生まれつづく言の葉

寒くなってきました。
日によっては、ストーブをつけることもあります、10月。

松本へ旅行に来られた、たくさんの方がお店にも来てくれます。
ときどき、このあたりでおいしいお店を教えて、と尋ねられることがあります。
どんな気分ですか?と食べたいものについてお聞きして、だったら、とぼくの知る範囲でのおすすめをお伝えします。
おいしかったよ、とそれを言うためだけにお店に戻ってきてくれる方もいます。
うれしいですね。
些細なことですが、誰かの役に立てるということは。

映画や本を紹介した文章を読むのが好きです。
監督や俳優、作者についての説明、内容について、見所、読みどころといった作品に纏わるいくつかの事柄の伝え方はぞれぞれ違いますよね。
観たいな、読んでみたいなと感じるものもあれば、紹介しているその文章が良くて、観なくても読まなくてもいいやって思ったりもします。

だけど、そこに書かれた言葉によって、その本を欲していることに気づかされ、図書館で検索をして、予約して、本が届いたと連絡があり、仕事の帰りに、あがたの森の図書館に寄り、妻とちびちゃんが寝てから、その本を開く、ということもあります。

いつもいつも、なにかを探しているのですね。
そのなにかは、そのときどきによって変わるけれど、知りたいことがあるのです。
知識として、ということよりも、ぼくがぼくについて知りたいこと。
一冊の本を通じて、ぼくは知らなかったぼくと出会ったり、或いは、知ってはいたけれど忘れそうになっていて、それを思い出すために読んだり。

旅先でおいしいものが食べたいと思うように、日々の暮らしの中にも、空腹と呼べるようなところがあり、いつでも、食べたい言葉を探しているのです。

食べた言葉がおいしかったとき、今度はそのことをぼくはぼくの言葉にして書いたり、話したりします。

ほんとうに、言葉が言葉を生んでいくのです。
どうすれば、もっと言葉を愛せるだろう。

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