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IKN no.13 躁鬱病だと知った日

こんにちは。
いっちーです。かなり久しぶりの投稿になります。
そしてタイトルが「IKN」になりました。これは以前からのタイトル「生きやすい国 日本」の頭文字です。

そんなことはいいとして、僕がまたnoteを書こうと思ったのは、今日のタイトルにもある通り、僕自身が「躁鬱病」だったと知ったからです。

以前から、ひょっとしたらそうかもと思っていたので、驚いているというか、やっぱりという感じです。
ただ、別に病院で診察を受けたわけではないので医学的には違うのかもしれませんが。

じゃあなんで、「躁鬱病」だと知ったというか思ったかというと、
坂口恭平さんの「躁鬱大学」を読み始めたからです。
そこに書かれていることと、自分の特性や今まで自分がやってきたことが、全く同じだったからです。正直、ホッとしている自分がいます。なぜなら、今まで自分のいけないところだとか、弱い部分と思っていたことは、躁鬱人(本の中で、坂口さんは躁鬱病の人のことを「躁鬱人」、そうではない人を「非躁鬱人」と言っています)の共通する特性だったのです。僕だけでなく、同じことで苦しんでいる、悩んでいる人がいて、それは病気というよりかは特性だと知れただけで、気が楽になりました。

僕が、気分の浮き沈みを感じ始めたのは、小学生5、6年の頃だと思います。4年生ぐらいまでサッカー部に入っていた僕は、サッカーに飽きてしまい、だんだん部活に行かなくなり、5年生の頃には辞めていました。そこから気分が沈み始め、前々から学校に行くのが好きではなかった僕は、さらに行く気になれませんでした。それを引きずり、中学に入ると躁状態と鬱状態を繰り返すようになります。躁状態の時は、誰よりも早く走れるような気分になり、誰よりも自分が優れている気がしていました。ただ、鬱状態になると、なぜ自分は生きているのか、なぜ自分はこんな風なんだ、なぜなぜなぜ、、、と自己否定に陥ってしまっていました。

一番きつかったのは、高校3年間。この3年間は、長い長〜い鬱期に入ります。毎日毎日死にたいと思っていましたし、自分以外の全てが羨ましく思えて仕方ありませんでした。たとえそれが、道路に生えている雑草でも。大袈裟ではなく、当時の僕は、本当にそう感じていました。

そこから抜け出せたのは、本当に運が良かったと思っています。学生時代は、時間が経てば大きな環境変化があるので、移った先の環境が合っていれば、比較的に簡単に鬱状態から脱出できるようです。僕の場合は、大学進学のタイミングでした。僕は、物を作ったり手先を動かすことが好きなので、芸大に行くことにしました。そこでは、高校時代の僕のことを知っている人は、一人もおらず、全くのフラットな状態で大学生生活をはじめることができました。それでもやはり、気持ちの浮き沈みはあり、飲み会で号泣してしまったこともあります。

こんな僕ですが、症状としては、軽い方だと思います。軽くなってきたというのが正しいかも知れません。数ヶ月前までは、躁状態だった僕は、なんでもできる、起業だって移住だって、僕は他の人と違うと思い、それまで働いていた会社を退職し、次の道へ進むことにしました。
ですが、プレ鬱状態になってしまた僕は、現在転職活動をしており、こんなご時世ですし、やりたくないことを我慢してすることができない(これも躁鬱人の特性)僕には、なかなか就ける職もなく、鬱状態が少し悪化し始めたと感じ「躁鬱大学」を読み始めたのです。

今は働いてみたい会社が1社あり、そこがダメなら個人で稼ぐしかないなと思っているので、同時進行でアプリ開発をしています。アプリ開発といっても、コードが書けるわけではないので、ノーコードツールを使って開発しています。それでいくつかアプリを開発して広告収入などを得ながら、絵を描いたり、アクセサリーを作ったり、noteを書いたりしようと思っています。

無理にどこかに就職しようとしても、死にたくなるだけなので、それは諦めようと思っています。死ぬよりはマシですもん。
死にたいと思うのは、生きたいからで。本当に死にたいと思う人は、すでに死を選んでしまっていると思うのです。
だから、僕は、ただただ生きたいのです。

決して世の中に貢献できなくてもいい。誰かの役に立ててなくてもいい。
ただ生きる。そんな人がいてもいいのではないでしょうか。

そんな生き方がすんなりと誰からも受け入れられる国になればいいなと。
今日も、普通に生きた自分を褒めてあげようと思います。

では、また。

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