淡路島の手記。

こんばんは、正井です。

と言われたので折角なので一つ記事を遊ぼうと思います。

わたしが初めて「おにぎり転がし」に参加したのは小学校の頃である。どのお寺で行ったかについては細かい特定情報、またよその家の法要のお邪魔になってはならないので伏せさせていただく。

さて話が飛び飛びするが、わたしはMTの免許を持っている。淡路島には二つ自動車教習所があるのだが、そちらの南のほうで勉強した。ちなみに授業料は牛一頭分。「授業料が遅れていますが?」との問いに「あっ牛が売れたら払いますんで」と答え「はいわかりました」となる程度の土地である。

なぜMT車で免許をとったか、簡単である。

おにぎりを転がしに行けないからだ。

初めて参加したおにぎり転がしは小学校低学年の、盛夏であった。

この作品における主人公であるわたしの祖母の姑、つまり曾祖母の葬儀があった。そして三十五日、去年ほど暑くない、ヒートアイランド現象とも無縁の淡路島の、ただの夏である。いつもより蚊取り線香の香りの仏間、通夜には遺体をめがけて飛んでくる羽虫が面白くて、従姉妹と潰して回っていたことを思い出す。

一般的な淡路島の葬儀に火葬(骨上げは不参加)初七日、祖父は兄弟の多い人だったので名古屋やら横浜やら、日本各地に就職して身を立てたおじちゃんがいっぱい来た。それなりの歳月が経ったがその日以来会ってない方もいる。

あだしごとはさておきつ。(気に入ってる。)

三十五日、近所の高い山に握り飯を携え登る。この時に、当時はマイナーであったがAT車であると悲惨なのである。何せおにぎりを転がしお坊さんに経を読んでもらうために向かう先、

標高500メートル以上の山

なのだ。AT車では登れない急勾配に、山奥に建てられた古い寺は森林保護や計画的な伐採、また希少な獣の生活を守るためにそれらを全て避け避け、爪先でそうっと草原のひと房を押し倒し、土踏まずで折り、踵で均し、次の足でようやく直立を許される、そんな場所に向かうのだ。急勾配に急カーブは当然、猪がいた鹿がいたと都会から帰郷した者ははしゃぐ、田舎者はそれが嬉しくてわざわざ車を止める、「出てきい」と父に手を引かれて車から出てみれば、夏のくせにクッソ寒い。

登れないAT車を道のわきに捨て、エンジン音高いMT車の中で傾く重力に腹筋を緊張させ、蛇行の連続に酔い、山頂ほど近い駐車場では「なつかしいなぁ」と祖父の兄弟、冥途で足止めを食らっているであろう曾祖母の息子たちが儀式に備えて煙草をやる。名古屋の、横浜の、明石の、わたしは実家の内孫であるから皆よくしてくれるが、ぶっちゃけ人見知りの小学生には過酷である。しかし昔から好奇心だけは旺盛であったわたしは、山門であるとか鐘であるとか、仁王像や戦没慰霊碑、こう書くと混沌として見えるが、未知の、巨人の内緒の住処染みた、豆の木という急勾配急カーブを登ってきたら、未知の巨人が住んでいそうな寺の境内という雲の上に出た、そういった経験として思い出深いのであった。

その時のおにぎり転がしは、曾祖父の予習があったからか祖父兄弟は慣れており、「おかん、今のうちに通れや!」と見送りの声は盛大で、父は「この下には鬼がおるから、その鬼がひいばあちゃんを食わんようにおにぎり投げるねんで、鬼と目が合うたら怖いから、後ろ向いて投げるんや」と教えてくれた。ちなみに父は淡路の人間ではない。ただの歴史ものマニアだ。

さてとまあ、これがだいたいの記憶にある「少女正井の初おにぎり転がし」である。

そして数年前に祖父が死んだ。やっぱりおにぎり転がしはやった。ちなみに最近のAT車は標高500メートルを登れる。お世話になっているお寺さんでは、「正井家の者です」と手続き申し込みを行い、読経、食事、おにぎり転がし。祖母はよくそのお寺にお使いに来たという昔話を聞かせてくれたが、ちょっとまってわたしさっきのさかみちはんぶんしをかくごしてうんてんした……昔の人の生活はどうなっていたのか。

祖父の末弟は「兄貴!またな!」とおにぎりを放った。別段我が家では合図は無い。それぞれのペースで森林望む崖に背を向け、腹のあたりに持った握り飯をそのまま肩の上を通す形で上方向に投げる。多分どこぞのぽっきりさん(2019年5月22日現在)の右腕では投げられずに背後に落ちるやも知れぬ。

まんが日本昔ばなしの「三十五日の山参り」では餓鬼が父親の旅路を塞いでいた。何故だろうか。四十九日の法要もやるし、一周忌だの三回忌だのやっぱりやる。しかし三十五日のおにぎり転がしは何故行われるのか。

四十九日は閻魔様に会う日だ、と何かしらかでよく読むが、では三十五日はどのあたりを行くのだろう。そもそも三十五日におにぎりを投げる必要はあるのか?

ひょっとすれば淡路島とはあの世までの道が、ほかの地方と少し違っているのだろうか。こう、蜘蛛の巣みたいに。餓鬼道に近い糸を歩いて閻魔様に会いに行くだとか、とすればほかの地方はまた別の糸が存在したり、風習が存在したり、そして数々の口伝や地域の特色によって廃れたりしているのだろうか。

とりあえず、淡路島の人間は、故人が無事に冥府にたどり着くよう、手助けをすることが出来る、一風変わった法要忌があるのだという話でした。


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