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時を刻むぼくたちはいのち

雨の金曜日です。
ちびちゃんが帰ってきました。
きのう、幼稚園のキャンプで安曇野へ行っていたのです。
ちびちゃんのいない夜、家の中は静かすぎて、落ち着きませんでした。ああ、すぐにこんな時間が当たり前になるのだろうなと思うと、この毎日が宝物に思える、そんな夜、妻が眠りについてから、ずっと観たいのに観ていなかった映画を観たのでした。

では、マイク・ミルズの「カモンカモン」のこと。

生きている時間はいつも未来に向かって進んでいます。
きょうはきのうに、あしたはきょうに。
時間は戻らない、ってことは誰でも知っていますね。
戻らないけれど、繋がっていることも。
繋がりたくない過去とも繋がっているし、
見失っている時間とも繋がっています。

いまは、大人と呼ばれる存在でも、子どもと呼ばれる存在だった時が、誰にでも、必ずあり、
いまは子どもと呼ばれるひとが、いずれは大人と見なされる時が来る、そう遠くない日に。

ぼくたちの目の前にはいろんな出来事が舞い降りて、そのひとつひとつに戸惑ったり、幸福を感じたりもするけれど、
とくんとくんと、母親のお腹の中にいた頃からここまでは、すべてがちゃんと繋がっているのです。

繋がっているいのちを、きょうも抱えて、1日を送ったという意味で、ぼくたちは等しく尊い。

って、言われた。
というのが、この映画について、ぼくの感触です。

朝起きて、家のことを片付けてから、妻と女鳥羽川の近くのお店に朝食を食べに行きました。
それから、ちびちゃんを迎えに行ったのでした。
バスから降りてきたひとりひとりを迎えるそれぞれの母や父を見ていました。

ぼくのところにやってきたちびちゃんを抱きしめると、ちいさくて、あたたかくて。
家へ帰ってからも、嫌がられながら、ずっと触っていました。

ぼくはぼくのいのちと共に生きていこう。
隣りにいるひとのいのちを感じながら。
ということを考える、この頃です。


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