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夢を諦めない。苦しくても朗らかに。叩かれてもしなやかに|絵本作家のぶみの自分史

絵本作家になろうと思ったワケ

みなさんには、将来の夢はありますか。ぼくには、あります。明確な夢があります。それは「世界一の絵本作家になって、世界中の子どもたちを救うこと」です。元気な子、おとなしい子、喜んでいる子、悩んでいる子、泣いている子――それぞれの子どもが、じつは自身の可能性を開くための「手助け」を求めています。そんな「心の種」を絵本で開花させるのが、ぼくの夢です。「世界一」というと、笑われるかもしれません。でも、ぼくは本気です。

ぼくが絵本作家になろうと思ったのは、保育士の専門学校にかよっていたころでした。それこそ「ぼくが将来行くかもしれない保育園に置かせてもらえたら」といった願いのもとに筆をとり始めました。ところが、描いた絵本が、案外、同級生などに受け容れられ、喜ばれます。「これは」と思いました。以来、絵本を描きながら、世界中の絵本をも読むようになり、作画作文の世界にはまっていきました。読了した絵本は、6,000冊を超えます。

落ち着いて授業も受けられなかったぼくと、絵本

ぼくは、専門学校にかよってはいたものの、おとなしく座って授業を受けるのが苦手でした。それもそのはず。小学生のときにはイジメられ、中学生のときには不登校・引きこもりになり、高校生のときには、不良だったくらいのぼくでしたから……。机にノートを広げ、イスに座ってまともに先生の話を聞く経験が乏しかったのです。そのかわりと言ってはナンですが、図書館に行っては絵本を読んでいました。これが良いことかどうかはわかりませんが、ぼくにとっては「落ち着いて授業を受けられない」という自分の性格が、絵本作家への道を開いたと感じられています。

絵本って、すごいんです。海外の未邦訳のものも含め、6,000冊超を読んで衝撃を受けました。何よりも衝撃だったのは、ぼくが子どものころに読んだ絵本がそのまま今も読み継がれていたことです。『バーバーパパ』や『11ぴきのねこ』『ねないこだれだ』が、現在も書店に並んでいます。『いない いない ばあ』なんて、戦後最高レベルのベストセラーで、かつロングセラーです。こういった売れ方は、一般の書籍、それこそ文学や文芸書のジャンルでは、そうそう起こらないことだと思います。ぼくはそこに絵本の可能性を見いだしました。

のぶみが語る絵本の魅力――話に普遍性がある

でも、これって不思議ですよね。どうして売れ続けるのでしょうか。たぶんですけれど、ぼくはその理由に「みんなに話しやすい」という要素が入っているからだと思っています。絵本の内容は、子どもと子どものあいだで、また、子どもと親のあいだで、中身を共有しやすいんです。世代間ギャップなんて、軽く超えてしまいます。内容に普遍性があるんですね。

世界的ベストセラー『はらぺこあおむし』は、青虫さんがいろいろなものを食べてお腹をこわす話です。キャンディやソフトクリーム、くだもの、そんな、多彩で色とりどりの食べ物が青虫を満たすわけですが、お腹をこわすところから"成虫"して、最後は蝶になって主人公は羽ばたきます。その「蝶になるシーン」で、じつはそれまで出てきた食べ物に使われた「色」がぜんぶ出てきます。お腹をこわす原因になった食べ物の色も、です。そうして、あらゆる色が羽ばたきの大切な要素になって、蝶の飛行を支える。すべてのことには意味があるということを暗示していますよね。ここに、普遍性を感じます。『100万回生きたねこ』の輪廻転生もそうです。同書で描かれていたのは、魂の成長です。そんな普遍性あるメッセージの力を感じたとき、率直に「絵本ってすごいな」って感じました。

最初の絵本出版で気づいた高い"壁"とは

とはいえ、絵本作家になるといってもそう簡単にデビューできるわけではありません。ぼくはデビュー前に、すでに600を超える絵本をかたちにしていましたが、出版社に持ち込んでも話は聞いてもらえません。相手にされない。落書きみたいな絵本でしたから、当然といえば当然だったでしょうけれど、「これ、なんで持ってきたわけ?」と出版の人に言われたときは、ショックでした。絵本の作画作文を必死に勉強しました。

当時かよっていた専門学校の友人たちに、よく意見を請いました。「いま描いている絵本の中で一番おもしろいのはどれ?」。たくさんたくさん、聞いて回りました。その際にわかったのが、「自分がおもしろいと思っている絵本と、人がおもしろいと感じてくれる絵本は違う」ということでした。この方程式を踏まえて、子どもはもちろん、出版の人がおもしろいと感じてくれる絵本はどんなものになるだろう? と研究に没頭しました。売れ残る絵本にはどんな共通点があるか? 売れ線の絵本にはどんな傾向あるか? あの出版社の「推し」の絵本のジャンルは何か?――もう、リサーチ、リサーチ、リサーチです。そして、描いては周囲に評価してもらって、の実験、実験、実験の繰り返しでした。

