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#0_解築時代のための生きもの建築論について

本noteは自分の卒業論文の研究テーマ「解築時代のための生きもの建築論について」を紹介するとともに、なぜそのテーマで研究を行おうと考えたのか、そこに至る経緯を紹介できればと思っています。

「解築時代のための生きもの建築論について」
本研究は地球における「ヒト」以外の生命体(動物や昆虫、植物、または微生物達)が構築するあらゆる「巣」を観察し、生成理論や自然形態、工法理論を捉え、解体建築時代における「新しい建築」の概念 と設計工法への展開への手がかりを提示しようとするものである。
20 世紀の建築が前提としてきた人間中心主義の建築設計や生産の価値観に対して、今日的な問題である、地球規模での環境変動、資本主義の先の見えない未来、科学技術の革新が問いかける人間性の変容などと「人新世」時代に相応しい建築的概念を「ヒト」以外の視点を借りて新たに提示しようとする試みであり、生きものの「巣」は建築ではなく解いて築く”解築”の時代にふさわしい建築工法や美学のアナロジーとなりうるのである。

筆者執筆

この研究テーマは扱っている解体建築史を考えている際にAnimal Architectureの写真集(これが凄くいいので多くの人に見てほしい)を見て、美しすぎる動物達の巣と人類の建築の違いこそ、この時代で着目するべきものだと興味を持ったからである。

Animal Architecture(INGO ARNDT)
木に寄生する巣
ビーバーの巣、とても美しい造形
アリの巣、まるで高層建築群のようである

1.建築の原始性への探究心

1-1.探究の根源

何のきっかけだったのか忘れてしまったが、自分の建築への入り口はバックミンスター・フラーであった。建築では決して外せない人物ではあるが、日本の建築教育で導入から扱われるような人ではない。17歳の頃「Your Private Sky」を読んで、とてつもない衝撃を受けた。

そこから彼の環境思想や地球市民的態度、そして詩的だがクリティカルな未来提示、発明の仕方などに強く影響を受けている。建築家とは家や建物を丁寧にそして論理的に作ってる人達であると思っていたが、フラーを知ってから建築をさらに自由に異なる視点から、そして社会的な期待に応えられる存在になれるのか、このようなスタイルで建築に挑んでみたいと純粋に思った。

あとは同時期に中谷礼仁の「宇宙人とバラック」を読んだことである。
この文章は宇宙人が地球の構築物を評価するというスペキュラティブな視点から建築の本質的な価値基準を問いかけることから始まる。

"さて地球にやって来た宇宙人(一応五感は私たちに似たり寄ったりとしておこう)を惹きつけることができるような、人間による構築物はどのようなものであろうか。

宇宙人とバラック.中谷礼仁

地球にやってきた宇宙人は、人間とは異なる知覚器官を持っているかもしれない。彼らは普遍的な建築の価値をこのように評価するかもしれない。資材が高い低い、構造が難しい難しくないなど関係なく、何を評価するであろうか。

ニューヨークの摩天楼は、彼らのお気に入りになるだろう。鉄とガラスという限られた素材で起ち上げられたその高密度によって。
極度に限定された空間で多様な生物活動が営まれている様子は、ちょうどアリの巣を見ているように、普遍的に眼を惹きつけるものだ。
白川郷も、きっと気に入るに違いない。周囲と調和しながら、同じような屋根のかたちを作り出した、複数の生き物たちの営為に奥深さを見いだして。
そこにはかけがえのないシステムが内在しているに違いないからである。
バラック建築の細部は、以外に断トツの評価かもしれない。人間という生き物のアドリブ能力の優秀さを物語るサンプルとして。(中略)
そして普通の庶民住宅の庭では、彼らも一休みしたくなるだろう。その建物の開き方の妥当性によって。

