バブル経済の副作用 〜思春期の経済状況によって経済観は変わるのか?〜
なぜロスジェネ世代(1970年代生まれ)と我々Z世代(1996年以降生まれ)で、手取り14万円で幸せに暮らせるかについて意見が割れるのか考え抜いた結果、
幸せになりたいと考える一部のロスジェネ世代と幸せでありたいと考えるZ世代の『幸せ』は概念レベルで異なっているからだという結論に至った。
今回は、なぜ世代によって『幸せ』は概念レベルで異なっているのか、そして、この違いにはバブル経済が深く関わっているのではないかということを検証していきたい。
※本稿は世代間の分断を煽るための記事ではなく、むしろ世代間の違いを認識した上で関わり合える社会になってほしいためだということをご理解いただきたい。
1. 問題認識
Twitterでよく「失われた20年」という言葉を耳にする。この言葉を聞いたとき、我々、Z世代は、「自分たちは自分たちで幸せに生きてるんだから、”失われた”は余計だ!」と考える。
そして同時に、この「失われた20年」という言葉は、おそらく、1970年代に生まれた世代のうち結果的に恵まれなかった一部の人たち=ロストジェネレーション世代(ロスジェネ世代)の人たちが自身の悲惨な生活状況を表すために発信しているんだろうと考える。
しかしながら、発信内容を見てみると、月10-15万で幸せに暮らせないという内容で驚愕した。なぜなら、執筆者である私の1ヶ月の出費は年金も合わせて月15万円だからだ。
私は現在、音楽活動をしており、副業で個人事業主として、映像制作や配達事業などを行なっている。自分で決めた道なので特に後悔はしていないし、フリーランスの収入は思った以上に安定していた。
しかしながら、自分たちをロスジェネと表現している人たちは正社員で月50万円以上の給料をもらい、豪遊することがある種のステータスで、そのステータスを獲得している状態が幸せだと思っているらしい。
2. 状況整理
つまり、僕たちZ世代にとっての幸せは、毎日、服を着て、3食の食事ができて、頑丈な建物の中で暮らせるという日常で、ロスジェネ世代にとっての幸せは、日常の衣食住に加えて毎日、バーやクラブやゴルフで豪遊することだということだ。
これゆえに、ロスジェネ世代にとって『掴み取るもの』である『幸せ』という言葉は、僕たちZ世代にとってはあくまでも『感じるとるもの』でしかないのだ。
3. 『幸せ』が世代間で異なる理由
世代間での『幸せ』に対する認識の違いが起こっている理由は、思春期にバブル経済を経験したか否かに集約されるのではないかと考える。ロスジェネ世代は思春期にバブル経済を経験しているため、毎日豪遊することが幸せだという経済観が形成され、アジア通貨危機による就職氷河期真っただ中で生まれ、思春期にリーマンショック&東日本大震災を経験したZ世代は、毎日生きているだけで幸せだという経済観が形成されたと考えれば、世代間の『幸せ』に違いが起こるのも腑に落ちる。
4. 最後に
ロスジェネ世代の『幸せは掴み取るもの』かZ世代の『幸せは感じ取るもの』はあくまで経済観であり、どちらが正解かを測ることはできない。しかしながら、Z世代の一員である僕からすると、常にSNSなどで会社や政府に愚痴を吐いている人たちが可哀想になってくるし、ぜひ、発展途上国に旅行して自分たちがどれだけ恵まれているのかを感じ取って帰ってきて、日常を楽しめるようになってほしい。
また、こういうことを言うと、一部の人間は強い口調で、今の20代の幸せの水準がこんなレベルまで成り下がってしまったのは日本が経済的に貧困になったからだと煽ってくるが、貧困になったのは日常の幸せを感じ取れないあなたの心であり、世代間の分断を産んでいるのもあなただということを申し上げて終わりにしたい。
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