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イライラ人と凄腕パイロット

目の前の空中をそれが横切った時、シャープに折られた紙飛行機を連想した。
でももちろんカレー屋さんで紙飛行機が行き来しているわけはなく、それが自分の注文したオレンジジュース用のストローであることがわかった。

乱暴な対応に唖然としている自分。
無言で去っていってしまう店員さんの背中を見つめて、「投げるねー」と称賛なのか批判なのか、良くわからない声が小さく漏れた。

カレー屋さんでストローを投げられたことありますか?
個人経営でやっててとかじゃなく、普通のめっちゃ有名チェーン店。

リラックスしているので、結構びっくりします。
そういえば、注文を聞いてくれた時もその店員さんは語気が荒っぽくて、少し嫌だなと思ったのを思い出した。

その店員さんをカウンター越しに見ていると、多分長年そこでアルバイトしているのか、周りの人へもちょっと厳しめの口調で指示を飛ばしたり、指導というか文句を言ったりしている。その店で働いたことはないけれど、仕込みとかレジ周りの些細なことだというのはわかった。
時代遅れな連想だとわかっていても、昼ドラの意地悪な姑を連想した。
スーッと家具を指でなぞって「この埃は何かしら?」みたいな。今時そんな表現ないだろうけど。

そこに新しく年配で割腹のいいお客さんが入ってきた。
ストローを紙飛行機のように飛ばした店員さんよりも、さらにイライラしている様子。「あー」とか「うー」とか機嫌の悪そうな声が出ていて、それはもうアピールがすごかった。椅子に座るとき、サンドバックをベビー級のボクサーが殴るような乱暴なドスンという音がなった。

意地悪な考えだけど、ストローの店員さんはどうするんだろう?と思って背後のやりとりに耳を澄ませる。
「いらっしゃいませー、ご注文お決まりですか?」
自分の時とは明らかに違うワントーン高い声で低姿勢で接している。

おーい、俺にもそっちのチャンネルで接してくれーと心の中でずっこける。

そしてふとこれって、結構世の中の縮図のように思えました。
会社とかその他のいろんな場面で、イライラしてる人の押し出し、もしくはイライラ人(イライラしている人のことです。勝手につけました。)を敬遠して不戦勝でイライラ側の勝利になることって会社でも結構あるなと。

イライラ人には優しく店員さんは接しているが、自分のように低姿勢でいると漬け込まれてしまう。会社でも年配の人に無茶な注文をされることもしばしばで、なんだかなーと思った。

店員さんにも敬語で話しているし、注文も自分勝手に早口で伝えずに打ち込む速度に合わせて伝えているし、食べ終わってからもタイミングを見計らって手が空いている時にレジに向かったりしているし、そういうのって全部無駄なのかなー。

結局、イライラ人の方が得するのかなー。

ことん、と優しい音が鳴る。

ストローの方とは別の店員さんが、「お待たせしました。」と自分の頼んだ500gの大盛りカレーをソフトランディングでテーブルに置いてくれた。
「ごゆっくりどうぞ」の声が優しく「ありがとうございます」と声が出た。

さっき店員さんのストローは不細工な不時着だったけど、この人は重たい器を丁寧に置いてくれた。
イライラ人よりも、凄腕パイロットの方がかっこいいと思う。

イライラで人をコントロールし始めたら終わりだ。
そんなので得したって意味ないじゃん。と先ほど湧きかけたカッコ悪い考えを打ち消すことができた。

やっぱり可能な限り優しくいよう。利用されても、軽んじられても、舐められても、結局そういう優しい人が世の中の皺寄せを請け負って支えているのだ。

いざという時以外は、舐めさせておけばいい。利用させておけばいい。
主導権はきっと優しい人にあると信じたい。

イライラ人はその優しくて温かい掌の上でバタバタしているだけなのだ。
そう思うとさっきまでの嫌な気持ちが軽くなっていくのがわかった。気を取り直して、スプーンでスパイシーな山を崩して口に運ぶ。
美味しい。週末のささやかな楽しみを今週も美味しく食べられそうだ。

ありがとうございます。自分も優しく居ようと思います。
僕は心の中で凄腕パイロットに勝手に感謝した。

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