宇宙人とバラック.中谷礼仁

"その逆に彼らの興味を引かないものは、日本の二十世紀に形作られた、何でもありのかたちが跋扈しているような町並みであろう。それはいわばホワイトノイズの状態であって、特筆すべきかたちの特徴が全体として見当たらないからである。わたしたちがカッコいいと思っている最新の建築素材も彼らにとってみれば、効果の少ない、単なる資材の移動に過ぎないかもしれない。つまり「宇宙遺産」的に見れば、調和しながらもある明確なかたちを持った構築物や構築群こそが、そこに生息する生き物の英知を物語る。宇宙人の目で見れば、ニューヨークの摩天楼と同じレベルで、一つのバラックが文化的徴(しるし)として認められるかもしれないのである。自由であるが調和していること、調和しているが独自であること、これが生物が生きる条件だ、と宇宙人はいう。彼らもすでに先祖の星をホワイトノイズで埋め尽くし、揚げ句の果てに宇宙船でさまようことになった存在である。その言葉は重い。"

宇宙人とバラック.中谷礼仁

「わたしが思うに人間のいう「科学」は未熟以外何ものでもないね。科学的とされるモノばかりが優先している。」と宇宙人の古老は述べた。
「科学的判断によしあしがあるのでしょうか」と若い宇宙人は質問した。「そうではない、科学的判断はあるが、科学に決まった実体はないのだ」と古老は切り返した。「昔地球にもコペルニクスという宇宙人がいた。彼は地動説を唱えたが、誰も信用してくれなかった。その当時の人間たちは、地球が動かず、おてんとうさまや星たちのほうだけが回っていると思い込んでいたんだな。狭い情報の中で判断すれば、そう思わざるを得ない。もしそういう思い込みの中で科学が究められ、固定されたらどうなる?後々人災になりはしないかな?」

宇宙人とバラック.中谷礼仁

これらに影響を受けて、人類と円から始まる、建築と人々の文化のための「原始的懐かしさ」についてという以下のようなエッセイを書いた。

本エッセイは筆者が 18 歳の時に執筆し創成入試に提出したものである。
ゆえに非常に純粋な建築学への動機が垣間見える。

ここでは藤森照信『人類と建築の歴史』(2015,ちくまプリマ-新書) の一節にある「人類の本格的住いは丸から始まるのか。技術的には四角でも可能なのに。」(本書 p34)という問いに対して、原始より自然 に存在する円形という有機的形態に影響を受けた原初的人間たちの建築観が、幾何学の発見により空間に対して直線性の保有を認め機能主義そしてモダニズムへ到達していく様を分析しながら、それらが与える現代社会への問題点を挙げながら批評し、「原始的懐かしさ」を保有した建築形態を取り戻すべきであると述べている。

このように、建築の探求の根源はやはり原始性にあり、その視点をいかに社会実装や課題解決へ転用できるのかを考えたい。

1-2.新たな建築論の必要性

21歳までNPOを経験したあと、建築教育や建築の実務(ビルの建設マネジメントや公共施設設計、福祉施設の設計に携わっていた)に戻った当初、すぐに感じたことは建築と社会の明らかな断絶であった。建築は社会を必死に考えているようで社会には届かず、社会は建築の本当の価値性や意味性に期待をしていないことだった。高校生の頃に魅了された建築とは明らかに異なっていたことであった。社会課題の解決や社会的意義を日常的に念頭に置いていたNPOで活動していたからこそ、そこへの違和感は人一倍だったのだと思う。

公共であれ,超高層であれ,資本主義の隷になり下がってしまった今生み出されている多くの建物は,瞬く間に忘れ去られていくだろう.クライアントとの閉じられた共感,マネーゲームに勤しむ人たちとの共感,なんの責任も取ろうとはしない人たちとの共感,そんな虚しいものにばかり血道を上げているのだから仕方がない.何かが欠けている.建築は真の意味でピアソラのように大衆に開かれていない.今の建築は,勇気をもってそこに橋を架け渡す意志に欠けている。もちろん私自身もだ.他者を断罪するつもりはない.このことについて,みんなで考えてほしいのだ.

