【俳句鑑賞】停年の後のことなどふらここに 義明

ふらここ。これ、実は「ぶらんこ」のこと。春の季語なんです。ぶらんこはふらここ以外にも、鞦韆(しゅうせん)、秋干、ふらんと、半仙戯(はんせんぎ)とも言われます。俳句をしていると言葉を覚えますね(笑)。

なお、なぜ半仙戯という漢字が当てられているかというと、

〔唐の玄宗が寒食(かんしよく)の日に,宮女に半仙戯(鞦韆(しゆうせ))の遊戯をさせたことから。「半仙戯」は半ば仙人になったような気分にさせる遊びの意〕(「コトバンク」より)

とのこと。春ののびやかな風景の中でぶらんこを漕いでいる子供たちの風景をみると、「春」の季語とされるのも納得します。

稲富義明(1932年ー1998年)。さーーーと見た限りで詳しい経歴を知ることができませんでした。(ごめんなさい)

句から想像するに、普通「定年」とするところを「停年」と表現しています。本来「停年」は、旧陸海軍で、現役の武官が同一階級で服務すべき年限(の新旧の順)を表わしていました。ということは、教授職などの公務員であったのだろうか、、、はたまた、単純に「停年」という漢字をあてただけなのか。筆者にとってはミステリーです。

普段はぶらんこなんかには乗ることのない、白髪の混じった老人が帰路にふと思い立って、公園のぶらんこに乗っている夜。今までひたすら走ってきた自分を振り返りながらも、ぶらんこに乗ったことで子供の頃を思い出し、今後のことも考える。

ぶらんこという素材を使って、退職前の男性の複雑な心境を見事に歌い上げています。なんとはなしに、一種の、愛を受け取れる句ですね。

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