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筑前國嶋郡川邉里戸籍断簡

大寶二年籍

受田参町漆段参佰歩

戸主物部牧夫 年陸拾肆歳 老夫 課戸
妻大家部咩豆賣 年伍拾肆歳 丁妻
男物部加布知麻呂 年参拾肆歳 正丁 嫡子
男物部奈美 年参拾歳 癈疾
男物部神山 年貳拾捌歳 正丁
男物部建 年貳拾肆歳 兵士
男物部久漏麻呂 年貳拾壹歳 正丁
男物部穂太利 年拾漆歳 少丁 
上件五口 嫡弟
女物部沙婆賣 年貳拾陸歳 丁女 嫡女
孫物部小野 年伍歳 小子
孫物部高椅 年貳歳 緑兒
孫物部山井 年壹歳 緑兒 
上件三口 奈美男
婦額田部阿久多賣 年貳拾貳歳 丁妻
婦妾ト部犬手賣 年拾貳歳 小女 
上件二口 神山妻妾
孫物部荒手 年捌歳 小子
孫女物部泥豆賣 年貳歳 緑女 
上件二口 神山男女
婦葛野部阿麻賣 年貳拾肆歳 丁妻 建妻
孫女物部比呂賣 年壹歳 緑女 建女
外孫女肥君堅魚賣 年漆歳 小女 佐婆賣女
肥君方見賣 年拾貳歳 小女 寄口
葛野部乎麻呂 年参拾伍歳 兵士 寄口
母葛野部美奈豆賣 年漆拾歳 耆女
妻中臣部宿古太賣 年貳拾伍歳 丁妻
男葛野部阿由比 年捌歳 小子 嫡子
男葛野部泥麻呂 年参歳 緑兒 嫡弟
弟葛野部止志 年拾陸歳 小子
妹葛野部天鳥賣 年貳拾貳歳 丁女

*

わたしがどうにも物語をできないのは、例えば、この奇跡的に散佚を免れた『現存する日本最古の戸籍』よりも imaginative で brilliant で pathetic な小世界、それを生み出すだけの力量も必要も、己のうちになかなか見いだせない、というようなことであります。

『筑前國嶋郡』(いまの福岡県糸島市周辺)は、アイキャッチのようなところです。あれももう、3年ほど前のことになりますが、娘(綠兒)にとってはじめての海で、わたしはやはり大地主・物部マキヲの一族に思いを馳せていました。とはいえ、その折のわたしの視座は、いまのわたしの視座とはまったく異なっていたのですが。

戸主の次男にあたる三十歳の物部ナミは『癈疾』(はいしち)です。確かにこれはれっきとした律令用語でありますが、それぞれの字面に、鈍くわたしの胸を抉るものはあります。

癈疾のナミにはどういう訳だか――すくなくも【戸籍上は】――妻がおりませず、ヲヌ、タカイ、ヤマイというみたりの息子を抱えております。生まれたばかりの末子のその名も、それを思えば、わたしは苦しい気持ちになります。2歳下の弟カムヤマは、妻と、数え十二歳の妾まで抱えておりますから、そこは「どういう訳だか」と察するほかないのですが、その訳を掘ろうとするとき、わたしは萎れた老母メヅの、その鋭い咎めの視線を覚えるのです。

そのように、あるいはより饒舌に、たどたどしく語るその筆がもどかしいほど、わたしはこの戸籍が好きであり、それはひょっとしたら、人だとか、社会だとか、家族だとか、わたしが厭うて飽きたらずそれを薪にやってきた、そのようなものを、わたしはひょっとしたらどこかで大好きなのではなかろうか、といまさらながら訝るのであります。

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