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キャンプのイメージを変えることから始めよう。

僕は「キャンプブーム」という表現を聞くと少し寂しい気持ちになる。
それは睡眠のことを今さら「睡眠ブーム」と言わないのと同じで、本当に必要なことはブームにはならないし、ブームというのはいつかは去っていってしまうものだからだ。キャンプ(自然の中で過ごすこと)をすること自体が、もっとたくさんの人の生活に組み込まれていけばいいのにといつも願っている。

人間という生きものはどう見ても自然という生命の集まりの一部分だし、こんなにも自然の中で過ごさなくなったのはこの直近100年ぐらいの話だろう。
人間は自然の一部として生きてきた。キャンプはそのことを思い出させてくれるのにちょうどいいと思う。

とはいえ今まで機会に恵まれなかったり、キャンプには行ったもののあまり楽しめなかった...という経験を持つ人も多いと思う。それに何でもいいからキャンプをすればいいってものでもないはずだ。そこには思想があり、マナーがあり、スタイルがある。なのでまずはキャンプへのリテラシーを高めることから始めたい。
というわけでキャンプのイメージをもう少し広く持ってもらえるように、キャンプのスタイルについて見ていきたい。そして最後には、おまけで世界のキャンプ事情や必要な道具の話なども書いておく。

キャンプのスタイルについて

さっき書いたように「キャンプ」と言ってもいくつかのスタイルがあり、実はそれぞれ結構違う。例えば...

車で横付けできるキャンプ場でのオートキャンプ。
キャンプ場ではない、自分たちだけのひみつの場所でするキャンプ。
数時間トレイルを歩いた後に、いわゆるテン場でする登山キャンプ。
シーカヤックで上陸した無人島でのキャンプ。
クライミングを毎日楽しむために、そのエリアの近く暮らすようにするキャンプ。
サーフトリップ中に美しいビーチでするキャンプ。

書こうと思えばまだあるが、それぞれの違いが分からず漠然と「キャンプ」と認識していると、たまたま自分の好みではない機会に参加してしまった場合、キャンプなんて面白くないなぁと感じるかもしれない。それを僕は懸念する。

2つの方向性

方向性で分けるとシンプルに2つになる。
1. キャンプのためのキャンプ。
2. アクティビティをするためのキャンプ。

どちらも「キャンプしている時を楽しんでいる」というのには変わりないけれど、必要な道具だったり、その時食べるものだったり、心構えも雰囲気も違ってくる。
ではその2つのスタイルを見ていこう。

1.キャンプのためのキャンプ

日本でいうキャンプのイメージはこれが多いのではないかと思う。
僕の友人がそうだったように「河原でのBBQ」を延長したようなイメージだ。
星空の下、火を囲みながらおいしいものを食べて、お酒を飲んで、気の合う仲間と語り尽くす。日常をキャンプ場に持ち込むような感覚ともいえるかもしれない。といってもいつもと同じメンバーなのに、都会の居酒屋とは違う話で盛り上がったりする。また友人のひとりがダッチオーブンを使って、家だとできない豪快なパエリアを作ってくれるかもしれない。それはレストランでも家庭でも味わえない、第三の味になるだろう。そして酔いつぶれても大丈夫。横にあるテントですぐに寝ることもできる。気持ちよく酔っ払っている時に終電に乗るよりずっと幸せなことだ。

このスタイルでは、コールマンに代表されるファミリーキャンプの王道スタイルもあれば、スノーピークや北欧ブランドなどのしっかりとデザインされた道具を愛する人もいる。


ネガティブなこと
友達とハシャギ過ぎたりして、少しのんびり自然を観察するタイミングがないかもしれない。自然より仲間との交流が最優先と言えるのかもしれない。

自然を見つめてのんびりしたい。という人にはこのスタイルでも、ソロキャンプという選択もある。たまにはひとり森の中で過ごすのも味わい深いことだ。

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2. アクティビティをするためのキャンプ。

これは何か自然の中で過ごす別の目的があって、その手段としてベースを作るというキャンプだ。持っていける道具が限られていたり、そもそもキャンプ道具以外に必要なものも多いので、必然とキャンプ用の装備はシンプルになりやすい。

そしてこのタイプのキャンプのご飯は質素になりがちだ。日中動きつづけていて夜にはお腹がペコペコなので、しっかり食料の買い出しに行ったり、のんびり料理する気にはあまりなれない。程よい疲労感の体には「ぬるいビール」でさえ染み込んでいく。焚き火でホットサンド、お湯を沸かしてさっとラーメンをすするというのも定番だ。そして素早くお腹を満たしたら、その日に感じたことを反芻しながら火を囲む。昼間アクティビティを共にしていると、それぞれの一体感も高まっているし、今日もよくがんばったなぁ。と生きているのが嬉しくなる。

