本noteは自分の卒業論文の研究テーマ「解築時代のための生きもの建築論について」を紹介するとともに、なぜそのテーマで研究を行おうと考えたのか、そこに至る経緯を紹介できればと思っています。
この研究テーマは扱っている解体建築史を考えている際にAnimal Architectureの写真集(これが凄くいいので多くの人に見てほしい)を見て、美しすぎる動物達の巣と人類の建築の違いこそ、この時代で着目するべきものだと興味を持ったからである。
1.建築の原始性への探究心
1-1.探究の根源
何のきっかけだったのか忘れてしまったが、自分の建築への入り口はバックミンスター・フラーであった。建築では決して外せない人物ではあるが、日本の建築教育で導入から扱われるような人ではない。17歳の頃「Your Private Sky」を読んで、とてつもない衝撃を受けた。
そこから彼の環境思想や地球市民的態度、そして詩的だがクリティカルな未来提示、発明の仕方などに強く影響を受けている。建築家とは家や建物を丁寧にそして論理的に作ってる人達であると思っていたが、フラーを知ってから建築をさらに自由に異なる視点から、そして社会的な期待に応えられる存在になれるのか、このようなスタイルで建築に挑んでみたいと純粋に思った。
あとは同時期に中谷礼仁の「宇宙人とバラック」を読んだことである。
この文章は宇宙人が地球の構築物を評価するというスペキュラティブな視点から建築の本質的な価値基準を問いかけることから始まる。
地球にやってきた宇宙人は、人間とは異なる知覚器官を持っているかもしれない。彼らは普遍的な建築の価値をこのように評価するかもしれない。資材が高い低い、構造が難しい難しくないなど関係なく、何を評価するであろうか。
これらに影響を受けて、人類と円から始まる、建築と人々の文化のための「原始的懐かしさ」についてという以下のようなエッセイを書いた。
本エッセイは筆者が 18 歳の時に執筆し創成入試に提出したものである。
ゆえに非常に純粋な建築学への動機が垣間見える。
ここでは藤森照信『人類と建築の歴史』(2015,ちくまプリマ-新書) の一節にある「人類の本格的住いは丸から始まるのか。技術的には四角でも可能なのに。」(本書 p34)という問いに対して、原始より自然 に存在する円形という有機的形態に影響を受けた原初的人間たちの建築観が、幾何学の発見により空間に対して直線性の保有を認め機能主義そしてモダニズムへ到達していく様を分析しながら、それらが与える現代社会への問題点を挙げながら批評し、「原始的懐かしさ」を保有した建築形態を取り戻すべきであると述べている。
このように、建築の探求の根源はやはり原始性にあり、その視点をいかに社会実装や課題解決へ転用できるのかを考えたい。
1-2.新たな建築論の必要性
21歳までNPOを経験したあと、建築教育や建築の実務(ビルの建設マネジメントや公共施設設計、福祉施設の設計に携わっていた)に戻った当初、すぐに感じたことは建築と社会の明らかな断絶であった。建築は社会を必死に考えているようで社会には届かず、社会は建築の本当の価値性や意味性に期待をしていないことだった。高校生の頃に魅了された建築とは明らかに異なっていたことであった。社会課題の解決や社会的意義を日常的に念頭に置いていたNPOで活動していたからこそ、そこへの違和感は人一倍だったのだと思う。
内藤さんのこの文章もちょうど読んだその頃、「建築と社会をもう一度接続させるため」に自分ができることをやろうと、XRのスタートアップで建築出身のディレクターとして拾ってもらった。これも当時持ちた想像力を駆使して編み出した自分自身の疑問に回答する1つの仮説であった。
そして仮説は変われど、目指したいことは変わらないと思っている。建築という産業が社会的要請と乖離していることは明らかであると思っている。
そしてその乖離が地球全体、人々にとって致命的な段階を迎えようとしているという強い危機感がある。建築が社会的な諸領域の統合者、または空間を用いた問題解決者として振舞えなければ、その存在価値は皆無になるだろう。NASAの研究員が地球に衝突する隕石から人類を守ろうと試行錯誤しているように、建築家は宇宙船地球号としての地球を守りぬく責務がある。
