水辺の休み時間

おはようございます。
あちこちの梅の木にたくさん実がなっている松本です。
お店の庭にも大きな梅の木があり、梯子を使って収穫しました。
帰り道の途中には桑の木があるので、毎日、黒くなった実を摘んで帰ります。
イチヂクの実が少しずつ膨らんでいくのをちびちゃんと見上げながら、下を通るときにはふたりで深く息を吸い込みます。
ぼくたちの家の庭にはザクロの木があります。
昨年の秋に越してきたとき、ぱかっと割れた食べ頃の実がたくさんなっていて、そのままいただいたり、ヨーグルトに入れて食べました。
果樹って、楽しいですね。

ちょうど1年前のこと。
ぼくたちは相模湖のほとり、山の中のちいさな町にいました。
窓から真下に湖の見えるところに木工所があり、3ヶ月の間、ぼくは働かせていただきました。
毎朝、お弁当を持って橋を渡ります。
いつも歩きながら本を読んでいました。
なかなか本を読む時間がなかったので、そんな習慣を持つようになり、星野道夫さんの著作を読み返していました。

木工所では、10時と15時にお茶休みがあり、12時から13時までがお昼休みです。
はじめのうちはお弁当を食べ終わると本を読んでいましたが、そのうち、いっしょに働くひとたちと話す方が楽しくて、リュックから本を出さなくなりました。

話を聞くのがすきです。
経験したことのないことや考えたことのない事柄や視点に触れることは、驚きや喜びをぼくに与えてくれます。
ぼくとは異なる考えや価値観を持つひとからの話はずっと聞いていたい。
違うって、おもしろいです。

たとえば、朝食はどんなものを食べるのか、いつも決まったものなのか、その日その日で違うのか。
誰がつくるのか。
どんなお皿で食べるのか。
テーブルは、椅子はどんなものを使っているのか。
ぼくと相手とでは、似たところもあれば違うところもあるだろうし、そのことについて考えていることも同じではないのですから、聞きたいことはいくらでもあります。

では、じぶんのことを相手に聞いてもらうとなると、どうでしょう。
なかなかうまくは話せませんでした。
相手にとって、ぼくが異なる考えや価値観を持っていることが、良くないことのように感じていました。
相手に対しては違っていいと思えるのに、じぶん自身に対しては同じように思えなかったのは、なぜなのでしょう。

木工所のひとたちは、ぼくの話に耳を傾けてくれました。
きっと興味ないだろうなと感じたらすぐに話を終わらせようと思っているのですが、うんうんと聞いてくれました。
じぶんのことを話すのは恥ずかしいし、緊張もするから、早口になります。
だけど、ゆっくりと話すことができるようになりました。
聞いてもらえているという実感があったから。

それまで、話したことはなく、ひとりで考えていたことを話せるようになりました。
どうかなあ、と不安な気持ちもいっしょに言葉にすると、いいじゃないですか、わたしはそれでいいと思いますよと言ってくれました。
本当に、そう思って言ってくれた言葉は、ぼくにもわからない、深いところへ届くのかもしれません。

3ヶ月の間にぼくは、臆病であるよりも、知ってもらいたいという思いが強くなり、相手とは違うということを楽しめるようになりました。

毎日、木の粉にまみれて働いた日々。
休み時間になると、機械を止めます。
さっきまで大きな音が鳴り響いていたのに、突然生まれる静寂が好きでした。

山の中でぼくの話を聞いてくれた、あの眼差しを
思い出す度、じわりと胸に広がります。
うれしくてたまらなかった、あのとき感じた気持ちがそのまま、何度でも蘇るのです。


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