精神的支柱

昨日、大学時代の友達後輩と、渋谷にて終電にも乗らず飲み明かした。
その中で、一人の後輩、もはや後輩とは思っていないくらい仲がよいのだが、こう聞かれた。

「精神的支柱ってある?」

10秒ほど考えたが、精神的支柱としてすぐに思い浮かぶものはなかった。そして、最終的に「自分」「自分自身との対話」などと回答した。精神的支柱が自分など内側にある人のと、アイドルや趣味などの外側にある人とはどういった違いがあるのか。いや、そもそも自分自身が精神的支柱なんて成り立つのか、精神的支柱になりえるのか。会話として成り立っていなかったかもしれない。そもそも精神的支柱っていうのは、自分自身以外でメンタルを保つためにあるものであってそれを自分自身と回答するのは違っているのではないか。そうだすれば、自分の本当の精神的支柱は何なのか。改めて考えてみるとそれはやはり家族だと感じている。
家族には普段から、自身の悩みや苦しみをきいてもらっている。もし家族の存在がなければ自分の苦しみや悩みをはき出せる場所はなく死んでしまっているかもしれない。絶対的に自分自身を愛してくれているものの存在があるからこそ俺は普段の日常の中でどんなにつらい目にあっても自分を保てているのかもしれない。かつて、精神的支柱を友達に置いていた俺は、友達との関係が悪化すれば、途端にメンタルが壊れたものだった。このことからも精神的支柱を友達や彼女などの不安定なものに置くことは絶対にやめた方がいい。俺の中では家族は絶対的に一番であり大切にするものである。これに勝るものはない。今の価値観でいえば、友達や職場の人間、彼女などは、あくまで他人であり不安定なものであると俺は考えている。もちろん、それをないがしろにするつもりなんてない。友達の中でも心の底から尊敬したり信頼できる人はいるし、大好きな人はいる。
と考えたが、やはりそこにラインを引く必要はないかもしれないな。好きな人は本当に好きだし、かつての俺は信じる、精神的支柱にする人をまちがえていただけなのかもしれないね。今でも遊ぶ人なんて特に好きだよ。どうして離れてから俺は人のことが嫌いになるんだろう。信頼できなくなるんだろう。俺だけじゃないのかな、どこかこわい。でも本当は信用していい人は信用していいんだよね。それは別に数人でいい。多くなくていい。信用できる人は信じていいから、それだけは確かだから。

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