にもかかわらず、建築設計者による経済のカンフル剤としてのグレーインフラの再開発は東京において止まることを知らない。この状況を20代としてどのように受け止め、現状を変えるかを考え行動せねばならないと思っている。
1972 年にローマクラブが発表した「成長の限界」では「人口増加や 環境汚染などの現在の傾向が続けば、100 年以内に地球上の成長は限 界に達する」と提言された。そこから既に50年が経過しているが宇宙船地球号としての地球環境は改善せず、Points of no return に近づきつつある。
1900 年から現在までの全球の生物体量と人為起源物質の量の変化を推定し結果、20 世紀初頭には、人工物の量は生物体量全体の約 3% にすぎなかったが、現在では、人為起源物質の量が全球の生物体量を上回り、約 1.1 兆トンに達したことが明らかになっている。[1]
建築が大きなボリュームを含む物質生産は拡張生態系として、地球環境に大きな影響を与える 1 つの人工環境となっている。
人為起源物質と言われる人工的な環境の構築全てを包括して「建築」の生産と捉えるならば、地球における「ヒト」の建築的行為は地球の循環作用に対して、決して皮層的な役割に止まらなくなっている。このような状態を考えると、生産活動としての建築的概念の新たな提示が求められていることは確かであり、人類の発生から生まれた「建築」を歴史的俯瞰の立場から捉え直す必要があると思っている。
1-3.脱人間中心主義時代における建築を生きもの視点から考える
つまり「新たな建築理論」が必要であり、そのためには近代的な空間美学すらも更新せねばならない。そのためにはどこから切り込むと良いかを思考すると「ヒト」以外の立場から建築を捉えることではないかと思いつく。人間中心ではなく、脱人間的な立場から建築のあり方を思考しなければ、産業革命とモダニズムの強力な鎖の延長線から逃れることができないように思うからだ。
そのためには文化人類学の「マルチスピーシーズ」が役立つだろうと考えている。
私たちの建築的なるものは常にヒトにとっての(多様だが画一的な)視点で語られ、空間は構築されてきた。生産手段や工法もヒト中心である。我々「ヒト」のための空間、または「ヒト」が利用する経済のための空間をいかに効率的にまた快適に設計することができるか、または「ヒト」的な美学を拡張する空間を成立させることができるか?が我々設計者の命題となっている。つまり、近代以降特に「人間中心主義的な設計理論」を展開し続けてきたのだ。(人間中心主義と近代建築の諸関係については考える余地がある)
そしてヒト中心であり続ける限り、新たな建築の生産システムは決して止まることはない。大手デベロッパーやゼネコン、組織設計事務所がいかにブランディングや株主に対してのCSR的な説明責任、組織設計事務所の再生素材を大事にしている感を醸し出していても、結局のところ「建築行為」を行う限りは負荷は発生する。建築産業は新たなものを作らねば、仕事や役割を喪失するからである。ここに非常に強い建築の矛盾が働いている。
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その点において、動物の巣は画期的である。
多様な種や存在と関係を結んで生きており、数万年も変わらず"建築"を行っている生命たちに焦点を当てることで、建築のこれからに新たな活路を見出したいと考えている。
長谷川尭著の「生きものの建築論」では動物の「建築」を観察することによっ て現代建築に新たな視点を提供すると述べている。
長谷川尭が主張するように、地球の大地にて「ヒト」 が建築的営みを始める前の原始から建築的行為を行ってきた複数の動物や昆虫を対象に「ヒト」以外の建築である「巣」の生成方法の分析を基礎とし、人間の建築生成技術変遷の比較に焦点を当てたい。
比較を通して、人新世時代における脱人間中心的な新たな建築概念の提示や、生き物達が得意とする「解いて築く」、解築への意匠工法面への展開を探し出したいのだ。
