世界は残酷だ

2年前の自分の思い詰めたnoteを見てニヤッとできるくらいには回復してきていることに驚く。春だからか。
ブツクサ言っておきながら、今日もしぶとく生きている。

1年前の下書きがあったので、投稿しておく。

人生30年計画だったものが呆気なく30歳を迎えてしまい、人生50年計画へ予定を変更した。たぶん50歳で同じこと言っていそう。その時は自分の人生の選択が少しでもマシなものにできていることを願う。
50歳になったらその年の冬に雪山にでも潜り込み凍死するのが今の目標。

先日感性のまともな友人に、私の壮大な人生50年計画を話したところ鼻で笑われてしまった。
「なんだかんだで生きるよ」そうだろうか。

やる気が出ないのは常日ごろのことだが、今の感情の棚卸しをしたところ見事に仕事に関わる部分がすべて暗黒色だった。
仕事というものを舐めているフシがあり、そもそも自分の人生を軽んじている。去年より一昨年よりは多少マシになっているとは思っている。

それというのも、生に対する執着心が強く、心の底から殺してやろうと思っている認知症祖母を近くで見ていて、こうはなるまい、他人の世話になる前に早く と余計に強く感じているからだろうと思う。
金もなく、排泄も失敗が多くなり、一人では何もできないが家族はとうに限界で、外部に頼ろうにも頑なに拒否し、ケアマネージャーを追い出し、暴れ、自分の妹にコップの水をぶちまけ、ピンピンしていながら救急車を呼んでくれと仕事中の我々の前に現れる。
黙ってホームに入ってくれればまだいいものの、2ヶ月に一度たった5万程度の年金で一人で生活ができるとまで豪語、実際その通りにしてみると案の定途中で金が尽き、娘孫に無心する癖にこちらの言うことには聞く耳を持たない。(現在は別居中)

事情を何も知らないよそ者が祖母の言い分だけを聞くと、いたいけな老人に経済制裁を加える人でなしの娘のように思うかもしれないし、実際にそう言われたこともあるらしい。
が、蓋を開けてみればとんでもない祖父の借金を20代前半から全額肩代わりしコツコツ返してきた母への恩を、育ててやったのに、と義務のような愛情で返すようなことをしているわけだ。

何度牛乳に漂白剤を入れようと思ったか。
実際、実行に移したことが一度だけある。
何の感情もなく自然な流れで、ストーブの前に布団を敷いて横たわり昼下がりのつまらないテレビをBGMにスヤスヤ眠っている祖母のほんの数メートル先のキッチンで。
賞味期限間際の半分残った牛乳にキャップ1杯分きっちり計って。
何事もなく自室のある2階上がり、数十分で母に暴露した。
二人で泣きながら一緒に死のうとも話したし、どうやったら祖母を殺せるか画策したこともある。

認知症とは罪なものだと思う。