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原点回帰

書きあぐねて諦めた原稿用紙を棚に詰める。こんなんじゃダメだと言いながら、じゃあなぜ捨てられないのか?という自己矛盾には答えられず無視をした。

本来は衣類を収めるその棚に紙の束を押し込むと、容量を超えた紙の反発で扉が開く。完成したものがないので、採用もボツもないはずだが、不当にボツと呼ばれている紙たちが雪崩れた。

コップになみなみ注いだ水のように、棚に詰めた紙にも表面張力があるのだろうか。先ほど詰めた以上の分量が溢れかえってきた。

呆然と、でも少しだけ解放感のようなものを感じかけて、感じるべきではないとなぜかその感情を抑止した。

表面を占拠していた紙やノートの束が一定量除かれると、奥まで見通しがついた。

それは自分の諦めの歴史の層になっていた。

一番奥の方からは、かつて体を激しく鍛えていた頃の痕跡が出てきた。後輩部員からの寄せ書き、当時使っていたサングラス、地方の大会で入賞した際のささやかな賞状。
そこから入社後に配られた導入教育の資料。通おうとした小説教室からの催促のハガキ。自分で東京の中央大学で開かれた説明会にまで行って、お金を払って入会したのに書けなかった。
それからコピーの勉強、プログラミングの勉強。流れてくる情報に巻き込まれて、盲目的にいろんなものを追い求めていた。芯がなかった。

溢れた紙の束が埃を巻き上げてくしゃみが出た。
それを何かのきっかけのように感じて原点回帰から始めよう。と思った。
まだ先入観の少ない頃没頭していたのが走ることだ。体を動かせば脳も動くようになるかもしれない。
社会人になってから買ったナイキのランニングシューズの底は、すり減っていなかった。

迷ったら最初からだ。1km5分以上かけるゆったりとしたペースで30分ほど走ると、関節と筋肉の痛みと引き換えに、頭の霧は少しだけ晴れた。

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