2.生命論的建築史の文献調査
まずは生命的建築史・思想の文献調査を行う。ここでは生命的視点を持ちえた建築家の思想や建築物を網羅的に調査し骨子を見出す。ここでは以下の通りに分類して調査を行おうと考えている。
特に巣と建築…この二つは根本的に全く異なるものであると捉えることも可能であるし、同類であり、古代より生命の構築物をメタファーとしてきた事例もある。生命的なるものを対象として歴史的視点から事例や思想を整理したい。
2-1.「巣」的建築の意識的生成
生きものや生命の巣の形態、生命システムをアナロジーとして着目し、意図的に建築論に応用した事例を中心に調査する。
・有機的かつ生命的建築論
このような有機的・生命論的建築の建築空間や建築論への反映などの視点から生命的建築を読み解く。
余談だが、建築家平田晃久の博士論文「生命論的建築の研究〜からまりしろの概念を通して〜」は実作をメインにして展開しているが、その思想的展開の部分や批評などはとても面白い。しかし概念的なものが織りなす連鎖と彼の実作での補強の視点が強いため、ここに動物の巣を唯物的に観察し空間ではなく、工法として展開し、乗り越えたいと思っている。
・生命的建築・都市システム論
生命システム論に影響を受けた建築や都市システムの生成について調査を行い、よりメタスケールにおける生命と建築生産の関係性の系譜を調査する。
おそらくここは生命的に振る舞う都市マネジメントやハイパーストラクチャー的な話も入ってくるはずだと思う。もちろんメタボリズムの生命的概念も含むだろう。
2-2.「巣」的建築の自然生成
ここでは、生命的視点をアナロジーとして展開した建築や都市思想ではなく、何かしらの外部要因の影響を受けて即応的に発生した自然な人類の「巣」的建築について取り扱いたい。
・災害・戦争行為ー破壊からの復興による巣的建築の発生ー
今和次郎は関東大震災による被災によって発生した応急の小屋を観察し以下のように述べる。
ここで述べられる「ハット」は伝承や文化生から切り離されたもので あり、即時的、セルフビルドとしての人類の巣の発生とも言える。こ のように「巣」的建築は災害・戦争行為などと深く結びついてる。
・未開・大地のブリコラージュとしての巣
危機的な外部要因が加わらない場合でも「巣」的建築が立ち上がる瞬間が存在している。一万年以上も前から未開人が大地から閉じた資材を活用しブリコラージュ的に生み出した建築たちである。レヴィ=ストロースはこのような神話的・呪術的な性格を持つこの思考様式を「具体の科学」とし、一万年前にも確立したものとする。
建築家なしの建築も同じ属性かもしれない。
このような「具体の科学」を基底とした文明や建築は動物達の「巣」 的建築と同類項を持っていると推察している。
3.人類と生きものの建築生産技術比較
ここでは生きものの巣を生産システム・工法・施工・運用・空間的な どの観点から観察と分析を行い、人類の構築してきた建築生産技術と 比較をすることで、建築技術論への展開を目指したいと考える。言ってしまえば「人類と生きものの建築技術はどちらが超越的なのか?」を知りたい。
長谷川尭の生きものの建築学から引用するが、このような視点をさらに多く獲得していきたいと思っている。
そのほかにも、日常的に出会える生きもの達の巣からも学べるものが多い。
3-3.解体建築史へ反映・視点の発見
解体建築史の今後の展開方法は「建築してしまったものをいかに解 体するか」または「解体を前提とした構築方法を生み出せるか」の 2 つの思考の分岐が存在すると考える。本研究では、1、2 の研究を合 成する形で後者を見出すことを期待している。
4. 既往研究
既往研究は色々な領域に存在している。動物の巣において幾何学的形状が発生する理由について研究が進められている。
動物の巣と建築設計についても研究が進められている。
動物の巣をアナロジーとした建築的概念への拡張については様々な言説や文献が存在している。
人工物と生きものの巣の概念的・機能的な相違についても研究が存在する。
5.参考文献・図版出典