新建築「ノスタルジーの行方」内藤廣

内藤さんのこの文章もちょうど読んだその頃、「建築と社会をもう一度接続させるため」に自分ができることをやろうと、XRのスタートアップで建築出身のディレクターとして拾ってもらった。これも当時持ちた想像力を駆使して編み出した自分自身の疑問に回答する1つの仮説であった。

”自分がテックスタートアップで働き、XRに若い建築的視点を介入させた時に何が起こるのかを自己実験しようとしているのもその一環であり、建築という社会や世界への姿勢、そして感性のあり方を、技術革新を考え多額の資金が集まるテックスタートアップに溶かしていけないかと考える。”

建築の変出.2022/4/15

そして仮説は変われど、目指したいことは変わらないと思っている。建築という産業が社会的要請と乖離していることは明らかであると思っている。

そしてその乖離が地球全体、人々にとって致命的な段階を迎えようとしているという強い危機感がある。建築が社会的な諸領域の統合者、または空間を用いた問題解決者として振舞えなければ、その存在価値は皆無になるだろう。NASAの研究員が地球に衝突する隕石から人類を守ろうと試行錯誤しているように、建築家は宇宙船地球号としての地球を守りぬく責務がある。

「政治、経済、社会、技術、思想、世相、流行、などなどの諸条件、諸領域の中から 建築は生まれてくるわけだが、そうした諸条件、諸領域のどれに対しても建築家は専門的ではない。なのになぜ建築家が存在するのかというと、それらをまとめて一つの 形を与える人だからだ。形を与えるのが、建築家のただ1つの能なのである。」

(藤森 照信 2011.『建築とは何か』 p221)

「建築活動とかなりの隔たりがあるかに思われる他の文化的な活動を、ひとつの共通基盤に呼び寄せることができるのが「空間」という概念である。」

(原広司 1987. 『空間<機能から様相へ>』25)

にもかかわらず、建築設計者による経済のカンフル剤としてのグレーインフラの再開発は東京において止まることを知らない。この状況を20代としてどのように受け止め、現状を変えるかを考え行動せねばならないと思っている。

1972 年にローマクラブが発表した「成長の限界」では「人口増加や 環境汚染などの現在の傾向が続けば、100 年以内に地球上の成長は限 界に達する」と提言された。そこから既に50年が経過しているが宇宙船地球号としての地球環境は改善せず、Points of no return に近づきつつある。

1900 年から現在までの全球の生物体量と人為起源物質の量の変化を推定し結果、20 世紀初頭には、人工物の量は生物体量全体の約 3% にすぎなかったが、現在では、人為起源物質の量が全球の生物体量を上回り、約 1.1 兆トンに達したことが明らかになっている。[1]
建築が大きなボリュームを含む物質生産は拡張生態系として、地球環境に大きな影響を与える 1 つの人工環境となっている。

[1]Human-made Mass versus Living Biomass 1900-2025

人為起源物質と言われる人工的な環境の構築全てを包括して「建築」の生産と捉えるならば、地球における「ヒト」の建築的行為は地球の循環作用に対して、決して皮層的な役割に止まらなくなっている。このような状態を考えると、生産活動としての建築的概念の新たな提示が求められていることは確かであり、人類の発生から生まれた「建築」を歴史的俯瞰の立場から捉え直す必要があると思っている。

1-3.脱人間中心主義時代における建築を生きもの視点から考える

つまり「新たな建築理論」が必要であり、そのためには近代的な空間美学すらも更新せねばならない。そのためにはどこから切り込むと良いかを思考すると「ヒト」以外の立場から建築を捉えることではないかと思いつく。人間中心ではなく、脱人間的な立場から建築のあり方を思考しなければ、産業革命とモダニズムの強力な鎖の延長線から逃れることができないように思うからだ。

そのためには文化人類学の「マルチスピーシーズ」が役立つだろうと考えている。

マルチスピーシーズ民族誌に共通するのは、人新世によってフォーカ スされた人間という「単一の生物種」ではなく、人間以外の「複数の生物種」が協同して世界を作り上げたり、自律的に相互に関係を結んで世界を再編したり、人間の生を可能にする条件に目を向けることに よって、人間と人間以外の生物種が生み出す世界を描き出し、考察検討しようとする態度である。(中略)科学技術や政治経済体制が地球の隅々を覆い尽くす中で、その活動が破壊的な力を持つとされる、人間という単一種から、動植物や微生物といった生物種が、人間の支配 や制御のもとで、あるいはそれらから逃れて、行為主体として、多種の絡まり合いの中で生存と繁栄を築いてきたことへと視点を移動させたのである。

