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家族はなるものじゃなくて作っていくもの

 3年前、子連れ同士で再婚をした。子連れ同士の再婚のことをステップファミリーと言うんだと、再婚してしばらく経ってから知った。わたしには3人子どもがいて、パートーナには2人子どもがいた。出会ってすぐに、わたしたち親子と仲良くなった2人の子どもたちと家族になることがとても自然な形に感じたから、子連れ再婚がどういうものかとか、そんなことは気にならなくて、もちろん引越しの段取りや、再婚の手続きもしたけれど、「気づいたら一緒に暮らしていた」・・・という表現が本当にしっくりくる。シングルマザーで3人の子どもを育てていくことは、想像以上に大変で、生活がとても辛かったからこれは神様がくれたご褒美なのかなとも思った。

 高校生・中学生・小学生、そして2歳児保育園児と、子どもたちの年代は見事に、日本の教育制度をジャックしている。朝は高校生組の2人のお弁当作りから始まって、食パンを6枚オーブンに突っ込む。炊き出しでしか見たことないような大きなお鍋でお味噌汁を作って、特大のフライパンには目玉焼きが6個ならぶ。洗濯機はすでに2回目の終了の合図・・・6人のお母さんの朝は戦争だ。そして、雨の日の今日は、わたしの隣に、さっきコインランドリーで乾燥機をかけてきた洗濯物の山が3つある。

子どもの人数が増えれば、大変なことや手間のかかることは当然増える。学校行事ひとつとっても、参観日は分刻みのタイムスケジュールだし、運動会のはしごだってある。よく聞かれる食事問題は、ちょっと食材を買いに行けば業者のような量になるし、その手の話での鉄板ネタは、うちには大きな炊飯器が二台あって常に炊飯器が稼働している。でも、一度も子どもが6人になったことを「大変だからやめておけばよかった」とは思ったことがない。思う暇がないっていうのもあるのかもしれないけれど、今、落ち着いて振り返ってみても、やっぱり、幸せだなと思う。

 一緒に暮らし始めた頃は、たくさん喧嘩もしたし、たくさん話し合いもした。「ミーティング」と呼んでいる寝る前の時間、全員集まって、約束事を決めたり、決めた約束事を点検したりした。どうでもいい今日の出来事を話す日もあったし、外では言えない愚痴を言う日もあった。8人がそれぞれに今どんなことを考えているのかを知るきっかけでもあり、どうやったら気持ちよく生活できるかのルールを考える時間でもあった。めんどくさい日もあったし、いつもルールで解決できるわけじゃない。うまくいかないことは4年経った今でもたくさんあるけど、「話すこと」「聞くこと」は、関係を作る上でとても大切なことだと思う。

わたしは長男と長女の、小さい頃のことを知らない。出会った時は中学生だったから、どんな風に大きくなったのか、どんな人と出会ってきたのかを見てきていないし、そもそも好きな食べ物だって上位3つくらいしか知らない。この「知らない」ことからのスタートが、わたしにとても大切なことを気づかせてくれた。知らないから知ろうとする。知ってると思っていても成長していけば変化する。わたしのお腹から出てきて、小さい頃からを知っている次女、三女、次男だって同じだ。知ってるつもりになっているだけで、知ろうとすることや変わっていく子どもたちの姿を感じようとすることは血が繋がってても繋がっていなくても、あたたかい関係をつくっていく。

 わたしは、小さい頃にお父さんがいなくなって、その後お母さんもいなくなって、おばあちゃんに育ててもらった。おばあちゃんが体が悪くなってからはおじさんとおばさんにお世話になった。生きているだけで迷惑をかけてしまっているような気がしていて、いつも頑張っていたけど、いつもうまくやれなくて、申し訳ない気持ちがいつもいつも心の中にあった。本当の家族がいたら、もっと自分のことが好きになれて、もっといろんなことがうまくやれたのかなと思っていたから、家族がほしくてたまらなかった。だから、早くに結婚をして、「家族ができたからこれで大丈夫だ」と思った。

10年の結婚生活は、楽しいこともたくさんあったし、何より3人の子どもたちが生まれてきてくれて幸せだった。でも、たったひとつ、わたしがやっておけばよかったなと思うことは「相手のことを知ろうとすること」だ。10年一緒にいて、一緒に子育てもしたけど、わたしは前のパートナーがどんなことを考えていて、どんなことを感じていたのか、何も知らない。何か問題があるたびに、家族ができたのにどうしてうまくいかないのだろうと、いつも不安で、その不安を家族にぶつけていたように思う。

 「一回失敗したから、その反省を生かして今があるんだね」そんな風に言われたことがある。でもわたしがそんな風に思ってしまうと、これまで出会った人ややってきたことが「失敗」になってしまう。それに、今は「家族ができて幸せになりました」という感覚もない。産んだからって、ある日突然お母さんにはなれない。お母さんになるんじゃなくて、日々変化していく子どもたちと向き合うことを積み重ねていくことで、お母さんでいられる。家族も同じだと思う。家族も、変化しながら毎日を積み重ねることで、家族でいられるんだと思う。壮大で長時間の試合に挑む、チームプレイのような気もする。時々試合を放棄したくなることも含めて。

だからわたしは、家族はなるものじゃなくて、「作っていくもの」だと思う。

 

#家族の物語

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