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通がニッチ好きを受け入れる訳の考察

映画好きに『フォレスト・ガンプ』が一番好きだと言ってはいけないのか。
小説好きに村上春樹が一番好きだと言ってはいけないのか。

自分は結構、王道というか有名な作品から入るタイプだ。たまーに、もっとニッチな(と言っては作者や作品に失礼だが)なかなか人が知らない映画や小説をあげ得意げに語る人がいる。

そういう人はニッチ好きな人しか認めない傾向にあると思う。自分の偏見だけど。

でもそれには単に知識でマウントを取ってやろうと思うだけでなく別の意味合いも含まれると思う。

それは『主体的に情報を取る人がどうか』

自分から情報を取りに行ってる人を仲間と思う傾向があるのではないだろうか。その共通した「行動」に共感している。

普通に過ごしている受動的な情報収集では辿りつかない作品をお互い知っている。
ということはそこに至るまでに「能動的な情報収集をした」という行動に共通点を見出して、嬉しくなるのでは。とふと思った。

自分もボートをやっていた人に親近感を覚える。
それは同じ行動を体験した人しか知らないことを即時に共有できる嬉しさがある。

「その作品知ってるの?」にも同じく独り黙々と情報収集した行動の共通点を見出しているのかもしれない。

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