(EKRIT. 人新世の時代におけるマルチスピーシーズ民族 誌と環境人文学 . 奥野 克巳)
https://ekrits.jp/2021/09/4699/

私たちの建築的なるものは常にヒトにとっての(多様だが画一的な)視点で語られ、空間は構築されてきた。生産手段や工法もヒト中心である。我々「ヒト」のための空間、または「ヒト」が利用する経済のための空間をいかに効率的にまた快適に設計することができるか、または「ヒト」的な美学を拡張する空間を成立させることができるか?が我々設計者の命題となっている。つまり、近代以降特に「人間中心主義的な設計理論」を展開し続けてきたのだ。(人間中心主義と近代建築の諸関係については考える余地がある)

人間中心主義とは:ドイツでいう人間中心的世界観 anthropozentrische Weltanschauung のことで、一般に、人間が世界全体の中心あるいは目的であるとする 世界観、また、すべての存在者のなかで、人間にもっとも根本的で重 要な地位を与えようとする立場をいう。

コトバンク

そしてヒト中心であり続ける限り、新たな建築の生産システムは決して止まることはない。大手デベロッパーやゼネコン、組織設計事務所がいかにブランディングや株主に対してのCSR的な説明責任、組織設計事務所の再生素材を大事にしている感を醸し出していても、結局のところ「建築行為」を行う限りは負荷は発生する。建築産業は新たなものを作らねば、仕事や役割を喪失するからである。ここに非常に強い建築の矛盾が働いている。

***

その点において、動物の巣は画期的である。
多様な種や存在と関係を結んで生きており、数万年も変わらず"建築"を行っている生命たちに焦点を当てることで、建築のこれからに新たな活路を見出したいと考えている。

若いキングサーモンはビーバーダムの間をすり抜けたり、迂回してダムを通過する。ダム湖は、キングサーモンやその他の魚が天敵から隠れたり休憩する場所にもなっている。
(PHOTOGRAPH BY PETE RYAN, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
ビーバーは、ダムや巣を作るために重い木の枝を引きずって川の中を何度も往復する。この行動が少しずつ川底をえぐりとり、やがて冷たい水が流れる深い水路や小川が形成され、キン グサーモンの安全な移動を助ける。
(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

長谷川尭著の「生きものの建築論」では動物の「建築」を観察することによっ て現代建築に新たな視点を提供すると述べている。

現在かなりの混迷と行き詰まりに悩んでいる人間の建築に、もしかし たら何かの光明を動物の「建築」がもたらすのではないか?
(中略) 動物たちの「建築」の多彩な内容が、今日すっかり風化してしまったかに思える人間たちの巣作りへの情熱、この根源的な衝動の回復のために、少なからず活力をもたらすであろう。

長谷川尭.生きものの建築 p10

長谷川尭が主張するように、地球の大地にて「ヒト」 が建築的営みを始める前の原始から建築的行為を行ってきた複数の動物や昆虫を対象に「ヒト」以外の建築である「巣」の生成方法の分析を基礎とし、人間の建築生成技術変遷の比較に焦点を当てたい。

比較を通して、人新世時代における脱人間中心的な新たな建築概念の提示や、生き物達が得意とする「解いて築く」、解築への意匠工法面への展開を探し出したいのだ。

2.生命論的建築史の文献調査

まずは生命的建築史・思想の文献調査を行う。ここでは生命的視点を持ちえた建築家の思想や建築物を網羅的に調査し骨子を見出す。ここでは以下の通りに分類して調査を行おうと考えている。
特に巣と建築…この二つは根本的に全く異なるものであると捉えることも可能であるし、同類であり、古代より生命の構築物をメタファーとしてきた事例もある。生命的なるものを対象として歴史的視点から事例や思想を整理したい。

2-1.「巣」的建築の意識的生成

生きものや生命の巣の形態、生命システムをアナロジーとして着目し、意図的に建築論に応用した事例を中心に調査する。

・有機的かつ生命的建築論

「バウビオロギー」とは、「建築(バウ)」と「生命(ビオ)」と「精神(ロゴス)」からなるドイツの造語であり、日本語では「建築生物学・生態学」と訳されるものだ。 建造物を建築の学問のみで捉えずに、広く生理学・心理学・生態学・造園学など人と環境にまつわるさまざまな観点から考えるというもの。

建築は人に作用する!? 建築生物学バウビオロギーという考え方とは?
https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00482/#hd_title_1

