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10日後に死ぬわたし

 煽情的に聞こえることを好まないので、ちゃんと詰まらなく註釈します。正確な題名は、
『死の10日前には「10日後に死ぬわたし」と観念しているわたし』
であり、10という数でさえ、娘がちゃんと10進数2けたの意味を分かった記念に過ぎない、のと、仮に今回の流行病に引っかかれば、だいたいそれくらいか、との目算と、です。ステロイドと抑制剤を大量に飲んでいる者にとっては、それくらいの胸算用は許されてよいでしょう。

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 巷では日一日と死をカウントダウンされるワニが流行していて、例に漏れず、わたしも毎日眺めております。

 言うもおろかでしょうが、あのワニが特殊だとすれば、わたしたちにとっての『トゥルーマン・ショー』的な布置のみです。街中で「お前の死は日一日近づいている!」と声を掛けてくる奇特な人はそうそうおらないから、忘れたいことを都合良く忘れて平気で生きています。もっとも、修行が足らんわたしのなかには、比較的強い奇特な人が棲みついているから、ひとりの夜は苦手で、それは一日の約半分を占めているので、生きるのもわりと苦手です。

 川が川である以上は流れるように、わたしたちもワニとまったく同じ歩幅で、カウントダウンを受けている。(正確には、川だのカウントダウンだの、そんなもの一切合切が、「生きるには意味がある」といういじらしい信念による創作ですが。) そのあたりでようやく、わたしのような凡人は『神』なるものをわりと強く感ずるように思います。嘘でも詐欺でも詭弁でも、すがって現世を manage できるのなら、すがって良くない理由は無い、と。ほんとはあんまり良くないですね。そういうあれは、急に生存から美しさとか潔さを減殺します。マスクの流れでティッシュを買い溜めする心根に見える「美しくなさ」「潔くなさ」が、そのひとつの顕著な風景であることだ。

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 さて、作品としては凡庸きわまるなか、あの漫画が実に多くのひとに、リアルタイムに『ぶっ刺さる』のは、以下のようなことかと愚推します:

いかに武装せよ、生身は哀しいほどロースペックなわたしたちにとって、情報と欲望に塗り固められたエゴが、あまりに現実とは遠いところに連れてゆかれたとき、わたしたちは不思議にも、生きていながら「生きていない」虚しさを覚える。みんながそうだから、そんなもんだと首を傾げながら日を送る。そんなときに、路傍の子どもが無邪気に叫ぶ。

 でもみんな死ぬじゃん。あなたも。100%。例外なく。予報も予定も関係無しに。

これは素数の性質やフラクタルの振る舞いとは違い、みんなが知っている事実です。どうもわたし(たちの多く)は、当初はそこから顔を背けていたようだ。解決不能な観念からの逃避は、「解決不能な観念からの逃避」からの逃避、『「解決不能な観念からの逃避」からの逃避』からの逃避……と自家中毒気味に、なんというのか、なべて神経症の様相を呈するようです。

 最近めっきり文章を読むのが億劫なのは、からだの諸事情もさることながら、その逃避(からの逃避(からの逃避(から……)))の過程で、逃げ腰のくせに妙に胸を張って書かれたことば(増えましたねー、もう池田晶子が書かないから、変なのばかりがステージに上がる)に、ことば本来の匂いが皆無だからなのだろう。路傍の子どもの身も蓋もない福音のみが、真のカタルシスとなる、そのようなタイミングが定期的にやってくるのが、人類の歴史なのでしょう。……もっとも、そのようなことだと体得するには、人並みに脅かされなければならんかったので、わたしは愚か寄りの凡人確定なのですが、てへへ、といった所です。

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 人生はやや長すぎるし、ひとはなかなか死ななすぎる(もっとも「……すぎる」という感の出る時点で、何一つ悟ってはいません)

 カーテンレールの端で殻を保つ、かつてのカメムシを凝視しながら、わたしはこんな下らん文章をこしらえる。このかつてのカメムシは「死んでいる」ようだが、この子の境遇について、娘(3歳6ヶ月)は相当正確に把握していて、わたしは驚いたし、どこかわたしの子どもだなあと苦笑いしました。「○○ちゃんは、生まれるまえは、しんじゃったの?」の問いには、仮に答えるのにだいぶ掛かりました。God bless her.

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 さて。10日後に死ぬことになるわたしは、10日前には「10日後に死ぬ」とわかっている。

 そう心底決めるのは、軟弱で煩悩に満ちたわたしにはとてもしんどいものですが、かなりの数の先達が、実にさまざまな感慨と工夫を経て行き着いたあたりに、ようやく追いついたようにも思います。わたしは同時代と馴れ合うよりも、Homo sapiens の山脈を仰ぎ見ることがはるかに好きな生き物であったから、それによって肩身の狭い思いをせずに済むこの地点は、案外風通しがよくて、悪くないものです。

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