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Ad Astra

 星の数ほど、と書きはじめることを決めていた。

 もちろんわたしは星の数を知らないのだ。検索すれば、たちどころに分かったりするのだろう。便臭と老臭に満ちた、こんな山奥の病床にいてさえ。

 近頃は博学のような事が、どうでもよい。わたしの無学な祖先たちは、星の数などに気を逸らされること無く、星を見ていたはずだ。海賊でもあり漁師でもあったわたしの遠いご先祖など、ひとつの星を見失わぬ一事に、ある時は文字通り命を賭けたりもしたのだろう。そして陸に還れば、星空の下、愛しいひとと稚拙な何かを語ったりもしたのだろう。多いね。そうだね。どれも光ってるね。そうだね。寒いね。うん。うん。うん。

 公害や光害やで、肉視できる星は著しく減ったのだろうし、わたしたちの視力そのものも低下したのだろう。瞬きのような須臾の歴史のなかで、星が増減したものかどうか、わたしは知らない。何しろ、どちらに転んだところで、星の数ほど星は在るのです。And anyway, all the stars come and go, as I do. それにしても、わたしたちの星を見なくなった具合は、いささかまずいのではないですか。流星群だからいざ見ましょう、そして宙への視線は束の間バズり、翌日の昼前には口の端にものぼらないのです。それは、空も濁ります。わたしたちの目も濁ります。てんで馬鹿にしているのだから。あの星のなまえ、ご存知? わたしは子どもの時分からPeradonna と呼んでいますがね。ほら、あの萎びた猫だって、向こうの髭親爺の前じゃ Kaepfel, わたしの前では Weissiv, どっちにしたってナーと啼いて澄まして餌食ってますよ。何、あの星があなたには見えないと!仕方のないこと。星の数ほど、など、実際みっつまでさえ数えてみたことも無い方々が逃げ込む遁辞を、知恵ありげな顔して。あなた方は、利害ある人間様以外はどんなに馬鹿にしても侮蔑しても軽視しても何の痛痒も覚えぬげに、さぞご多忙の極むこった。あなたとわたしの源の源の源、この一年で、あなたは何分見ましたか? そこまでして真相から目を背け背け背け倒して、あなたは何を生きている? そして故に、何から死ぬ? これは何だ? わたしには分かりますな。わたしたちは残らず例外なしに、星の欠片ですよ。二三十年も宙を見ていりゃ、誰にでも、あの向かいの愚鈍な糞親爺にも耄碌したわたしにも、はっきりくっきりと分かるんだ。

 25号室の窓側指定席。半窓のカーテンを開け、いずれ眠れぬ夜をいくつか、星と過ごした。星見には資格も極意も目標も無い。ただ見るのだし、ただただ見続けるので、そのうちほんのりと星の涼しい視線を感知するからいつしか夢中になり、魅入られたようにわたしはもうひとつの生臭い夢の中へと放り込まれる。あの星は恐らく Sirius と呼び習わされた星だろうが、星見にその名を挟む暇は無い。同じ女を抱いた男たちの座談会のように、わたしがその星を Sirius と名指す意味はとっ散らかる。

 わたしが真に嫌いな看護師群は、開けといてほしいと懇願しても、カーテンは閉めるべき故にカーテンは閉める看護師群であり、それは偶然にも、それ以前からわたしが嫌いな看護師群と一致する。目が荒んでいるという理由であった。嫌いな者に好かれても何も益は無かろうから、今回のわたしは zzzz と閉められたカーテンを shshshsh と傍若無人に開け続けた。

 投薬による激しい頭痛のさなか、星を見ることを、星見をこれからもゆめ忘れねば、この病はやがて完全に癒されるという啓示を得た。それは間違いようのない真理であった。星はわたしを見ていた、わたしは何をも見ていなかった。星の数ほど、というこれは今や唾棄の対象、星を見るようにわたしを見それを見これを見、やがて何をも見ざる者たちと、同じ冷たい土に還る。寒いね。うん。うん。うん。

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