見出し画像

人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話富良野ブルーリッジ編     

二年目のシーズンが終わった今だから思うことかもしれないけど

4月から9月の間だけ時間の経つの早くなってません??
誰か早送りしてるでしょ。ほんとやめてほしい。

特に今シーズンはコロナでの離脱も相まって本当に一瞬で終わったな、、

そんな人生二度目の富良野生活が終了した正木ですが!!


と言いたいところだけども
まだ富良野にいます。笑
二度目のオフシーズンは富良野生活延長戦で開幕しました(延長戦で開幕という矛盾に気づいたあなたは天才です)


そして皆さん、早くも今日一のツッコミどころです

題名にも書きましたが、今回は

富良野ブルーリッジ編 

です。はい。書いてある通りです。一年目シーズン書きます。

なんでこのタイミングで一年目のこと話すんだよ笑 
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。正しい反応です、自分でも思ってます。

そもそもnoteを書き始めたきっかけが
「北海道に来るまでの自分の道のり」
を文章にしたら面白いかな。というのがきっかけなので、ブルーリッジでの話は書くかどうかも迷っていました。

けど、二年目のシーズンが終わって

自分の中で野球選手としての成長も感じつつ

同時に限界や現実を直視し始めて。

そんな半年を過ごしてきた今だからこそ書ける文章ってあるよね。

って21歳の正木蓮に言われたので10月3日に22歳になった正木蓮が重い腰を上げたわけです。(別に誕生日アピールしてないよ笑)

てなわけで、封印していた記憶を掘り起こしながら去年のこと書きまーす

軽挙妄動

見出し考えるの難しすぎるのでその時の自分を表す言葉をそのまま使うことにしました(なんか頭よさそうに見えるし)

ちなみにこの言葉の意味は
軽はずみな行動や軽率なふるまい
を表します。
その意味は、、、
まあ読めばわかります。

一つ言えることは、正木はやっぱりどこに行ってもしくじるわけです。


1人でまだ雪の残る富良野に来て最初に出会った人物こそ、この男です

林 周 (二年間本当にお疲れさまでした)




自分の独立リーガーとしての物語はこの人と一緒に始まりました。

そんでそのあとが
山本翔唯 (正木はこの子の将来が心配です)
古谷剛 (久々に会ったけど何も変わってなかった、なんか安心した) 
米内山凱 (今年の同部屋楽しかったよ、本当にありがとう)

早めに富良野に来ていた四人での生活が数日あったわけですが
この堕落した四人での生活が引き金で

若かりし当時の正木は富良野に来てすぐ選手会長である悠太さんに反抗します。

今思えば中学生の反抗期みたいな感じでしたね。

当時の悠太さんと自分とでは人としての格が違いすぎて、言われたことがしっかり咀嚼できないから飲み込めない。っていう。

最初にして最大の反省です。

ちなみに、いま憧れている人は誰ですか?と聞かれたら

「悠太さんです」

と答える。
野球選手の域に留まらないスーパーマンのような存在なんです、この人は笑

きっと自分が目指すべき人はこの人なんだろう。
と二年間で本気で思わされるような存在である。(本人は気にもしていないのだろうけど)

実は正木、そんな悠太さんと1シーズン通じて二遊間を組んでたんですよ。


みんな知ってる?
覚えてる?
またあの頃に戻りたいな、、、




いや、戻りたくはない。二度と。


臥薪嘗胆



この言葉、高校の時のスローガンだったんですよ

けど去年のシーズン中は将来のため、とか
これが今後の糧になる。なんて考えられもしなかった。

その日の練習、その日の試合を乗り越える。ただそれだけだった。

そんなに余裕のない過ごし方してたら成長するはずもないのにね。

去年のシーズンで今までどんだけぬるい意識で野球していたかを思い知らされた
(それは今年でより深く痛感する部分ではあるんだけれども)


それにしても正木は本当に運がいい。
神様は本当にいい仕事をしてくれている。

四方田さん、蟹沢さん、そして田中さん(昨年からチームに帯同し、今年から正式に監督)

この三人と同じチームで野球ができた事は
自分の野球人生において重要な出会いになった事は間違いない

今までの自分の野球観、意識の低さ、全部ひっくり返された。

そして、人生で一番泣いた。

昨年の試合、毎試合色々なことがあって

脳みそのキャパも体のキャパもはるかにオーバーしていた

試合のことまで書き始めると本当に長くなってしまうので、その中でも4つの試合に絞って、書いていきます

開幕第三戦目 二度目の美唄戦

この日、明らかに試合前の自分の感覚がおかしかった
これは今でも鮮明に覚えている

開幕戦の時とは異なるふわふわした感覚
球場の音楽がやけに耳に入る

あ、自分きょう緊張してない。当時はそう思った。
試合に出るたびに心臓が飛び出そうなほど緊張していた正木にとってこの感覚は今までにないものだった。

この気持ちの緩さがもろにプレーに出るのである

この試合、美唄の二盗が3回ほどあったが、どれを見返しても惚れ惚れするような強い送球がホームからセカンドベースに放たれていた。

しかし、三回とも正木のミスにより盗塁を許していた。
いずれにしてもベースカバーの遅れが原因と思われるミスだ。

その日は5回で交代となり、トイレに行ったときには自然と涙が流れてしまった。

蟹沢さんの送球を捕れない悔しさ
チームの足を引っ張っているという現実
何より自分の意識の甘さを痛感させられた

当時のチームメイトには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった

だが、この時ミスをしたことでタッチプレーに対する意識は何倍にも強くなったことは間違いない

その後の試合でハーフバウンドの送球を3つほど捌いてアウトを奪った試合もあった
(その日は風が強く、低く投げるよ。とあらかじめのコミュニケーションがあったからではある)

失敗から学ぶとはまさにこのことである



という感じで書いてきましたが、あんま長々と書いてても読む方もしんどいと思うので今回はここまでにします!

次回予告

・正木ショートやめます
・正木歓喜、からの地獄
・正木二度目の反抗期

の三本です
あの試合ね!と思うような試合や
いや、しらんわ、と思うような試合まで

色々話したいと思っていますが、おそらく2本目のお話がメインになると思います

来週には上げたいと思っているので、もし今回の話を読んで興味を持った珍しい方は来週を楽しみにして1週間を生きてください😎

ちなみに以前書いた正木のnote

小学生〜中学生編
高校編
クラブチーム編
もあるのでよければ読んでみてください!

それと、今回も使わせていただいておりますが、昨年から正木の試合中の写真を撮影していただいて下さった方々

本当にありがとうございます

熊谷さんの言葉をお借りしますが、撮っていただいた写真が富良野でプレーしていた証になっていて、励みになります



って事で長々とお話ししましたが、今回はこの辺で終わります!!






皆さん、誕生日プレゼントお待ちしてまーす笑

ばいばーい👋























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?