ネガティブなとこ
運動が苦手だったり、仕事で全力を使ってクタクタだから..のんびりしたいんだけど。という人には向かないかもしれない。

「エネルギーは使わなければ入ってこない。」という知り合いの言葉もあるけど。

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ちなみに僕は、1.キャンプのためのキャンプがちょっと苦手だ。
語り合うことは好きなんだけど、太陽がのぼっている自然の中では気を張っていたい。だからクライミングやカヤックをしたり、サーフィンをしたりする。体と感覚をしっかり使いながら自然に触れる。そのご褒美として特別な経験を受け取る。
このスタイルに慣れていると、キャンプのためのキャンプは日中何をしたらいいのかわからなくなる時がある。ハンモックにゆられながら、頑張って本を読んで見たりするものの、朝からそれをするのはもったいない気持ちになったりして落ち着かない。あくまでもこれは僕の好みだけど。

とはいいつつ、キャンプ料理が得意な友人と行くキャンプとなると...また違う魅力を帯びてくる。野外でのディナーパーティーのような雰囲気というのか。そんなときは僕もキャンプに合うカクテルを披露したくもなるのだ。

と、こんな風にどちらがその時必要なのかはシチュエーションによって違う。
いい悪いの話ではなく、嗜好と思考の話であって、その時に自分が必要と思う方を選べばいい。食事を選ぶのと同じことだ。

またサバイバルとも混同されやすい。サバイバルの目的は生存であって、自然を楽しむことを目的とするキャンプとは違う。でもキャンプを通して少し不便を感じることは、普段は当たり前に使っているテクノロジーへの感謝が湧いてきて、とてもいいことだと思う。自然を通じて人間が生きることを見つめ直すいいチャンスだ。

ざっくりと書いたが、それぞれの心構えや楽しみ方の違い、雰囲気がわかってもらえれば嬉しい。

キャンプに欠かせないもの

共通していると思うこともあげておきたい。
僕を含め多くの人が考えるキャンプに期待すること。それは何と言っても...そしてもう書いてしまったが「火を囲む」ことだろう。僕たち人間の本能は火が大好だ。火を目の前にすると、理由もなくじーっと見つめていられることに気づくだろう。焚き火をしているうちに空が明るくなって慌てて寝袋に潜り込んだ...という経験が僕には何度かある。それはちょっと極端な例かもしれないけど、それくらいなんとも言えない落ち着きと中毒性があるのだ。あと、たまに自分の心がモヤモヤしていると感じる時にも焚火をするのだけど、それを僕は魂の浄化と呼んでいる。
その次に欠かせないのといえば...星空。もしくは月の周期によっては月明かりに照らせれるキャンプもいいものだ。

焚き火と星空。あとはそこに’’スタイル’’が入ってくる。
仲間と酒、波の音、ギターの音色、誰かがSpotify流している音楽、キャンプ名人の料理。汗だくのこどもの寝顔。サウナ。翌日の計画。なんかも話しているととても楽しい。

あぁ...焚き火星空この文字を見ているだけでなんか幸せな気分になってきたのは僕だけだろうか?

自然の自然な状態が分からなくなっている現代の僕たち

ところであなたは植林と自然林の違いがわかるだろうか?
というのも昔とある林道で、放置林のやせ細った木が並ぶ森をみて「あぁやっぱり自然っていいなー!」というコメントをしている人を横でみていて、少し違和感を感じたことがある。確かに気持ちいい自然ではあるんだけど、その自然が今どういう状態にあるかに、気づけなくなってきていると思ったのだ。そういう僕も例にもれず、まだまだ知識も観察も足りない。昔の人が読めたという星や、風の動きなんかもまだ全然分からない。

それでも明らかな違いという点では、ここカナダの西海岸にいい例がある。
まず強調しておきたいけど、そもそも北米西海岸の木は大きい。
街に植樹されている木でも家より大きいものは珍しくないし、少し森の中に入るだけで立派な木はよく目にする。ただそれでも...元々のサイズとは比較にならない。

その証拠にバンクーバー周辺の森を歩いてみると、それは一目瞭然だ。
19世紀に始まった大規模な伐採が行われる前の木はとんでもない大きさを誇っていたのだとすぐに分かる。

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この写真の切り株があまりにも大きいので、遠くから見ていた時は岩だと思っていた。かつてはこんな巨木がが生い茂る森だったのかと思うと少し畏れを感じる。


