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【百人一首鑑賞】逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠

■逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠

(詠んで味わう)あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

百人一首43番目の歌

逢ひ見る。相見る。お互いに見つめ合っている情景を私は思い浮かべました。もうそこからして、恋愛の歌で決まりでしょう!なんとなく現代人の私たちでもそのまま詠んで意味がくみ取れそうな和歌ですね。

■現代語訳

恋しい人と契りを結んでから後の、恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど無いに等しいほどのものだったの。

■語句解説

逢ひ見て…男女が逢瀬を遂げる、契りを結ぶ意味の動詞。

ものを思ふ…恋のもの想い。

大人の歌だった・・・。

初夜が明けてのちに送った和歌。あ、確か「後朝の歌」ってやつですね。あんまり高校生の時は真剣に聞いていなかったけれど、そういう意味でしたか…。しかし、古典とはいえ、こういった内容を生徒に教える立場の古典の先生も大変なことですよね。しかも、まだまだ青い春を過ごしている子たちにはなかなかこの和歌の余韻は入ってきませんって!今だからわかる、大人の和歌です。

権中納言敦忠って誰??

さて。この罪な和歌を作った張本人はどのような人なのでしょう。(きっとおモテになったんでしょうね…。)権中納言敦忠は藤原敦忠(906-943年)。

左大臣・藤原時平の三男。官位は従三位・権中納言。三十六歌仙の一人。通称は枇杷中納言・本院中納言。小倉百人一首では権中納言敦忠。美貌であり、和歌や管絃にも秀でていた。「Wikipedia」より

やはり、イケメンでいらっしゃったようです。37歳でお亡くなりになったので、当時としては平均寿命より少し早い、というところでしょうか。モテる男は罪、それは1000年昔でも変わらないようです。


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