「絵本作家なんて無理だよ」と言われて

最初の2年間くらいは、出版社に営業をかけても絵本は出せませんでした。そうすると、周囲がこう言ってくるようになります。「絵本で食べていける人なんて、ほんの一握りだよ(もうあきらめなよ)」。でも、これには、ぼくは違和感がありました。だって、それを言うみなさんは絵本を本気で描いたことがないじゃないですか。絵本作家を夢みて、夢を追いかけたことがないじゃないですか。それなのに、まるで格闘技をしたことがない人が格闘技を評論するみたいに、「絵本作家の世界は難しいから」って訳知り顔で語って、夢を否定しようとするのって、ちょっと違いませんか。ぼくには、違和感があったんです。だから、周囲の「あきらめなよ」に関しては、ぼくは耳を貸しませんでした。とにかく、売れている本を研究し、出版の人に2秒でも1秒でも長く話を聞いてもらえるよう努めました。

それで初めて売れたのが、NHK番組内の「ぼくのともだち」で担当したコンテンツでした。グッズも300種類くらい出て、一気にフィーバーしました。ところが、世の中は甘くないというか、後続がピタッとやんで、それから7年間、売れなくなります。ここからが、地獄です。

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売れなかった地獄の7年間に何を思ったか

ぼくには、これまでいろいろな批難や中傷がありました。ぼくは、それについて自らの身を100%正しい立場に置いて自己正当化をしようとは思いません。迷惑をかけた方々にも反省の思いはあります。今年(2021年)も東京オリンピックがらみの誹謗中傷もあって、人生最大の地獄を体験しました。だれかに、そう誹謗させてしまった面もあるかもしれません。じつは、それに匹敵するくらいの地獄だったのが、「売れない7年間」でした。もちろん、生活は「苦」もいいところです。必死にもがきました。ほんとうに、もがきました。死を考えたほどです。

そんな中、ぼくは「売れている作家さんには、共通する何かがあるのかも」と思い立ち、絵と文で勝負している最前線のプロの方々に会いに行こうと決意しました。もちろん、人脈的なツテがあったわけではありません。あの手この手をつかって、会いました。やなせたかしさんもその一人、さくらももこさんもその一人、ミッフィの作者ディック・ブルーナや、浦沢直樹さんもその一人でした。

さくらももこさんとの出会い

さくらももこさんには長文の手紙を送りました。すると、何と返事が来たのです。そこで電話で話す機会にめぐまれました。ぼくはすかさず(僭越ながら)「一生に一度でいいです。ももこさんとお会いするのがぼくの夢なんです」と言いました。すると、予想以上にすんなり快諾してくださり、そのままお会いし、さらには毎週のように会って、仕事場にも入らせてもらえるようになりました。学ばせてもらえるような機会をいただいたのです。

その際に、ももこさんがぼくに語ってくださったことが忘れられません。「わたしものぶみくんも絵がへたなんだよね。でも、だからこそ、話やキャラクターが大事になってくると思う。絵がうまくても、伝わらないってあるし、絵がへたでも、伝わる作品ってあるから。私ものぶみくんも同じだね」。のちにぼくは、再度売れたときに全国紙のインタビューで「男版さくらももこ」との見出しで再デビューしたのですが、感慨深い思いがそこにはありました。ももこさんは、売れない僕に、仕事もバンバン振ってくださったのです。恩返ししてもしきれないほど、ぼくはももこさんに支えられました。

のぶみ、ふたたびのブレイク!

最前線の売れている作家さんに会い続けて、ぼくが気づいたことがありました。それは、多くの作家さんが「自分のために」だけではなく、「人のために」作品を描いているということです。作風を決めるにあたっても、視線は自分目線ではなく「読者目線」、子ども向けの絵本であれば「子ども目線」で、作品のコンセプトを練るのです。ぼくは、これを自身の作品創造に取り入れました。

再ブレイクのきっかけになった絵本は、『しんかんくんうちにくる』などの『しんかんくん』シリーズです。新幹線をモチーフにした主人公がでてくる作品です。このしんかんくんですが、ぼくは、息子のかんたろうが幼いころに「電車、電車」と言って、電車や新幹線に強い興味を抱いていた様子をつぶさに見たことからキャラの着想を得ました。東京駅でも、よく見かけますよね。新幹線のホームのはじっこに、子どもたちがいて、新幹線の出発着を見学していたりする。そのときの子どもたちの胸躍る姿、キラキラした目に、「人に響く絵本」のコンセプトのヒントがあったのです。

ぼくは、感じました。「知らなかったな。絵本って、そもそもこういう子たちに向けて描いていたつもりだったけど、その子どもたちのリアルな気持ちがわかってなかった」。そこから、「機関車トーマス」シリーズをはじめ、世界の"電車本"を片っぱしから研究。そして、自分の息子に手紙を書くようにして、絵本をものにしていきました。これが、成功に結びついたのです。それもそのはず。自分の子どもにウケない絵本が、他人にウケるわけがないのですから。その逆、自分の子どもにウケる絵本なら、他人にもウケる可能性があります。

