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編集後記 ちはるさん

”理想論”にて、ちはるさんとの対談が公開されました。

人はこれまでの歴史の中で、多種多様な問題に直面し、その度に何らかのルールを作ってきたのだと思います。例えば最近で言えば、コロナ禍で感染予防のために、「人との間に距離を保ちましょう」と。ふと考えてみると、この距離を保つというルールは、今でも存在しているルールなのか?もうなくなったものなのか?そういうことがすごく曖昧で、曖昧な中、人のコミュニケーションに障害が生まれて来ると、企業では新たにコミュニケーションをとるためのルールが制定されたり、そのための装置が用意されたりしていくわけです。このルールの上に、ルールが上塗りされていくことに、僕は強い違和感を感じます。元々はルールがなくてもできていたことが、できなくなっていく。というか、ルールが複雑化しすぎて、解読することに必死になって、自主性が失われていく。新たなルールを作る前に、何かのルールを無くせば解決なのではないかと考えることが大切なのだと思います。

例えば「人に嫌な思いをさせてはいけない」というルール。それを守るということは、相手が間違ったことをやっていると思っても指摘はしないということでしょうか?結果、その相手が間違ったことをやり続けると、その間違ったことをやってはいけないというルールがまた作られます。本質的には「人に嫌な思いをさせない言い方を身につける」ことであり、そういう「人間性」=「デリカシー」を身につけることなのではないでしょうか。

十人十色の人の感じ方や個性がある中で、ある人にとっては喜ばれることも、ある人にとっては嫌がられる。デリカシーを学ぶということは本当に難しいことです。ですが、そのデリカシーを学ぶということは、相手の心を詠み、相手を自分に憑依させるトレーニングです。それが現在、学校教育や家庭環境に存在しなくなっていることが大きな問題なのだと思ってます。だからこそ、企業に求められることは、そのエデュケーションであって、ルールをどんどん上積みしていくことではないのだと思います。

社会人初心者の人が、誰かとコミュニケーションエラーを起こした時に、「ちゃんと伝えたの?」と聞くと「はい、ちゃんと言いました。」とよく答えます。「言う」と「伝える」の意味の違いが理解できていないなと感じます。「何を言ったか」ではなく「どう伝わったか」それを考えてみることは誰でもできますし、常に考える習慣を持つことで、相手の心を詠める術が少しずつ身についていくのだと思います。

ルールの上に保たれる均衡ではなく、お互いを想う気持ちで均衡を保つ社会であることを願って。

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