幸福学×経営学③ ~ これからの経営学の「4つのヒント」 ~
今回も「幸福学×経営学」シリーズです。今回は第三章、経営コンサルタント・小森谷浩志さん執筆パートの「これまでの経営学・これからの経営学」の後半、「これからの経営学の4つのヒント」について、自分の頭の整理がてら、まとめてみたいと思います。
こからの経営学の4つのヒント
「これまでの経営学」では
「3つの病」によって現在いろいろ弊害が起きている
と小森谷さんは仰っていました。
そして「これからの経営学」では、「旭山動物園」「寺田本家」「べてるの家」の事例から、
「これまでの経営学の枠組みに収まらない経営」
を検討した結果として、4つのヒントが提唱されています。
① 自覚
1つ目のヒントは自覚です。
これまでの経営学は、次々と新しい手法が開発され、経営者もそれに飛びついてきた感が否めないけど、これからの経営では、
「われわれは、この社会でいかなる存在か」
の自覚がまずは大事だということですね。
ここからは私の誤読で進めますけど、これは
「ホンモノの経営理念や行動指針を定めよう」
と言い換えることができるのではないかと思います。単に額縁に飾ってあるのではない、「ホンモノ」を。
そしてそれを「企業」として自覚するためには、経営者自身が
「自分自身は一体どういうことをしたい人間なのか」
をまず振り返り、それが明確になったら
「だったら自分はどんなことで社会に貢献したいのか」
を問い直していくことが必要になります。
そして、その延長で経営理念を定めていくということですね。
この「自覚」の部分については企業経営の根本部分で、本当はもっと丁寧に語りたいところではありますが、今回はこの辺で終えておくことにします。
② 共鳴
2つ目のヒントは共鳴です。
これはこれまでの経営学の3つの病の1つ、「分離」に対する対立概念のようなものです。「管理する人」と「管理される人」、「動機付けする人」と「動機付けされる人」という分離。これまでの経営学はその分離を前提に、「どうしたら管理される人がより働くようになるか」をいろいろ試行錯誤してきたという一面もあります。
ですが、これからの経営学で提唱されているのは、これまで大事とされていた「動機付け」さえも必要とせず、ゆえに「動機付けする人」と「動機付けされる人」の分離もなく、
「自分自身の存在理由」と「仕事」の「共鳴」
であり、内から湧き上がってくる使命感が原動力になるということです。
ということは、さきほどの①の「自覚」というのは、経営者だけでなく、各従業員にも必要なことだということですね。各従業員が「自分はどんな存在なのか」を自覚し、それと共鳴する会社を選ぶということ。経営者の自覚と従業員の自覚の合わせ技によってはじめて成り立つ概念といえるかもしれません。
それはなかなか難しいことだと思いますけど、それができた瞬間に、組織にものすごいパワーと模倣困難性をもたらすような気がします。
③ 小欲
3番目のヒントは「小欲」です。
これの意図するところは、小森谷さんの文章をそのまま転記したいと思います。
これまでの経営学は功利主義的な経済合理性が強く、特に近年では欧米型のコーポレートガバナンスの影響を強く受け、株主価値向上に連動した「利潤の極大化」を目指すようになりました。
一方でこれからの経営学では、現在多くの起業が標榜している、「短期利潤の極大化を通じた株主利益の追究」には関心が薄く、欲は控えめであり、利益はあくまで結果としてとらえます。
「消費と成長こそ経済活動の唯一最大の目標」とする近代経済学に真っ向から逆行しているのです。
最近勃発している企業の不祥事は、売上や利益、生産性など数値化できる目標の達成が絶対命令となり、隠蔽やごまかしをしてまでも結果を出そうとする雰囲気が原因の根底にあります。
某社の「チャレンジ」のように、身の丈を大きく超えた、とにかく数字の極大化を無理に目指す経営ではなく、数値は適正レベルの「小欲」を目指すということですね。
伊那食品工業の「年輪経営」などはまさにそんなスタイルだといえます。この「小欲」についてはそんなに解説は不要だと思いますのでこれくらいにしておきます。
④ 畏敬
4番目のヒントは「畏敬」です。
これは少しスピリチュアル的な話でもありますので、この領域に到達するには一種の悟りのようなものが必要なのかもしれません。しかし、「これからの経営」を実践する方々の共通点として出てきたものですので、今は一旦受け入れられなくても、頭の片隅に置いておきたいと思います。
この「畏敬」については、小森谷さんの言葉を借りると、このような説明がされています。
合理的で綿密な計画というよりも、自己の限界を知り、自己を超えた大きな関係性の中で、自分と自分たちを捉えています。
謙虚さ、大いなる存在にゆだねている感覚が宿っています。
この「大いなる存在」という言葉をみて、私は即座に尊敬する田坂広志さんの「すべては導かれている」を想起しましたが、ページをめくるとまさに田坂さんの言葉が引用されていました。
我々の人生は、有難い順境だけでなく、様々な逆境も含め、すべては、大いなる何かに導かれている
「幸運に見える出来事」だけでなく、「不運に見える出来事」も含め、すべては、我々に良き人生を送らせるための、大いなる何かの導きである
小森谷さんが「これからの経営」を実践されている経営者やマネージャー、従業員の方々にヒアリングした際、
「運よくことが運んで・・・」
「ご縁があって・・・」
「たまたまこういうことがあって・・・」
という言葉が異口同音で出てきたそうです。
これはまさに田坂さんの「すべては導かれている」にも書かれていたことで、その続編である「運気を磨く」を含めた私の勝手な解釈で言いますと、「①自覚」「②共鳴」「③小欲」に基づいた経営というのは、自然の摂理に合わせた経営と言えると思うんですよね。
そしてそのような自然の摂理にあわせた経営を行っていると、働いている人たちの「心の濁り」がなくなっていくんだと思います。
そうして、心の濁りがなくなっていくと、大いなる何かから導かれるように叡智が与えられ、目の前の困難も乗り越えていく。そんな「働く姿」なんじゃないかと思います。
ちょっとスピリチュアルに寄った話ですが、あくまで私の感想ということで。
以上、小森谷さんが提唱するこれからの経営学の4つのヒント、「自覚」「共鳴」「小欲」「畏敬」に関するまとめでした。
そして次に私の頭に浮かんできた疑問は、この本のタイトルにある幸福学とのつながりです。
それら4つの視点と幸福の4つ因子である「やってみよう!」「ありのままに!」「ありがとう!」「なんとかなる!」がどう繋がるのか。
そこのパズルの組み合わせは、追々やってみようかなと思います。
おしまい
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