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「ギフトに生きる」の豊かなあり方を描きだす|『GIFTに生きる』

「失われた〇〇年」と時代が形容されて久しい。国際社会の複雑化やグローバル化の中で、日本では、政治も経済も外交も教育も「このままでは立ち行かない」と警鐘が鳴らされている。若者からは「人生100年時代というけれど、100年生きたいと思える社会じゃない」という声も聞こえる。一発逆転のソリューションで"あの強かった日本"を取り戻そうとするのはナンセンスだ。もし社会に"成熟"があるのなら、私たちは節度をわきまえて、等身大の日本に軟着陸し、成熟の道を歩まねばならない。それが現実的だし、一人一人の生き方においてもそれは同じである。

本連載では、いま必要とされている成熟の生き方、新しい生き方を「GIFTに生きる」と名づけ、試論的に読者に伝えていく。詳細は本文に譲るが、石丸弘はすでに10年以上にわたりギフトに生きてきた。そこに、「退職学™️」という新しいジャンルを創造する新進の研究家・佐野創太と15,000冊超を読むジャンル越境の知性・正木伸城が加わって議論を交わす。真の豊かさとは何か。成熟社会とは何か。これらを考えるヒントを本稿から拾っていただければ幸いである。

「ギフトに生きる」とはどういうことか

正木伸城 鼎談、楽しみにしてきました。宜しくお願い致します。冒頭から直球の質問をさせてください。ギフトに生きてきた石丸さんにとって「ギフト」とは何を意味するのでしょうか。

石丸弘 ご質問ありがとうございます。「ギフトに生きる」とは、見返りを気にせずに誰かや社会のためになることをやり続けていくことです。不思議なもので、ギフトは人から人へとめぐりめぐって、自分自身がギフトされるという形で返ってきます。徹底していくとそうなっていく。それなら、ギフトだけで人は生きていけるのではないか。ある時そう思い立ち、現在はひたすら実験的なギフトの生活をしています。

佐野創太 その生活はいつ頃から始められたのでしょうか。

石丸 13年くらい前からです(2021年7月時点からの逆算)。

佐野 もともとはサラリーマンをされていたそうですが、いきなり脱サラして「ギフトに生きる」のモードに入っていかれたのですか?

石丸 いえ、サラリーマンをしながら同時並行で始めました。ちょっとずつギフトを日常の中に増やしていったんです。たとえば最初の頃に、ミャンマーを支援しているNPOの「ホームページ作り」を手伝ったことがあります。サイト制作の技術は本業で身に着けていたので、スキルを転用しました。マーケティングのコンサルをやっていたこともあって、そのノウハウを使って、寄付や応援者が集まるホームページを無償で制作したんです。

正木 その際に、「ここまでしてもらったので、いくらかお支払いします」と言われませんでしたか?

石丸 依頼を引き受ける時に最初から「これはギフトなので」と断っていたので、そういうことはありませんでした。

「ギフトに生きる」は「与えるだけ」で損?

佐野 ともすると「ギフト」は、見返りを求めない分、「やるだけ損だ」と思われる可能性がありますよね。無償でサイト制作をやって、特に先方から返礼がなく、何ごともなかったかのように時が過ぎてしまったら、石丸さんの中にも「損をした」という気持ちがわきそうな気がしますが、いかがでしょうか。

石丸 それって考え方次第だと思うんですよね。まず、僕は無理のない範囲でホームページ制作を請け負いました。本業にも影響がなく、自身としても負担がごく少ないレベルで、です。だから自然とできた。あと、僕自身が受け取ったものもたくさんあるなって思ったんです。ホームページ制作がうまくなるし、当時の本業だけでは得られないスキルも身に着けることができた。NPO支援という珍しい体験もできたし、多くの人から感謝されて「(石丸)弘さんが何かあれば応援したい」とまで言っていただけた。お金という一側面で見たら「損」と言われるのかもしれないけれど、それ以外のところですごく「貰って」いるんですよね。

モースの『贈与論』の贈与とギフトの関係

正木 ちょっと面白いなと思った点があります。それは、石丸さんが、くだんの話題の最初に「これはギフトなので」と断りを入れていた点です。人類学者マルセル・モースの『贈与論』に、ギフトに似たものとして「贈与」という概念がでてきます。これは、ざっくり言うと、見返りを求めずに相手に手渡す行為を指します。贈与の贈り手は必ずしもはっきりしていなくて良くて、たとえばサンタクロースのように正体がわからない人物が子どもにプレゼントをする、みたいなことが典型的な贈与になります。

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そんな贈与は、人間の営みのあらゆるところに溶け込んでいますが、贈与は決して「これは、贈与ですからね」と事前アナウンスしては基本なされません。なぜなら、「贈与です」「プレゼントです」「これ、施し物です」と相手に渡す際に言ってしまうと、「だから私に返礼してね」というメッセージが暗に相手に伝わって、金銭的な交換と変わらないような過剰な強制力を持ってしまうからです。

