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太陽ではない何か

「現場からの資料添付してメールしといたから」
俺が現場のおっちゃんと揉めて出してもらえなかった資料を、キヨモリさんはあっさりと引き出した。本名は平良 守(たいら まもる)さん。たいら、だからキヨモリさんなのだそうだ。

俺たちの部署は経営陣に現場の生産性を報告している。現場のおっちゃんたちからすると「チクる役」として見られることもあり、協力してもらえないのも日常茶飯事だった。

北風と太陽でいうとキヨモリさんは太陽タイプだ。

いつもニコニコしていて、物腰が柔らかい。落ち着いた雰囲気だが、年はまだ20代後半。会社ではかなり若手の部類だ。特別なことをしている風でもないけど、仕事は滞りなく進み、現場ともトラブルを抱えない。

一方で入社三年目の俺は北風だ。
「お前ら事務仕事に何がわかるんじゃい」と現場から風を吹かせられると、「こっちだって会社のためにやってんですよ」とつい風で対抗してしまう。得策ではないとわかっている。頭では。

「太陽」ことキヨモリさん(こと平良さん)に、「現場からチクチク言われて、イライラしないんすか」と聞いてみたことがある。

あー、と間伸びした声のあと
「まあ、ねえー。なんか "偉そうにしているあの人は、俺より先に死ぬだろう"と思ったら、老人がイライラしてることくらい許せてくるよ」
とさらっと怖いことを言う。

「マウントなんてお互いが心のなかで勝手にとってればいいんだよ。それをわざわざ"マウント取れてるよー"って相手に知ってほしいなんて思うからややこしくなる」

「はー、なるほどですね」と相槌を打ちながら、キヨモリさんの意外な返答に頭の処理が追いつかずそれ以上深く話を聞けなかった。

***
しばらくして、キヨモリさんの話をきっかけに昔のテレビで見た記憶を思い出す。その番組では哲学者サルトルが取り上げられていた。
その中に『眼差しの決闘』なるものが出てくる。

洋館の部屋に女性がいる。夜中にも関わらず、その部屋でお菓子と紅茶を楽しんでいる。(お菓子くらい食ベるだろうと思うのだが、この時代においては他人には知られたくない、恥ずかしいことらしい)

忍足で洋館の廊下をすすむ老人がいる。扉の前に到達すると、身をかがめて鍵穴から部屋をのぞく。老人は「なんてだらしない女」という眼差しを女性に向ける。相手からは評価されない安全地帯から、相手に評価を下す。

そのとき不意に青年が廊下を通りかかる。老人を見つけると、青年は顔をしかめ「うわ、女性の部屋覗いてる。きもちわるい」と言う眼差しを向ける。

老人の優位性は脅かされ、「俺に間違った評価を下している若造」と慌てて評価の眼差しを向ける。青年は「いや、間違った行為をしているのはそちらだ」となり、相手を評価する眼差しはぶつかる。
相手を評価し合う『眼差しの決闘』おおかたそういう話だったように思う。
眼差しの決闘は、今でいうマウントの取り合いに似ていると思う。

『決闘するな』というのがキヨモリさんの教えだろう。
たとえキモい老人がいても、顔をしかめるな。
もし鍵穴から誰かを覗くなら、決して見つかるな。
相手を評価し見下す行為は、自分の中でこっそりと周到にやること。
それを相手に知らしめる必要はないのだ。

「あいつは俺のこと見下せてないぞ」と相手に思わせることができれば、そこで争いの連鎖は終わるのだ。

もし決闘があるとするなら、相手を見下すことで湧いてくる「エグみ」を自浄する作業が、キヨモリさんの静かなる決闘なのかもしれない。
***
矢面にたってぐいぐい仕事をすすめる人もすごいが「なぜか揉めない人」も、きっと底しれないものを秘めている。

「あー、おっしゃる通りですね。すいません、すいません」

ニコニコと弱腰で、電話で現場のおっちゃんをなだめるキヨモリさん。
電話で話す語尾に"まあ、あんた俺より先に死ぬけどね" とこっそり脳内で付け加える。

ただの練習のつもりでやってみたそれは、猟銃のように冷たく凶暴で、自分には扱えない代物だと思った。
そしてキヨモリさんは太陽ではない別のなにかだ。とも思った。

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