今夜はともだちの家

こんにちは。
ちびちゃんの通う幼稚園の庭にはスグリの木があります。
つい最近まで、赤い実がたくさんなっていたのですが、いまではすっかりなくなり、枝を分けたところに少し残っているだけです。
ちびちゃんが食べたからです。
スグリの木が、がさごそ揺れているなあと見ていると、ちびちゃんの姿が見え隠れしているそうなのです。
先生から聞きました。
みんな、いちにち、3粒までと決まっているのですが、ちびちゃんはお構いなし。
周りの子たちはすっぱいスグリには惹かれないのか、ちびちゃんひとり占め。
彼は知っているのです。
じぶんの手で食べ物を採り、次々に口に運ぶ歓びを。
庭のニンジンを引き抜いて食べるのも好きです。
おいしいところだけを食べています。

ほんとうに、食べることが好きなひと。

さて、ちょっと思い出したことがあったので書いてみます。 

子どもの頃、ともだちの家で夜ごはんをごちそうになる、ということがときどきありました。

遊んでいると、ともだちのお母さんがいいます。

ねえ、うちでごはん食べていったら?

それを聞いたともだちは喜びます。
まだ遊んでいられるし、食事が終わってからも、ちょっとは遊べるんじゃないかなって。

ぼくはまだ喜べません、そりゃあ、食べたいけれど。

ともだちのお母さんがいいます。
あなたのうちには電話しておくから、大丈夫、遊んでなさい、って。

ともだちの家で食事をしたときのことを思い返すと、どのともだちのお母さんも、ぼくたちといっしょには食べませんでした。
ともだちとぼくが食べるのを見ながらお茶を飲み、ぼくたちの話をきいたり、ぼくたちにいろいろ質問したり、ともだちのお母さんはどんな子どもだったのか話してくれました。

電話を終えた、ともだちのお母さんがうれしそうにいいます。 

食べていってもいいって、帰りはおばちゃんが送って行くからね。

そこでやっとぼくは安心して喜べる。
張り切っちゃおうといって、買い物へ出かけるお母さんもいました。

おいしい魚を食べさせたいといって、どこか遠くの魚屋さんへ行ってくれた人もいたし、ハンバーグとカレーが好きっていったら、ふたつとも作ってくれた人もいたし、いろんな種類のパンを焼いて食べさせてくれた人もいました。

ともだちのお母さんて、どの人もみんなやさしくて、かわいがってくれました。
ぼくが強がったり、怒っても、あははと笑い飛ばし、ぼくが夢を語れば真剣に肯き、あなたならできるよ、おばちゃん楽しみにしてるよっていってくれて。

あるとき、Hくんというともだちの家に泊まりに行ったとき、夜ごはんを食べ終えて、ぼくはHくんのお母さんにごちそうさまでした、っていいました。

おそまつさまでした、ってHくんのお母さんがいいました。

ぼくはいいました。
おそまつなんかじゃないよ、おいしかったよ。

すると、Hくんのお母さんは大きく笑って、あなたはほんとにやさしい子なんだねえとぼくを抱き締めてくれました。

そのときは、わかりませんでした。
なぜ、そんなふうに笑うのか、なぜ、抱きしめられたのか。
理由はよくわからないのだけれど、ぼくはうれしかった。

ともだちのお母さんたちはそれぞれのやり方でぼくに伝えてくれました。
言葉にすればそれは、あなたは大切なひと、といったことを。

ともだちのお母さんたちがぼくに伝えてくれたことはぼくの栄養となり、育ててくれたものがたくさんあります。
大切にしてもらった記憶は体の全身が覚えています。

あの頃、ぼくはその気持ちに対して、どんな返事をしていただろう。
ぼくの気持ちも伝わっていたら、いいな。





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