大人は、もっと自分を大切にしていいんだ。

ここにいることで感じていること。それが実は大切なのかもしれないと思い始めた経験が私にはある。

1分2分の時間を縮めることに躍起になり、やれ効率的だ、と食べること、寝ることをおろそかにし、お酒で紛らわせる。心の中にある自分の気に入らないことを、お酒のチカラで自分のカラダから発する。そう、今、人は自分の中に入ってくる嫌なことを放出することで手一杯なんだ。美しい自然、心にしみる詩、ドキドキする小説、目を奪われる絵や写真。自分の感情の肥やしになるものを取り入れる時間も精神的余裕もない。目の前のことに追われて、ふっ、と自分を見失っている。誰にでも経験のあることだろう。

今、ここにいることで感じていることを丁寧にくみ取り、自分の糧とする能力を人間は持っているはず。

大人って、もっと自由で創造的なはず。お金にならないことに大切なことがあるってわかるはずなのに。

そんなことを思いながら、帰省時に中学校の国語の教科書を手に取る機会があった。ページをめくった瞬間に思い出される、まだまだ精神も青かった時期。そして覚えている教科書の作品。向田邦子の「字のないハガキ」、ねじめ正一の「六月の蠅とり紙」、井上ひさしの「握手」。読み返すと、それらの作品は、時に人生を、時に生き方を教えてくれる作品だった。国語の教材では終わらない、なんとも味わい深さに気が付いてしまった。

私は、感じていることを大切にしているか?味わい深い作品に今出会っているのか?情報をとりこむだけの文章を読んでいないか?

文学は、無駄なものじゃない。

文学は生きること、今ここが輝いていることを教えてくれる。

ここで、大人の鑑賞をやろうと思った。地味なことかもしれないけれど、大人の国語の教科書のようなことをやりたい。作品を味わい味わい、時に自分で創作してもよいだろう。頭を使うものじゃない、心を動かす鑑賞の「場」。これから長いお付き合いになることを祈って、鑑賞の第一幕を上げたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?