新たなストーリー展開への挑戦を始める

その後は、とにかく息子のかんたろうが興味を持ったものを絵本にしていきました。『ぼくんちのティラノサウルス』も『ぼく、仮面ライダーになる!』もそうです。ぼくの絵本に登場する「おひめさまようちえん」や、ヘラクレスオオカブトの「いちばんくん」だって、コンセプトは息子からです。そして今は、そこからさらにより良い作風の追求をしています。その追求は、ある意味、ストーリーテリング的なところでの攻勢です。どいういことかというと、たとえば、絵本を読みながら、「笑って、のちに泣ける」なんてストーリーがあったっていいと思うのです。そういったかたちで、これまでになくて、しかも人々の心により深く残る絵本が描けたらと思って、いま挑戦をしています。

中でもエポックになったのが、『ママがおばけになっちゃった!』です。この絵本は、作中でママが亡くなってしまうんです。だから、前半でゲラゲラ笑っていた子どもも、後半では泣いてしまう。というか、一緒に読んでいるママさんも泣いてしまう。この本、じつは当時毎日のように行っていた各地の講演会で、出版前に原稿を読み聞かせするという、少々エキセントリックな方法から練りに練って作品に仕上げたものなのです。この手法には批判もあるかもしれません。でも、とにかく、読み手とともに作品をつくったのです。講演会時の読み聞かせで反応が良くなれば、作品もさらに良くなるし、売れることも確実視できるようになる。これには、出版元の講談社さんも驚いていました。発売時点では「元がとれればいいや」といったレベルの4,000部ちょっとの発行部数で出版された同書ですが、発売すぐに重版が決定。それ以降も毎週再販、再販で、ベストセラーになりました。テレビにも多数取り上げられて、「めざましテレビ」では『ママがおばけになっちゃった!』を実験的に親御さんに読ませたところ、多くの方がその場で泣いてしまう、なんて映像も流れました。

いのちを教わる絵本って、大事だと思います。『ママがおばけになっちゃった!』もそうです。ぼくの作品でいうと、『いのちのはな』がよく知られているかもしれません。『ママがおばけになっちゃった!』を読んだ子どもたちには、後日談があります。この本を読んだあと、子どもたちがお母さんにやさしくなったのです。そういう声が多数、ぼくのもとにも届きました。また、じっさいにママを亡くされた子どもさんからは、「この絵本に描かれていることは、ほんとうだよ」といったコメントももらいました。創作絵本とはいえ、いのちのリアルを表現しようと必死になって頑張ったことが、しっかりかたちになって伝わっているんだと実感した瞬間です。

のぶみが抱く夢。やなせたかしさんからの遺言

おそらくぼくは、世界一、絵本を描いてきました。一日10時間以上。徹夜もひんぱんです。作品数でいえば、つくったものは優に10,000を超えています。これだけ描いて、また世界中の絵本を研究し尽くしてきた人が、ほかにいるかどうか、ぼくは知りません。世界一ぼくは絵本が好きだと思っています。だから、売れる絵本、良い絵本、子どもを救える絵本が絶対に描けるとぼくは信じています。人生をやめたいと思ったことは、何度かありました。ほんとうに、苦しかったから。でも、絵本を描くのをやめたいと思ったことは、一度もありません。これも、ほんとうです。

そんなぼくに対し、やなせたかしさんからこんな言葉が贈られました。「のぶみくんは国民的作家になるよ。君はなるよ」「だって、それだけやっている人、いないもん」「ただ、そうなったときに、子どもたちを救う原点を忘れないで、周りの人を大切にしていくんだよ」――。さくらももこさんも「のぶみくんが世界一の作家になったときに、のぶみくんがいちばん喜ぶようだったら、だめなんだよ」「それを喜んでくれる人が、のぶみくん以外にたくさんいるような状況になってね」と言ってくださいました。

ぼくにとって、これらが今、指針になっています。

世界一の絵本作家になる。これは、やっぱり譲れないところです。もちろん、産みの苦しみはあって、人生も順風満帆ではありません。楽しくワクワク生きられれば最高ですけれど、そうはいかないのが人生。何をやっても空回りで、歯車がズレたようになって、失敗が重なることもあります。でもぼく、思うんです。大切なのは、「失敗しないこと」ではなくて、「失敗をどう活かすか」「失敗したあとに何をするか」なんだ、と。ぼくは、ものすごく叩かれて、たくさん失敗して、みなを傷つけてしまったり自分が傷ついたり、自分で自分を傷つけたこともたくさんありました。ですけど、そのあとどうするかが大事ですよね。その対応に人間が生きている意味が出てくると思う。

諸先輩から、教わった哲学です。

いま『3ぷんでねむくなるえほん』や『パンタン6ぴきいうこときかない』で、新たなストーリーのかたちにも挑戦しています。どうか、これからも応援してくださったら幸いです。

以上、あいさつでした。ありがとうございました。


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