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#3 コギカジ振り返り〜未経験で記事を書いた〜 『それでも一度きりの場所で』

初めてのコギカジの会議が終わった。第一声は"あちゃー"だった。
全く自信はないにも関わらず、取材をして、記事を書くことが決まってしまった。
机の上のマックブックは空気をいっぱい吐いて、必死に放熱している。自分の脳みそも似たような状態だった。

取材して記事を書くというレース。漕ぎ切れるだろうか。
笑顔で乗り切った打ち合わせ。でも、内心不安でいっぱいだった。
***
会議のメンバーは確か5名だった。
コギカジ(及びSTROKE)を作った中山くんと安東くん。そして、元実業団の選手の方、記者を本業とされている方。そして、自分だった。

やっぱり場違いやったかな。

会議で「コロナ禍で大学生がどのようにボートに取り組んでいるか」を取材してみてはどうかと発案された。
お仕事のご都合でお名前は伏せるが、その提案をされた方は記者を本業とされている。自分よりも遥かに文章のプロだ。
元々、" 何か書きたい"と思ってこの会議に来たはずなのに、自分みたいなただの小説好きに記事を書くことが務まるんだろうかと、気後れしていたのを覚えている。

また実業団の選手として活躍された方も同じWebミーティングに参加していて緊張が増していった。自分にとっては雲の上の存在のように感じられる。(一度、偶然コメダ珈琲でご一緒したのを、ご本人が微かにだが覚えてくださっていてすごく嬉しかった)

何か書くぞと意気込んでいたはずなのに、会議が進むにつれて、「自分には無理、自分には無理」という思いに支配されていった。

「原田さんはどうしますか?」と中山くんが話を振ってくれたのだが、
テンパった僕は苦肉の策で、「辞めそうなボート部員の相談に乗ります」と言ったりしていた。
トンチンカンな僕の提案に、会議でも笑いが起こってしまって、顔が熱くなったことを覚えている。
(ちなみに辞めちゃいそうな方の相談に乗りたいという気持ちはある。自分も2回生の頃、一度ボート部を辞めてしまっていた)

「記事とかってどうですか?」
とこれも確か中山くんが水を向けてくれた。どうしよう。
「関西の強い大学をどこか取材してみようかなと、、、」
恐る恐る発言。これが思えば、一漕ぎ目だ。

自分の中で強い大学といえば、大学生の頃勝手にライバルだと感じていた京都大学だった。
「京大とか、、、」
コギカジはこれまで戸田の大学や、プロの選手を取材していた。カラー似合うだろうかと心配したが、
「めっちゃいいと思います。去年ペアで優勝したりしてますし」
中山くんが背中を押してくれた。それから京都大学の方々との日程調整をサポートしてくれたり、事前に取材の方向性の相談にも乗ってくれた。
こうやって僕は、コギカジのライターとして歩みをスタートした。
中山くんに、かなりおんぶに抱っこのよちよち歩きではあるが。

そして数週間後。取材の日を迎える。
僕はこの京都大学の方々への取材を通して、改めてボートの楽しさ素晴らしさ、そして取材の面白さ奥深さを教わるのだった。

***
京都大学の方々にお話を伺った記事はこちら↓
『それでも一度きりの場所で』

僕がお世話になっているOBHはこちら(コギカジのメンバーにもなれます)↓
https://community.camp-fire.jp/projects/view/337446

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