見出し画像

何度か手を叩いて、祈る

 インチキクリスチャンの初詣のお話で、手水の使い方やら鈴の振り方やら礼拍の流儀やら、そんなことを同じく物知りの妻と他愛なく楽しく議論し、それをケンカと間違えた娘から止められ、ぼくたちは「かみさまのおうち」を辞したのだ。かみさまはいたよ、と言っているから、お参りは成功だったはずだ。

 たまさか、作られた神話について考える機会もあり、参拝の作法をいろいろ調べてみたが、結局はよく分からない。伝統は再形成の過程で形骸化する、という事だけはよく理解できた。

*

 破れそうな薄紙の冊子が手元にある。ぼくの大伯父の氏名が書かれてある。

 太平洋戦争後、GHQ は軍国主義的だと判断した教科書中の叙述を、生徒・児童(当時の少国民)の手で消させた。いわゆる『墨塗り教科書』である。

 直ちに代替の教科書をしつらえることは、敗戦直後の出版・輸送事情を考慮すれば、かなり困難であったはずだ。教科書「で」教えるのではなく教科書「を」教える時代、子どもにとっても、いくばくかの感慨や衝撃はあっただろう(もっとも、祖母や大伯父から聞いた動員の話を思えば、どれだけ教科書「を」勉強できていたか疑問ではある)。

 進駐軍とて、「不適切な」箇所を虫食いで塗りつぶしたテクストが、てんで物の用に立たない事くらいは無論承知の上であったろう。何をすれば民衆の悔しさと怒りを煽るのでなく、骨抜きにできるか、考えられた策であるように思う。

 焚書ではいけない。かつての拠り所を根こそぎ奪ってはならないからだ。全く喪われた教科書は、その欠損ゆえ、殉教者のように必ずやいつか美化される。「それ」が、物体としては依然教科書でありながら、実質はもはやナンセンスなモザイクであること。反動的に平和やら反戦やら民主主義やら、そのような事柄を教えるのではなく、「それ」を何をも教えることができない代物に変えること。このあたりが狙いであったはずだ。ぼくならばそうする。

 植民地に賢しさは無用。彼らは実に優れたロボット適性を持つ。利用せよ。目下仕込むべきは、ソ連の脅威と「反共」の盲信のみ。知識層には自由の飴と検閲の鞭を、庶民にはパンとチョコレートを。
 なに、これは簡単なチェスだ。

 これは妄想だろうか、空耳だろうか。それなら幸い。

*

 爾後七十五年、いろは坂のように左へ右へと曲がりくねりながら、ぼく(たち)は揃って、知識層のように振る舞う庶民にきちんと成り果てた。なんだって考えて書いて話してよい自由にがんじがらめになり、ほんとうの敵にだけは肝心の矢が届かないシステムを各々のなかに整備した。パンとチョコレートは、ときどきに変幻自在に名辞を変えながら、お上から配られ続ける。拝領した物を誇る場所が、仏間の額縁から SNS に移っただけのこと。

 これが、哀れで無知な三等国の負け犬どもを見下し茶化しているのならば、どれほど筆は軽かっただろう。事はぼく(たち)の祖父母にはじまり、父母が為す術もなく金を稼ぎ、金さえ奪われたぼく(たち)に引き継がれた「レガシー」だ。

*

 ぼくが何と闘ってきたのか、それはまあ饒舌に語りもしたが、もう構わない。戦史は矛を収めた後に綴るものだ。そしてぼくはまだ「戰鬪状態に入」ったままだ。かつて教え子であった人たちの多くが、ぼくなどとは比べ物にならないくらいに自らの頭とこころで考え、行動する大人になっているのを、頼もしく思うことが増えた。身体ばかり老けて、若者を見下すばかりが能のその辺の自称「大人」より、はるかに冷静で大人だよ。もちろん、こんな火の粉を被る物言いをしてしまうぼくよりも。

*

 Old soldiers never die; they just fade away
 (老兵は死なず、ただ消え去るのみ)

と嘯いた一老兵は、確かにこの島国にしぶとく生きている。もはやその影響を切り離すことができないくらいにしぶとく。

 右だ左だと、そのような囂しいお祭りの神輿からは、成人式までには降りていた。降りてから、折に触れてぼくを奮い立たせ続けてきたのは、たとえばこの一冊の教科書に込められた、底知れぬ侮蔑を思うことであったりした。

*

 あなたたちの世界をこれ以上悪くしないよう、ぼくは精一杯「この」頭とこころで工夫して闘ってきた。30センチだけ高い場所を借りて、チョークだけを手に持って。そして、あなたたちは、この晴れがましいお祭りの後に、ぼくたちの世界のフルメンバーになる。ならざるを得ないんだ。

 ばらばらの、気ままな流儀で構わない。手などどちらから洗おうと気にしないし、何度手を叩こうとそんなことは本質ではない。

 ただ、この老兵とでもよければ、一緒に考え、何でも語り、あきらめずにいつかはこの闘いをシェアしてくれると、本当に嬉しい。「どんなときも自分の頭とこころで」なんて、決して派手でも見栄えよくもなく、アンチ・ライフハックでインスタ映えもしない闘いで、なんだかよく理解もされず、そのわりに不毛な中傷や侮蔑を浴びるとんだ闘いで、それでもぼくは、あの闘いよりははるかに恵まれた贅沢な闘いを選ぶことができたことを、感謝している。

*

 忘れてた。

 成人、おめでとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?