有機的建築のアナロジー、中でも植物とのアナロジーにおいて建築を捉えるという考え方は、おそらく建築の歴史と同じくらい古くから存在する。(エジプトやギリシャのオーダー、ゴシック建築における森のメタファーなど)

生命論的建築の研究ー < からまりしろ > の概念をとおしてー .p10
ケルン大聖堂、ゴシックは森のメタファーである

アーヘンというのは森の中に強引につくった都市で、ゴシックというのは「森を石に変えてしまった建築」なんです。

https://1000ya.isis.ne.jp/1098.html

このような有機的・生命論的建築の建築空間や建築論への反映などの視点から生命的建築を読み解く。

余談だが、建築家平田晃久の博士論文「生命論的建築の研究〜からまりしろの概念を通して〜」は実作をメインにして展開しているが、その思想的展開の部分や批評などはとても面白い。しかし概念的なものが織りなす連鎖と彼の実作での補強の視点が強いため、ここに動物の巣を唯物的に観察し空間ではなく、工法として展開し、乗り越えたいと思っている。

「生命論的建築の研究〜からまりしろの概念を通して〜」平田晃久

・生命的建築・都市システム論
生命システム論に影響を受けた建築や都市システムの生成について調査を行い、よりメタスケールにおける生命と建築生産の関係性の系譜を調査する。
おそらくここは生命的に振る舞う都市マネジメントやハイパーストラクチャー的な話も入ってくるはずだと思う。もちろんメタボリズムの生命的概念も含むだろう。

伊藤忠太先生の「建築進化の原則よりみたわが国建築の前途」という学会公演のテーマにも見出され、そこで「建築というものをー生物にたとえてーすなわち建築はなおも生物の如くメタモルフォスをするものであり、生物に生命があるごとく建築の生命にも限りがなければならぬ。全て生物と同じような性質のものであろうと思う。」

菊竹清訓.代謝建築論 p202

F あなたのデザインを拝見していて思うのはまさにそのことです。1960年代の日本で巻き起こった「メタボリズム」という建築のムーブメントのことはもちろんご存知ですよね。この運動をリードした一人が丹下健三の門下生だった黒川紀章で、彼はいくつかの作品群も実現させました。今も銀座に建つ「中銀カプセルタワー」もそのひとつで、その外観はまるで核を持つ細胞が積み重なったかのようです。コンセプトとしてもカプセル単位での増殖・交換が可能でしたが、実際には“代謝”はしませんでした。むしろ朽ち果てたこの建物を廃棄して、新しいビルを建てることを人々は考えている。そういう意味で60年代のメタボリズムが上手くいかなかったのは、技術云々はともかく、彼ら建築家に真の生物学的視点がなかったからではないかと思うのです。
O なるほど。とても興味深いです。
F 実際、代謝は器官や組織のレベルでは起こりませんよね。細胞レベルですらなくて、分子のレベルで起きる。人間にとっての食べ物とは車にとっての燃料のようなものではなく、身体に新しい分子が入ると同時に、古い分子が外へと出て行く。完全な再生です。一般的には人間の身体は固定的なものだと思われがちですが、より動的な液状……むしろガス状とすらいっていいものです。 これは私が尊敬する科学者、ルドルフ・シェーンハイマーがマウスに与えた餌を追跡することで見いだした「動的平衡」と呼ぶべき生命観ですが、私はこれを現代の世界に呼び戻したいのです。

HOW WILL BIOLOGY CHANGE THE WAY WE LIVE ?
ネリ・オックスマン×福岡伸一

2-2.「巣」的建築の自然生成

ここでは、生命的視点をアナロジーとして展開した建築や都市思想ではなく、何かしらの外部要因の影響を受けて即応的に発生した自然な人類の「巣」的建築について取り扱いたい。

・災害・戦争行為ー破壊からの復興による巣的建築の発生ー
今和次郎は関東大震災による被災によって発生した応急の小屋を観察し以下のように述べる。

そして注意したいのは伝承の関係も文化の関係もハットといふものには全然現はれないのが原則だということです。人がある土地に空ら手 で生活を営みにかかるときには、その土地の材料を採り、その土地の 天候に対抗して、本能の力で小屋を創り上げるのですが、それがハットです。

今和次郎「暮らしと住居」三国書房 .p19
関東大震災の被災風景、建造物はすべて大地の素材となる
「ハット」関東大震災デジタルアーカイブ(今和次郎)

