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涙日和 I

〜華と晴彦〜

「ねえ、もういいの?いらないの?アイス溶けちゃうけど、ほんとにいらないのね?」
窓辺のボックス席でチョコレートパフェを残した3、4歳の男の子が、急に機嫌を悪くした様子で、母親から顔を背けている。
華はその様子を無表情を保ったまま、じっくりと観察し、あるとき突然夢から醒めたように目の前に座る仏頂面の男、晴彦に向き直った。
彼女も言ってやりたかったのだ。
「ねえ、もういいの?いらないの?わたしの愛情冷めちゃうけど、ほんとにいらないのね?」
華は本当にその通りの言葉が口をついて出そうになるのをぐっと我慢した。
きっと彼氏は窓辺の拗ねた子供のように、そっぽを向いて機嫌を損ねるだろう。

華がまた窓辺の親子に目をやると、母親はわざと大袈裟に美味しいご馳走を味わうふりをして、子供の横顔に向かって笑いかけている。
「あー。美味しい。こんな美味しいのに、食べられないなんて、みっくんは可哀想だなあー。」
華は半ば感心しながら、母親の演技を注視する。自分より十は若いであろう母親がこの寸劇にどういうオチをつけるのだろう、と興味をそそられた。

一、演技は子供に見破られていて、虚しくなった母親は、有無を言わさず子供を引っ張って帰る。

ニ、子供の興味を引くことに成功した母親は、罰よ、と言ってパフェを返してやらない。

三、あきらめた母親は泣き出した子供を置き去りにして帰っていく。
なんてね。

「おい…おいって。」
突然、話しかけられて、彼女は慌てて晴彦に向き直った。
「なんかまだ言いたいことあったの?」
華が無表情のまま口を開くと、自分でもびっくりするほど可愛げのない台詞が飛び出した。
しばしの沈黙。
彼女はにわかに緊張する。
「もう食べないんなら、そのパフェ、食っていい?」
目の前には、上のソフトクリームだけ綺麗に食べ切ったいちごパフェの土台が鎮座している。
「食べたいの?」
別れ話は晴彦が黙りこくったところで止まっていた。
「食べたいよ。」
意外な答えに、彼女は呆然と彼を見つめた。
まだ、ふたりには一緒にいる方法があるのかもしれない。少なくとも、華は彼の場違いな言葉に救われたと感じている。
「わたし、勝手にいらないのかと思ってた…。」
消え入りそうな声でそう言うと、彼女は両手で、食べかけのパフェを晴彦の目の前まで押しやる。そして、顔は伏せたまま、動かない。
晴彦は知らん顔して、グラスを手元に引き寄せると、一心不乱にスプーンで中身を口へと運んだ。
華は音にならない声でこう付け足す。
四、男の子は、母親の膝の上に座り、残りのパフェを満足そうに頬張るのだ。

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