アメリカのレッドウッド国立公園など、巨木で有名な森があるけど、そういう特別な種類じゃなくでも、元々の木のサイズはどれもかなり大きい。僕たちはそれを失ってきただけなのだと気づく。

このように現代に生きる僕たちは「何が自然なのか」だんだんと分からなくなってきている。それは当然のことで、一度変化させてしまった自然は、なかなか元には戻らない。特にひとりの人間が生を全うする時間では到底足りない。だから目の前にある自然がいつからその形をしているのか、どう変化しているのかを知るのには、よく観察をすることとそれを裏付ける知識も必要とする。

そうして自然が(正確にいうなら木は)人間とはまったく違う時間の流れで生きていることに気づかなければいけない。それぞれの生命によって流れる時間が違うのだということに。

最後はなんか小難しく書いてしまったけど、10年ぐらい前から言いたかったことなのでなんだかすっきりした。あらためてだけど、多くの人がもっともっと自然の中で過ごせたらいいのにと思う。自然の中で過ごすことで、だんだんと気づけることが増える。流れる時間の違いも意識できるようになる。

友達と飲んで騒いでストレスの解消もいいけど、やっぱり僕は星空の下、焚き火のそばでに悠久なる時間に思いをはせたい。そんなきっかけをくれるキャンプをみなさんにおすすめしたい。まずは自然に親しむことから始まるのだと。

世界のキャンプ事情。
僕がこれまでキャンプをしたことがある国をあげると、
オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、イタリア、フランス、スペイン、スイス、ベネズエラ、韓国、マレーシアだ。

オーストラリア、ニュージランドでキャンプをする人にはオススメのアプリがある。このアプリがあると無料、有料(予算設定もできる)のキャンプ場が地図上にずらっとでてくるので一目瞭然だ。色分けもしっかりされていて使いやすい。
オセアニア地方でキャンプしたい人にオススメだ。

アメリカ、カナダは夏になると大きなトレーラーを引張って(もしくはトレーラーで大きなRVを引っ張って)’’キャンプ’’にいく姿がよく見れる。もはやキャンプというか、ほぼ家ごと移動してるといってもいい。最初見たときは全て森の中に持っていくぞ!という気概を感じて笑ってしまった。
より僕に縁があるのは、国立公園の歴史あるキャンプ場や、ロギングロードの途中にあるようなキャンプサイトだ。BC州の場合はレクリエーショナルサイトという言葉で検索してみるとたくさん出てくる。そこでは無料、もしくはかなり安い値段でキャンプができる。シャワーが欲しいという人は商業用のキャンプサイトがいいと思う。フランスはトイレ事情が特に問題だったのが記憶に新しい。

とまぁもちろん同じ国でも場所によって違うので、僕の経験上で一般化して書けるのはこんなところだろうか。

キャンプの道具について
キャンプ道具はたくさんありすぎて何から揃えたらいいのだろうという人のために、僕なりのアドバイスがある。
もしまず一つだけキャンプ道具を買うなら、マットレスがおすすめだ。心地よく寝れるかどうかの一番の決め手で、寝ていて腰が痛かったり、地面に体温を奪われて寒い思いをしたり...そういう経験をするともう二度とキャンプにいきたくないと思うかもしれない。仮に寒さ対策だけなら服をたくさん持ったり、もし車が近くに止めれるなら家から布団をもっていってもいい。
だけど地面に引くものは体に直接影響を及ぼす。それでも寝続けているといつかは慣れるかもしれないけど、多くの人はそんなに慣れるまでキャンプをしつづけることはないはずだ。

寝袋とテントは自分で担ぐのかどうかで大きさと重さが変わるのと、テントの場合数人でシェアすることもあるので誰かが持っているかもしれない。なので焚き火とマットレスと星空。暖かい服と食べ物は家にもうある。そこからは好きなように、好きな友人や美味しい食べ物、自分をときめかせてくれるアウトドアギアなど、好きにアレンジしていくのがいいと思う。色々他にもあるけど、ひとまず以上が僕のキャンプレシピだ。
キャンプのマナー
スタイルの違いや好みの違いをここでは書いたので、それぞれ違う目的でキャンプをしていると分かってもらえたと思う。基本的にはルールというよりはマナー。
夜は寝たい人がいるかもしれないから、静かにする。
使い切れなかった薪は少し整頓して残していってあげるのもいい。
など、そういう視点でいれば快適に過ごせると思う。

(最後になって気づいたのだけど、このキャンプについてのコンテスト参加資格に日本在住者のみと書いてあった...でもここまで書いてしまったのでこのまま投稿します。)苦笑

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