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#8 コギカジ振り返り〜未経験で記事を書いた〜 『それでも一度きりの場所で』

自分の記事に、現役部員が書くブログとは別の意味を持たすためにはどうすればいいか。

そう考えた自分は、
「聞いてないことを書く」
ということに挑戦してみようと思いました。

もちろん取材内容から逸脱した嘘を書く。
そんなことはしませんし、したくありません。

そうではなくて、「きっとこんな気持ちもあったに違いない」
そんな思考で話の先の風景を勝手に想像することを試みました。

少し具体的に言うと、若林選手から「当時一緒にペアに乗っていた山田さんの言葉で、気持ちが切り替わった」という趣旨の話を教えてもらいました。

そこから想像して書いた部分を抜粋します。

太字部分の若林選手の言葉は取材内容は教えてもらった内容ですが、
それを受けて書いている最後の地の文が想像して書いたものになります。

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(コロナ禍で艇庫への立ち入りや練習時間が制限され、試合直前で練習不足だと感じていた)

若林主将

「エルゴを引く時間も全くなく、フィジカルもテクニックも全て艇の上で作り上げていきました。正直不安もありましたが、練習中に山田さんが『この状況でもし勝てたら、めっちゃかっこいいよな』と笑いながら言ってくれたんです。その言葉を聞いてから気持ちを完全に切り替えることができました。プレッシャーみたいなものも全くなく『とにかく漕ぎまくろう』という山田さんの提案に『ここまできたら、やってやるか』という気持ちになれました」

漕手の気持ちに応えるように、艇は速度を上げていた。

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"漕手の気持ちに応えるように、艇は速度を上げていた。"
の部分は取材で直接伺ったわけでもなければ、自分が現地で見た風景でもないです。

でも話を聞かせてもらった時、自分の頭の中にはペアがすーっと、静水を割いて横切っていくイメージが浮かびました。
そのイメージが少しでも伝わるように書けば、読んでくれた方の脳内にも若林さんと山田さんのペアが、瀬田川を颯爽と通り過ぎるイメージが浮かぶのではないか?
そんな仮説を自分なりに持って書いてみました。

「正確さ」と「伝わること」はまた別なのかなと思っています。

例えばふたりの艇速を
"500mが1'50"から1'45"にまで上昇した"
と書くことは正確な事実かもしれません。

でもそれよりも「コロナ禍で練習不足であるその不安を乗り越えたふたりに呼応して艇の進み方も良くなった」ということを伝えたい場合。
それをより心地よく読んでもらうためには、正確な数字よりも風景を描写すること、イメージが浮かぶ言葉で書くこと、その方が有効なんじゃないかなと感じました。

ちょっと勝手に書きすぎたかなと不安に思っていました。でも幸いにも取材したみなさんに記事を確認してもらったところ、とても好意的な感想をもらうことができました。

"漕手の気持ちに応えるように、艇は速度を上げていた。"

些細な試みだと思います。

でも、「こんな風に書いてもいいんだ」と思えたことで、自分としてはすごく幅が広がったような、自由になったような気がしました。

そして、京都大学への取材を通して、ボート部の素晴らしさを思い出した自分は、ある気持ち持つようになりました。

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今回もお付き合い頂きありがとうございました。
次回は、ひとつ目の記事をなんとか書き終えて、その後に湧いてきた気持ちについて書いてみようと思います。

京都大学の方々にお話を伺った記事はこちら↓
『それでも一度きりの場所で』

僕がお世話になっているOBHはこちら(コギカジのメンバーにもなれます)↓
https://community.camp-fire.jp/projects/view/337446

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