ここで述べられる「ハット」は伝承や文化生から切り離されたもので あり、即時的、セルフビルドとしての人類の巣の発生とも言える。こ のように「巣」的建築は災害・戦争行為などと深く結びついてる。

・未開・大地のブリコラージュとしての巣
危機的な外部要因が加わらない場合でも「巣」的建築が立ち上がる瞬間が存在している。一万年以上も前から未開人が大地から閉じた資材を活用しブリコラージュ的に生み出した建築たちである。レヴィ=ストロースはこのような神話的・呪術的な性格を持つこの思考様式を「具体の科学」とし、一万年前にも確立したものとする。

このような具体の科学の成果は、本質的に、精密科学自然科学のもた らすべき成果とは異なるものに限られざるを得なかった。しかしながら、具体の科学は近代科学と同様に学問的である。その結果の真実性 においても違いはない。精密科学自然科学より一万年も前に確立した その成果は、依然としていまのわれわれの文明の基層をなしているのである。

レヴィ=ストロース 野生の思考 .p20

建築家なしの建築も同じ属性かもしれない。

このような「具体の科学」を基底とした文明や建築は動物達の「巣」 的建築と同類項を持っていると推察している。

3.人類と生きものの建築生産技術比較

自然を作った創造主である神は、無益な教えは何一つされていない。
言い換えれば全てはその教えの産物である。人間の発明はこの教えを知ること、すなわち自然の模倣である。

アントニオ・ガウディ

ここでは生きものの巣を生産システム・工法・施工・運用・空間的な どの観点から観察と分析を行い、人類の構築してきた建築生産技術と 比較をすることで、建築技術論への展開を目指したいと考える。言ってしまえば「人類と生きものの建築技術はどちらが超越的なのか?」を知りたい。

長谷川尭の生きものの建築学から引用するが、このような視点をさらに多く獲得していきたいと思っている。

▪︎運搬技術
ビーバーは材料を口にくわえて、彼らの水路を泳ぎながら運搬する。こうした木材を主要な構造材料としながら、これに泥や水草を間に詰めて、川の流れを堰き止める。

生きものの建築学 p94

▪︎加工技術
ミツバチが自らの体内から分泌する蝋によって自分たちの巣をつくる という手法は(中略)他の生物の真似ることのできない特別な技術で あった。

生きものの建築学 p207
蜜蝋

▪︎運営技術
ミツバチの " 規格化 " され " 標準化 " された個室群は、いかにも合理的であるし一度つくられた六角柱の単位は、その維持メンテナンスのためにあまり大きな労力を要しないようになっている。

生きものの建築学 p227

▪︎材料技術
根元に近いところで噛み倒されたポプラやハンノ木の樹皮や葉は彼らの食料となり、残った幹や枝は重要な「建築資材」として使われることになる。

生きものの建築学 p94

▪︎空調技術
シロアリの事例:空気は地下室から、巣室内を上昇し、そこで消費され汚れる。温度上昇した空気が屋根裏にたまり、それがやがて外壁の尾根筋をつたわって降り、地下室に入るという、先に見た循環構造になっている。

生きものの建築学 p139
Self-organized biotectonics of termite nests

そのほかにも、日常的に出会える生きもの達の巣からも学べるものが多い。

3-3.解体建築史へ反映・視点の発見

解体建築史の今後の展開方法は「建築してしまったものをいかに解 体するか」または「解体を前提とした構築方法を生み出せるか」の 2 つの思考の分岐が存在すると考える。本研究では、1、2 の研究を合 成する形で後者を見出すことを期待している。

4. 既往研究

既往研究は色々な領域に存在している。動物の巣において幾何学的形状が発生する理由について研究が進められている。

ミツバチは単に断面が円形の細胞を作り、泡の層のように詰め込ん でいるのだという。Journal of the Royal Society Interface1 に掲載さ れた彼らの研究によると、ミツバチの体温で柔らかくなったロウは、 その後、3 つの壁が接する接合部で表面張力によって六角形の細胞に 引っ張られる。この発見は、ハニカム(蜂の巣)が精巧な生物工学の 例なのか、それとも盲目的な物理学の例なのかという長年の論争に追 い打ちをかけるものである。

Physical forces rather than bees’ ingenuity might create the hexagonal cells.
(Nature.17 July 2013)

動物の巣と建築設計についても研究が進められている。

生物は自己の生存あるいは繁殖のために,さまざまな構造物をつくりだす.たとえば,ハチの仲間は植物と唾液をまぜて巣を造り,ビーバー の仲間は木を伐採してダムを作り,ニワシドリの仲間は貝や木の実を装飾品としてあずまやを作る.さまざまな生物が,その生物の生活史 に応じて構造物を作るが,もっとも複雑で大量の構造物を作っている 生物は,ヒト Homo sapiens であろう.