佐野 そうなると、「あ、でもこの贈与への見返りはいいからね」とつけ加えたとしても、相手はますます「何か返礼しなければ」となってしまうかもしれないですね。それはギフトというより、ギブ&テイクの「ギブ」に近い。ギブ&テイクは、贈りものとお返しが等価になるべきで、ある意味「返礼ありき」の考え方です。「僕はこうしてあげたけど、あなたは何をしてくれるの?」というやりとりですよ。「ギフト」は、「ギブ」とは一線を画します。

正木 石丸さんは、相手にあらかじめ「これはギフトなので」と伝え、「見返りは要りません」というメッセージを伝えています。これはやはり「ギブ」とは明確に違う。石丸さんは、ギフトを贈る際に"返礼拒否"――と言うと言い過ぎかもですが――することで、「ただただ手渡すだけでいいんです」というメッセージも発信しています。これは、贈与の中でも特異的にポイントを押さえた作法だと思います。

返礼は気にせず。でも求めないわけではない

石丸 それでいうと、「返礼拒否」という感じでもないんです。冒頭で僕は、ギフトの定義に「見返りを気にせず」という言葉を入れました。見返りを断わることが失礼な場合だってありますし、どうしても「くれる」というなら「貰う」ようにしています。なので「見返りを『気にせず』」という表現をあえて使ってギフトを説明しているんです。自分が欲しいものがあったら、僕ははっきり「欲しい」とも言います。「見返りを『求めない』」わけでもない。だから「見返りを『気にせず』」なんです。

正木 贈与は、贈り物の受け手が「返礼しなきゃ」「感謝を伝えなきゃ」と何となく感じる負い目によって成り立ちます。贈与によって生まれた負い目に駆動された「贈与したい」という新たな欲が、次の贈与につながっていく。これがモースの贈与論の骨子です。石丸さんは、「これはギフトなんで」と、贈与しつつも「自分への返礼はいいから」と暗に伝えることで、負い目の度合いや「負い目解消」の矛先を自分以外の別の人に向けようとする。これは既存の「贈与」を敷衍(ふえん)したバージョンと言えるかもしれません。もちろん生活に溶け込んでいる贈与のバージョンの一つなので、「ギフトに生きる」は生活に根づく可能性を秘めています。

ギフトの事始めは身近なところから

佐野 「ギフトに生きる」で最初にされたことで、他に、もっと身近なものってあったりしますか?

石丸 「社長の愚痴を聞く」とか、やっていましたね(笑)。ひたすら愚痴を真摯に聞く。僕はコーチングもしていたのですが、あからさまなコーチングを社長みたいな方々は嫌がるので、自然な形で愚痴を引き出していました。

佐野 その際、「ギブ&テイク」ではなく「ギフト」だからこそ、言いたいことを単刀直入に言えることってありそうですよね。

石丸 あるかもしれませんね。でも、仮に遠慮のない物言いが成立しているのだとしたら、それは相手の社長さんが素敵な方だからですよ。僕は「ああ、素敵な人だな」と思ったら、気がつけばギフトしてしまっているんですよね。それは「素敵だな」と僕に思わせてくれた相手からの「ギフト」に対する応答なんです。

佐野 それ、すごいですね(笑)。それをギフトとして受け取るんですか。

正木 勝手にギフトとして受容している(笑)。

石丸 まさにこの鼎談もギフトですよ。ちょっとしたやりとりからこの鼎談が始まったわけですが、それも佐野さん、正木さんが素敵だと思わせてくれたギフトによって始まったわけで。この鼎談自体も僕にとって、また多くの読み手にとってギフトになりますよね。そもそも僕、贈与の負い目とか、ギブ&テイクの思想には違和感もあるんです。負い目を解消すると、その人の中にプラス・マイナス「ゼロ」感がでるじゃないですか。返礼したからこれでおしまい、みたいな。それは正確には贈与と呼ばないかもしれないけれど、僕の場合、その「ゼロ」感でおさまっては足りないと思っていて。なぜなら、たとえば僕はすでにこの鼎談で学びもいただいて超・ギフトを受け取っているし、僕がここにいることで他の人たちのギフトになっていることも素晴らしいって思うからです。常にたくさんのギフトを感じていて、貰い過ぎていて、そこに負い目みたいなものはない。ただ感謝があるだけで、幸せなんです。

正木 返礼することで負い目を相殺する生き方ではない、と。

贈与やギブ&テイクに生きることにはつらさもある

石丸 贈与やギブ&テイクに生きる人が時に苦しそうにしているのを僕は見てきました。それって違うなって思ったときに、ただただ手渡すという生き方、「ギフトに生きる」という生き方があってもいいんじゃないかって発見したんです。

正木 確かに、負い目はしばしば「お返ししなきゃ」とか「あの人には恩があるから逆らえない」といった形で人を縛ったりしますね。

石丸 僕は、ただただ「くれる」という人にも多く出会ってきた。それこそ今の僕の生活は、多くのパトロンさんに支えられています。彼らは見返りなんて気にしません。僕の生き方について「おもしろい!」と感じてくれて、家やお金を支援してくれるんです。彼らからのギフトがあって今の僕がある。ギフトがめぐりめぐって返ってきてるんです。

ギフトに気づく感性はどうやって磨かれた?

