人が選ぶのは入口だけになる?
後ろ向きな気持ちになって
「どうせいつかやめるんだし、意味ないやん」
となることがある。
それを言い出したら、何もかも手につかなくなる。
でも一方で「どうせやめるんだし、やれるだけやってみよう」
と思えることが少しずつ出てきた。
「どうせいつかやめる」というのは、人間はいつか死んでしまうので、何にでも言えることである。
でも上のどちらのセリフも「どうせいつかやめる」というのは確かなことで、何かの根拠になり得ると思っているのだ。
でもこうやって考えてみると、自分の調子によって、「何にでも言えること」の下の句に何を持ってきているのか自分で選んでいる気がしてきた。結局のところ、自分の思いたいように何かよりどころや根拠を勝手に探してしまうのかもしれない。
そこで思うのはやはり、「検索すればなんでも出てくる」ということだ。
欲しい言葉を探そうと思えばそれらしいものが探せてしまう。
「〇〇得」
「〇〇損」
どちらも出てくるだろう。
何か自分の中で思惑があるとき、勝手にキーボードを叩いて類似の意見を探す。それ以外見ない。わざわざ自分に反論してくるものを検索しない。自分の見たいものを探す癖がついている。検索タブには自分の好ましい言葉を入れる。僕たちにはとっくにその癖がついている。
そして意図的に出した言葉を根拠に、自分の意見を加速させていく。
やっぱりそうだ、自分は合っていたのだと思って視野がどんどん狭くなっていくのかもしれない。
道は一本しかない。頭の中では両方が底なし沼になった長い道が伸びている。そして前方を迷いなくひた走っている「同志」の背中だけが見える。そして気配からその先にも
その地表とは地続きだが遠くのどこかで、自分達反対向きに走っている人がいる。でもそのことには思い至らない。ここ以外に大地があることを知らないし、知りたくないのだ。
今だとAIが指向に合わせて動画や情報を提供してくれる。
入口を選べば、それに連なるものを簡単に出会うことができる。
最後にボタンを押すのは僕らの指だが、そこに本当に自分達の意志があるのだろうか。ある地点を超えたら坂道を転がり落ちていく石のように、最終地点まで、頭が凝り固まるまでその情報を体に染み込ませるまで抜け出せないなんてこともあるのかもしれない。
そうやってどんどん主体性が人から抜かれていくのかもしれない。
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