鳥類による人工構造物への営巣:日本における事例とその展望(日本 鳥学会誌 . 三上 .2018)

動物の巣をアナロジーとした建築的概念への拡張については様々な言説や文献が存在している。

ドゥルーズも、じつはハイデガーが芸術活動の根源を「建てること
(Bauen)」に置いたのと同じようなことを言っていますが、そこでドゥルーズが持ち出すのはギリシャ神殿ではなく、ビーバーの巣づくりなどです。ビーバーにとっては、自身の環世界(Umwelt)を構築することと、巣という建物を建てることが一緒になっています。それを徹頭徹尾エステティックな活動として捉え、人間中心主義を突き崩すんですね。

20 世紀の遺産から考える装飾(10+1. 石岡良治(早稲田大学文化 構想学部准教授)+砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講 師).2018)

人工物と生きものの巣の概念的・機能的な相違についても研究が存在する。

人工物は人間の延長された表現型ではない。人工物はあくまでそれら が可る機能や思想,指示などの複製に貢献する表現型である。これが、 ツバメの巣と人工物の最大の違いである、前者は製造者の遺伝子の繁 栄に奉仕するが、後者は設計理念の繁栄にのみ奉仕し,製造者の遺伝 子の繁栄には貢献しない .

設計理念の進化とその表現型としての人工物(千葉大学研究論文 . 松井/小野/渡邊 .2016)

5.参考文献・図版出典

既読:◯ 一部既読:△ 今後:◇
< 論文>
△人新世のバイオミメティクス ~環世界の共存に向けて~(下村政嗣
◯生命論的建築の研究ー < からまりしろ > の概念をとおしてー(平田晃久 .2016)
◯ Global human-made mass exceeds all living biomass(Nature.2020)
◯ IPCC 第 6 次統合報告書(IPCC.2023)
◯ Physical forces rather than bees’ ingenuity might create the hexagonal cells.(Nature.17 July 2013) ◯設計理念の進化とその表現型としての人工物(千葉大学研究論文 . 松井 . 小野 . 渡邊 .2016) △鳥類による人工構造物への営巣:日本における事例とその展望(日本鳥学会誌 . 三上 .2018) △アントニオ・ガウディの研究 ( 第四報 ) : Casa Mila について ( 歴史・意匠 )(池原 義郎 , 谷田 義久 .1961) △科学的視座と「人間」概念-社会物理学からの示唆-(土屋 淳二 .2019) △今和次郎「暮らしと住居」三国書房
△ ANTHROPOLOGY BEYOND HUMANITY(ティム・インゴルド)
< 書籍>
△生命に学ぶ建築 動的平衡・相互作用・成長・再生(日本建築学会 .2018) ◯生きものの建築学(長谷川尭 .1992)
◯『人類と建築の歴史』(藤森照信 .2015)
△野生の思考(レヴィ=ストロース .1992)
△環境芸術家キースラーキースラー(山口勝弘 .1978) △オートポイエーシス―生命システムとはなにか(H.R. マトゥラーナ .1991)
◯建築代謝論 - か・かた・かたち -(菊竹清訓)
◇建築試論(マルクス=アントワーヌ・ロージエ) ◇ザ・ネイチャー・オブ・オーダー(クリストファー・アレグザンダー)
<Web 記事(最終閲覧 2023/5/25 >
・20 世紀の遺産から考える装飾(10+1. 石岡良治(早稲田大学文化構想学部准教授)+砂山太一(京都市 立芸術大学美術学部特任講師).2018)
・コトバンク ・人新世の時代におけるマルチスピーシーズ民族誌と環境人文学(EKRIT. 奥野 克巳)


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