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地中で待ちぼうけ

小学校のときの友達と繋がっていない。

就職して遠くの県に住んでいるし、「どうしても会いたい」というような切実さはないのだが、ふと心配していることがある。

タイムカプセルのことだ。

確か小学校4年生か5年生の頃。学校のグラウンドにタイムカプセルを埋めた。位置もはっきりと覚えている。
校門から一番離れた位置にバックネットがあって、その裏にタイムカプセルは眠っている。

何を埋めたんだっけ。そしていつ掘り起こす予定だっただろうか。

小学校の時は、「絶対にその時がきたら掘り返すんだ」と信じて疑わなかったけど、大人になって会社員として働いて思う。
20年後の予定をリマインドすることってそんなに簡単ではないと思う。

だとしたらまだ眠っているのかもしれない。担任の先生だって、異動があったりそもそも退職される人もいるだろう。仮にクラスの生徒が幹事になったと言って、小学生だ。それからタイムカプセルよりも、思春期に大事なことはいっぱい起こる。到底頭に起き続けるわけにはいかないだろう。

それとも地元の友人たちと疎遠になってしまった自分の元へは連絡がきていないだけで、既に掘り起こされているのだろうか。
恥ずかしい文章を埋めていても、それを見ることも叶わない。

何か大事なものを埋めた気もする。
でもそれを掘り起こすことは叶わないような気がしている。

実際に掘り起こして、「なんだ、こんなものか。」とガッカリするくらいなら、今のままの方がいいという考えもある。

でも、〇〇年後の自分へ。という文章を確か書いたような気もする。
だとしてら、地中で待ちぼうけしているその文章を読んでみたいと思う。

それともうひとつ考えたことがある。
今からでも別のタイムカプセルを埋めてはどうだろうか。
というより、大学生の頃からSNSを使い始めて、思っていることを書いたりしてきた。まれに今を自分なりに総括してみたり、将来に向けての意気込みを語ったりしている。それがタイムカプセルに埋めた言葉と、似た作用を持つかもしれないな、と思った。

今毎日書いているnoteだって、もしかしたらそれに該当するかもしれない。
「今と考えてること同じやん」「全然うまくなってないやん」とならないように、少しずつでも、ほんの少しずつでも前進していきたい。

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