佐野 日常の中からそうやってギフトを見いだしていく感性って、もともと持たれていたのですか?

石丸 そんなことないです。サラリーマン時代からそうですけど、感性が鋭かったわけでもない。ギフトに生きて、優しさを大切にしていくと、だんだん身に着いてくるんです。「ギフトだ」って感じるような生活の中のフックが見えるようになってきて。他人が気づかずに受け取っているものを「それ、ギフトだよね」と指摘できるようにもなりました。それを指摘された人は、それで喜んで、「これもギフトなんだね!」って手渡してくれた相手に感謝する。その笑顔を貰った僕はまたギフトを受け取るという。徐々にそうなっていきました。

正木 先日、長年ひきこもりの子と一緒にInstagramのLIVEをやったんです。ひきこもりなので顔出しとか怖かったと思うんですけど、積極的に「LIVEがしたい」って向こうから言ってきてくれて。で、僕も人生初のインスタLIVEができた。これは上から目線でアレですが、ある種の「手渡し」です。このインスタLIVEはギフトになりますか。

石丸 正木さんからその子へのギフトになりますし、正木さんはその時人生で初めてインスタLIVEをしたわけで、そうさせてくれたその子から正木さんも、初体験をさせてくれたというギフトを受け取っています。普通なら「ひきこもりの人をサポートする正木さんって素敵」で終わりそうなところですが、その正木さんも得がたい体験の機会をひきこもりの子から貰っている。そこに気づけるかどうかって大事だと思います。加えて、正木さんがその子に対し「ありがとう! 君のおかげで人生初のインスタLIVEができたよ」と伝えたら、さらにギフトできるじゃないですか。その子の自己肯定感も上がるかもしれない。そうやってギフトが連鎖したらいいですよね。

佐野 すごい! そういう感性が磨けたら嬉しいですね。しかもその感性磨きは意外と身近なところから始められる。これって盲点かもしれませんね。

「ギフト:下心」の割合は「8:2」まで

佐野 ちなみに、石丸さんがサラリーマンを辞められたのはいつ頃ですか?

石丸 本業は徐々に減らしていって、最終的に辞めたのは5年前とかです。その後はギフトのみの生活一辺倒です。そうしたら――それまでのギフトの蓄積も手伝ってか――パトロンとなって金銭を支援してくれる人も出てきました。

佐野 でも、なかなか「ギフトのみに生きる」って振り切れないですよね(笑)。

石丸 とはいえ、「100%ギフト」というわけでもないですけどね。先ほども言ったように、欲しい時は「欲しい」って言います。ギフトをするときにこちらの欲望を織り交ぜることがある。これは僕の体感値ですが、「ギフト:欲」の割合は「8:2」が限界です。2割以上、欲が増すと、相手が「下心」を感じるかもしれないし、自分自身にも不純さが抑えられないレベルで出てきてしまいます。それはそうと、僕だけが自己紹介的に話してもアレなので、ぜひお二方も自己紹介してください(笑)。

正木 これはちなみに……"ギフト"ですかね(笑)。佐野さん、お先にいかがでしょう。

佐野 ありがとうございます。僕は「退職学™️」という新しい学びのジャンルを立ち上げようとしています。1,000人以上の退職キャリア相談を受けてつぶさに意見を聞いたり、また自身の退職の経験などを通しながら、可能な限りわだかまりなく(むしろプラスの"遺産"を残して)退職する方法、退職グセから抜け出せない人を抜け出せるようにする仕方、あるいは退職後にたくさんの会社から声をかけてもらえる自分になるにはどうしたらいいかといった課題に応えるノウハウを研究しています。

正木 「退職学」。おもしろいですね。僕は、本業で広報をしながら物書きもしていて、現在は4本の連載を持っています。15,000冊超の読書歴もあることから、学問のジャンルを越えた話ができるのでは、ということで出版社等からありがたくも「知の越境家」と呼んでいただいています。専門性が強すぎてタコツボ化している学問同士に懸け橋をかけたり、学問間の交流の交通整理をするという立場を目指して日々、学んでいます。これからどうぞ、よろしくお願い致します。

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[参考文献]





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