった文化としての結婚だけど、このひととなら、全然気軽に楽しんでできそうだな」と、ぼく自身は、無意識下で思うようになってきました(たぶん言語化するとこんな感じ)。

そして今年1月に、会話の中で、自分でもおどろくほど自然に、結婚の提案をしました。そして、おくさまから、すぐその場で、快い返事をもらいました。
いま考えると、プロポーズはロマンチックでなくてはならない、みたいな"常識"からも自由でした(笑)。

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(結婚を決めたのは、お正月に行った鎌倉・江ノ島旅行での途中です。この写真は江の島灯台の上に登って撮りました。よい日でした)

さて。
ここまで書いてきたとおり、そもそも「結婚」が意味するもの自体が、現代では多様になっていると思うのです。
昔ながらの家制度の継承装置として捉えている人もいるでしょう(若い世代でも結構いるんじゃないか)。あるいは、社会人が必ず成し遂げるべき儀式・イニシエーションであると捉える人もいるでしょう。そして中には僕たち夫婦のように「さも当然すべきものとして話題が出ると、嫌で嫌で逃げたくなる」人もいるのです。
逃げるは恥だが役に立つ、まさしくそんな感じです(強引)。

最初に書いたとおり、ぼくは選択的夫婦別姓には概ね賛成です。賛成ですが、繰り返しになりますが、そもそもの結婚・婚姻の「当然論」自体に違和感があります。そして、ぼくら自身が結婚したかったこの2020年1-2月のタイミングでは制度として実現してなかった以上、もはや夫婦別姓に当事者としての強い希望はなくなっているのもまた事実です。
現行の憲法・法律・制度の定める範囲の中で、ぼくはおくさまと話し合って、望ましい選択をしたと思っていて、それに納得しています。

どちらかといえば、それこそ生物学的な男性同士、女性同士の同性婚を認めることがまず実現すべきだとは思います。また、婚姻という形を取らない事実婚と呼ばれるカップルに対しても、育児などで夫婦と同等の公的支援が受けられる制度が整うべきだろうと思います。それらは結局現行の憲法・法律の中ではどうしようもない困難であり、権利が侵害されている場合もあるでしょう。それの改善は、早くなされるべきだろうとは思います。
合わせて、性的多様性への理解などがもっと広まるためにはどうしたらいいのかなとも思うし、同じようなことは外国出身者への差別を減らす等にも言えると思っています。

5. 実際に結婚してみてどう思ったか

ここまで書いてきたとおり、「結婚は当然」な空気が苦しかった2人ですが、いざ結婚してみると、あまりの効果絶大さに、驚きを隠せません。なんか、インチキくさい通販番組のキャッチコピーみたいになってます(笑)。でも、実際そうなんです。

お互いが、助け合うことを約束した存在であるということ。そこに、一切の迷いがなくなり、100%の信頼前提で行動できるようになりました。
変なたとえですが、それまではほどほどのプロダクトを提供して、ほどほどの利益率だった株式会社"彼氏と彼女"が、「ケッコン」契約によって、いままで発生していた取引コストが完全にゼロになり、同時にプロダクトの価値も急上昇。新しくなった株式会社"夫婦"では、総体として利益率が爆上がりした、みたいな感じです(笑)。

だからといって、ぼくは、知人友人あるいは広く誰しも彼しもに、結婚を薦めるつもりはありません。偏屈かもですが、「結婚しないと半人前」の社会的空気が苦しかった、かつての自分とおくさまみたいな状態の人に対して、プレッシャーになるような言葉を、決して投げつけたくはないのです。
 
しかし、ぼく自身に関して言えば。結婚して、本当に良かった。
結婚前には、「彼女を愛している」とは恥ずかしくて、けっしてオープンに言えなかったけれど。
いまは「おくさまを心から愛している」とためらいなく言えます
それだけでも、けっこう、幸せです。
 
ちょうど先日、結婚後の夫婦はじめてのデートとして、慶應義塾の日吉キャンパスで開催されていた「デュアルキャリア・カップルの幸福論」シンポジウムに参加してきました。

結婚25年以上になる夫婦3組の方が登壇されていました。その話をきいて思ったのは、「愛を伝え、それをアップデートしていく。互いを認め合い、敬意を持ち続ける」と、結局こういうシンプルかつ関係性の本質を磨き続けていくことが大事なんだ、ということです。まさに、結婚生活は「長旅」だと思います。
その長期に続けていく「旅」に比べれば、結婚時点の苗字なんて、本当にどうでもよい。どうでもよいことではあるが、手間やアイデンティティ、親族関係のアレコレに切り離せない部分もある。それも分かります。
夫婦関係の主体者は、その2人をおいて他にないのだから。外野の声は参考にしてもいいけど、最初から最後まで2人で十分に対話して、納得いく選択に至ることが大切だと思いました。ぼくの場合でいえば、そのプロセスを実現させたことが、今の幸せの原動因の1つになっています。

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(↑慶應義塾のイベントに夫婦で登壇され、《要するに愛》と力強く語る前野 隆司SDM教授)

さて。役所に行って、いろんな書類の苗字変更を完了させてきます。まだやっていなかった(笑)。

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